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2026. 6. 7. 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

  • 11 分前
  • 読了時間: 7分

【タイトル】

召しにふさわしい歩み(3)「実を結ぶ堅実な歩み」

【聖書個所】

Ⅱペテロ1:10:「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまずくことなど決してありません。」

【序論】

 ペテロは、Ⅴ1:「イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。」と、イエス・キリストを信じる信仰によって救いを受けた兄姉、また私たちに語り、続けて、Ⅴ2~V9で「あること」を語り、そしてその結論として、Ⅴ10:「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまずくことなど決してありません。」と言う。

 「つまずく」というのは、文字通り「躓く」ことで、皆さんもあるかと思うが、道を歩いていて、道がデコボコしているにも関わらず、注意しないで歩いていると躓くことがある。信仰生活においてもそうだとペテロは言う。何も考えず、注意しないで信仰生活を送っていると、躓くことがある。だから、「兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまずくことなど決してありません。」と言う。

 ペテロが言う「これらのことを行っていれば」の「これらのこと」とは何か?―それが、Ⅴ2~V8で語られていたこと。二つのポイントで語る。一つは、「主を知るということ」。主を知ることで、召された私たちはつまづくことなく、その召されたこと、選ばれたことを確かなものにすることが出来るという。二つ目は、「主との関係の中で、神様が信じる者に約束して下さった7つの特質を身に着けることが出来るなら、召された私たちは、同様につまづくことなく、その召されたこと、選ばれたことを確かなものにすることが出来るということです。では、この二つのことを詳しく見て行く。

【本論】

(1)主を知るということ

V2~V4:「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。1:3というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。1:4その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」

 この箇所には、「主を知る」という言葉が2回出て来る。V2:「神と私たちの主イエスを知ることによって」の「主を知る」と、Ⅴ3:「というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって」の「主を知る」です。

※「主を知る」ということは、信仰者、召された者、選ばれた者にとって非常に重要なこと。それは、神が私たちを召して下さった、選んで下さった目的と大きな関りがあるからである。

 神が私たちに信仰を与えて召して下さったのは、最終的に私たちが「神のご性質にあずかる者」、つまり、キリストの似姿へと造り変えられて行くため。しかし、それは救われたなら、召されたなら、あとは何もしなくてもそうなるということではない。神の約束はあるが、それが実現するためには、私たちが主を知るということが求められているのである。だからペテロは、Ⅴ2:「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」と祈り、そして、Ⅴ3:「というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。」と言っているのです。

 この「主を知る」ということは、今までも語っているように、知的に知るということでなく、霊的に知るということ。霊的に知るということは、霊であるみことばを通して知るということです。だから、みことばを読んで、思い巡らし、咀嚼し、理解するということが重要であり、霊の呼吸である祈りを通して知るということも重要なのです。つまり、日々の主との交わり、ディボーションの時を持つということが、「主を知る」ということに関して大切なのです。

 私たちはそのようにして主を知り、日々造り変えられ、やがて主と同じ姿へと変えられて行くのです。そうなれば、私たちは躓くことなく、私たちの召されたこと、選ばれたことという、神の目的が確かなものとなるのです。しかし、それは一朝一夕には出来ない。信仰生活には忍耐が必要、時間が必要、努力が必要です。それが次の箇所で語られている。

(2)主との関係の中で、神様が私たちに与えて下さる7つの特質を身に着けることが出来るなら、同様に私たちは、その召されたことを、選ばれたことを確かなもの、確固としたものにすることが出来る。

V5~V8:「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、1:6知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、1:7敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。1:8これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」

 ここには、神を信じる私たちに与えて下さる7つの特質が出て来る。「信仰には徳を」の「徳」、「徳には知識を」の「知識」、「知識には自制を」の「自制」、「自制には忍耐を」の「忍耐」、「忍耐には敬虔を」の「敬虔」、「敬虔には兄弟愛を」の「兄弟愛」、そして最後に、「兄弟愛には愛」の「愛」。そして、それぞれの特質を、神が与えて下さる私たちの信仰の上に、順次、循環するかのように「加えなさい。」と言う。「加えなさい。」というのは、「身に着けなさい。」、「備えなさい。」ということ。

 これは、ローマ5:1~5で語られている、私たちの信仰の結果、私たちに与えられる、神との関係の中で生まれる特質とよく似ている。

ローマ5:1~5:「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。5:2またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。5:3そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、5:4忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。5:5この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

 どちらも、これらの特質は一朝一夕に身に着くものではない。多くの場合、困難や試練、苦しみの中から身に付いて来る。だからこそ、信仰から始まって、忍耐をもって主を信じ続けて行けば、つまり、主との関係の中で主を知り続けて行けば、最終的には私たちは、Ⅴ8:「これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になること」はないのである。

 これは、スポーツや芸術、学問の世界など、コツコツとやり続けることによって実を結ぶ者になる世界に通じる。コツコツとやり遂げた結果で身に着ける実というのは、その人自身の栄光にもなるが、それを見る人、その人が置かれているチームや社会にとっての誉れ、栄光、喜びともなるのである。

※そういう意味で、私たちがこれらの特質を身に着けることにより、私たちは主との関係の中で、自分にとってだけでなく、主にとっても、周りの人々にとっても、役に立つ者、実を結ぶ者になるのです。

 だから、V9:「これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。」と言われる。

 召された者であるにも関わらず、主との交わりを持つことなく、主を知ることもなく、それによって与えられる特質を備えることもないならば、自分は召された者、選ばれている者であることを忘れてしまい、役に立たない者、実を結ばない者になってしまうのです。だから結論として、

【結論】

V10:「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのこと(主を知ることを熱心に求め、神が与えて下さる特質を身に着けること)を行っていれば、つまずくことなど決してありません。」と言う。

 主は、私たちにこのことを願っている。だから、ペテロが祈っているように(V2)、そのことが成るようにと祈ろう


―祈り―

 
 
 

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