2026. 8. 9 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
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【タイトル】
エペソ(17)「主のみこころは何か?」
【聖書個所】
エペソ5:3~17:「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。5:4また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。5:5あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者──これが偶像礼拝者です。──こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。5:6むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。5:7ですから、彼らの仲間になってはいけません。5:8あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。5:9──光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。──5:10そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。5:11実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。5:12なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。5:13けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。5:14明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」5:15そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、5:16機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。5:17ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。」
【前置】
今日のテーマは、今読んだ聖書の結論の箇所、Ⅴ17:「ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。」にあるように、「主のみこころは何か?」ということ。今日は、このテーマでメッセージを取り次ぐ。
【本論】
今日の箇所は2つに分かれる。1つは、主のみこころとして、「してはいけないことは何か?」ということ。2つ目は、主のみこころとして、「しなければならないこととは何か?」ということです。
(1)(主のみこころとして)してはいけないこととは何か?
このことが、V3~V7に語られている。順次、節を追って見て行こう。
V3~V4:「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。5:4また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。」
ここでは一つだけ、「感謝しなさい。」と、しなければならないことが語られているが、ここでは殆どが、「してはいけないこと」です。どうしてか?―それらは「聖徒」、つまり「救われた者」の行いとしては相応しくないからです。
ペテロは、この「聖徒」とはどういう者か、「救われる前」と、「救われた後」との違いに触れて、次のように言った。
Ⅰペテロ4:1~3:「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。4:2こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。4:3あなたがたは、異邦人たちがしたいと思っていることを行い、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です。」
聖徒になる前の時のことは「もう十分です。」だからもう止めて、聖徒として、神のみこころのために生きよう、と言うのです。私のよく知っている知人の証しで、その方はもう天に召されたが、こう言っていたのを今でも思い出す。「救われる前は、ゴミのような人生を送っていた。」と。本当にそうだと思う。でも、これは誰にでも当てはまる証しではないか。皆そうだったのである。だからもう前のことはもう十分である。
エペソ5章に戻る。
V5:「あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者──これが偶像礼拝者です。──こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。」
偶像礼拝者、神を信じて神を礼拝しない者、つまり、聖徒でない者は、「キリストと神との御国を相続することができません。」その通りです。
V6~V7:「むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。5:7ですから、彼らの仲間になってはいけません。」
先ほどのⅠペテロ4:1~3の後には次のような言葉がある。
Ⅰペテロ4:4:「彼らは、あなたがたが自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、また悪口を言います。」
私が救われた時もそうだった。「どうして飲むのを止めたのか。少しくらいいいだろう。行こう行こう。」と、悪口ではないが誘いがあった。しかし、それもある意味では悪口である。その誘惑に誘われて行ってしまうと、いつの間にか前と同じようになってしまうかもしれないからです。
生きている蛙をいきなり熱い湯に投げ込めば、そこから飛び出るが、徐々に熱くする水の中では、蛙はそれに気付かずに死んでしまう。これは、ビジネスや環境問題の話をする時、よく例話として用いられる「ゆで蛙理論」のこと。ビジネスでの成長理論(快適な環境にいると変化を嫌うので成長が止まる)や、環境問題でのリスク管理と言う意味での危機管理理論(変化が徐々に進むと、危機に気付かないで手遅れになる)の中の一つの法則である。
私たち信仰者の場合でもそう。悪魔は上手に、気付かない方法で私たちを滅ぼそうとする。だから、Ⅴ7:「彼らの仲間になってはいけません。」と言う。物理的な意味でではなく、霊的な意味でである。
(2)(主のみこころとして)しなければならないことは何か?
これは、V8~V16に語られている。
V8~V12:「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。5:9──光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。──5:10そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。5:11実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。5:12なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。」
人は誰でも、それはクリスチャンであっても、「ひそかに行っていること」は、献金や善行は別にして(マタイ6:1~4)、大抵の場合恥ずかしいことなので、人には隠す。しかし、聖書は、私たちはもうそういう者ではなくなり、光になった、光の子供になったのだから、隠すことなく、Ⅴ9~V11:「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。──5:10そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。5:11実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。」と言う。
Ⅴ10にある「見分けなさい。」は、原語のギリシャ語で、「ドキマゾー」という言葉が使われている。これは、ローマ12:2の「わきまえ知りなさい。」と同じ言葉である。
ローマ12:2:「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」
この「わきまえ知る。」というのは、ラジオのチューナーのように、ダイヤルを回して周波数を合わせる、調子を合わせる、そして識別するという意味の言葉。だから、ただ単に「見分ける」、「わきまえ知る。」という頭の中のことだけでなく、それが結果として表に出て来るものなのである。証しするということである。だから、
V13~V16:「けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。5:14明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」5:15そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、5:16機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。」
私たちが主のみこころが分かって、それを見分けるならば、それと調子を合わせるなら、神は光なので、私たちもその光として、光の子供として輝いて、この世を明るくする。すべてを明らかにすると言う。
この世は、かつて私たちが生きていたように、暗やみのわざが働いている時代です。暗闇の時代、Ⅴ16が言うように、「悪い時代だからです。」です。だからこそ聖書は、V16:「機会を十分に生かして用いなさい。」というのです。
聖書は、Ⅱテモテ4:2a~b:「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」と言うが、みことばを宣べ伝えるだけでなく、続いて、「寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」と言う。今日の箇所でいうなら、主のみこころを見分けて、チューニングして、Ⅴ9:「善意と正義と真実」という光の実を結ぶということである。
【結論】
V17:「ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。」
※主のみこころを探り求め、慕い求め、識別して、調子を合わせて歩んで行こう。そのように祈ろう!
―祈り―
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