キリスト教会
2026. 9.27 主日礼拝メッセージ
【タイトル】
霊的戦い(19)「霊的戦いのための権威の持つ力」
【聖書個所】
マタイ10:1:「イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。」
【前置】
前回、この箇所とⅤ5~V8から、神は私たちの霊的戦いのために、病の癒しや悪霊追い出し等のわざによる福音宣教と、言葉による福音宣教、そして、その働きを恵みのわざとして行うために、権威を私たちに与えて下さったことを学んだ。今日は、その権威についてもう少し深く学んで行きたい。
【本論】
先ず初めにこの箇所を読もう。
マタイ8:5~10:「イエスがカペナウムに入られると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、8:6言った。『主よ。私のしもべが中風で、家に寝ていて、ひどく苦しんでいます。』8:7イエスは彼に言われた。『行って、直してあげよう。』8:8しかし、百人隊長は答えて言った。『主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。8:9と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。』8:10イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。』」
ここに、権威とは何であるかが明確に語られている。それは、権威とは、その権威を持っている人が本質的、人格的にどのような人であるかに関係なく、その人の置かれている地位や立場に合法的に備わっているものであると言うことです。
(1)権威とは、合法的にある地位や立場に備わっているもの。
イエス様は、そのことを理解していた百人隊長を褒められた。百人隊長はこう言った。V9:「…、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。』」
イエス様は、このように権威というものがどういうものであるかを正しく理解していた百人隊長を褒められた。もちろん、イエス様はただ彼がローマ軍内での権威を理解していたからということで彼を褒めたのではなく、自分のしもべの癒しをイエス様に求めるというイエス様への信仰の中に、イエス様の持つ権威を認める彼の信仰を見たからである。いずれにしても、権威というものは、その地位や立場に備わって合法的に与えられているものであるということ。だから、悪い者でも権威を持つことが出来るのです。
ルカ4:6:「こう言った。『この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。』」
これは、サタンがアダムから合法的に得た権威(神がエデン律法の中で、この地をアダムに治めるようにと与えた権威を、アダムの罪により、だからサタンが合法的に得た)によって、サタンがイエス様に語った言葉である。勿論、イエス様はそれが合法的であっても、サタンに従うことはなかったが。
次に、権威というものは神との関係、つまり信仰がなければ力のないものであるということ。
(2)権威に信仰が伴なわなければ、その権威には力がない。
使徒19:11~17:「神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行われた。19:12パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。19:13ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」と言ってみた。19:14そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。19:15すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ」と言った。19:16そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。19:17このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。」
どうして祭司長スケワの七人の息子たちは悪霊に敗れてしまったのか?―彼らには、イエス様との関係、つまりイエス様に対する信仰がなかった。だから、悪霊は彼らを打ち負かすことが出来た。しかし、神を信じていたパウロ、また私たちの場合はそうではない。神を信じる私たちには、たとえ手ぬぐいや物を介してでさえも、病人を癒し、悪霊を追い出し、奇跡を為すことが出来る権威があるのです。その権威を神は私たちに与えておられるのです。
最後に、その権威にはどんな力があるのか、それを見る。
(3)神の権威には、罪を裁き、罪を赦す力がある。そして、それを行使すると、神の御名が崇められる。神の権威が私たちに与えられて、それを使う目的はそこにある。
イエス様に見るその権威と力、そして、その行使の結果は?
マタイ9:2~8:「すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。9:3すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている。」と言った。9:4イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。9:5『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。9:6人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。9:7すると、彼は起きて家に帰った。9:8群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた。」
イエス様がその権威を用いた時、癒しの力が働き、また罪の赦しも宣言されて、人々は神を崇めた。 イエス様は、その同じ権威を私たちに与えて下さったのである。
ヨハネ20:21~23:「イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」20:22そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。20:23あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」」
また、イエス様はピリポ・カイザリヤに行かれた時、弟子たちにこう言われた。
マタイ16:19:「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
この「天の御国のかぎ」とは、この地に御国をもたらし、罪を赦し、罪を残す鍵である。その鍵をもって、ペテロはその権威と力を行使した。そして、それが行使されると、何が起きたか?
使徒5:1~11:「ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、5:2妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。5:3そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。5:4それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」5:5アナニヤはこのことばを聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。」
パウロの場合はどうか。パウロにみるその権威と力、その行使によって何が起きたか?
使徒13:5~12:「サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。13:6島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、にせ預言者で、名をバルイエスというユダヤ人の魔術師に出会った。13:7この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた。13:8ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。13:9しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、13:10言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。13:11見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」と言った。するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。13:12この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入った。」
このように、神の権威には力があり、私たちがその権威を行使すると、人々は神の権威を知り、神の御名を崇めるようになり、信仰も起こされる。
【結論】
神が私たちにその権威を授けてくださったのは、このためである。だから、この権威を用いて、神の栄光のために働こう。
―祈り―