キリスト教会
2026. 3.22. 礼拝メッセージ
【タイトル】
エペソ書(8)「神の恵みによる私たちのビフォー&アフター」
【聖書個所】
エペソ2:19~22:「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。2:20あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。2:21この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、2:22このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」
【前置】
神の恵みによる私たちのビフォー&アフターの4回目、その最後のまとめの箇所である。この箇所は2つの部分に分かれる。最初はV19。ここで、「神の恵みによる私たちのビフォー&アフター」の4つめが語られており、Ⅴ20~V22では、この「エペソ人への手紙」全体のテーマでもあり、また、今回4回に亘って学んで来た「私たちの救いに預かる前後の姿」から、結論として、キリストによって贖われた私たちキリストの体である教会とは何であるかが語られている。
【本論】
(1)4つめのビフォー&アフター
V19:「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」
神の救いの恵みにより、私たちは「もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」と聖書は言う。
「他国人」というのは、(ギ)「キノス」で、「旅人、外国人」を意味する言葉。「寄留者」というのは、(ギ)「パロイコス」で、この言葉は、「パラ」:「そばに、脇に、並んで」という意味を表わす言葉と、「オイコス」:「家・家族・ホーム」(「オイケオー」:「住む」)を意味する言葉から成っていて、なので、「寄留者」=「パロイコス」は、「その国の国籍は持っていないが、その国に、単に「他国人、旅人」として居るだけでなく、そこに住んでいる、在留している人」という外国人を意味している。日本で言えば、ビザなしで旅行している人が「他国人」、ビザを持って日本に滞在している人が「寄留者」に当たる。
パウロは前の箇所で、私たちは恵みによって救われる迄は、Ⅴ12「そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。」と、私たちは神から離れ、神を知らない外国人、異邦人、他国人であると言っていた。しかしパウロは、キリストを信じる信仰によって、私たちはもはやそうではなく、「今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」と言う。しかし、これは前回も言ったが、私たちがユダヤ人になったということではなく、霊的な意味で、本来の信仰の民であるアブラハムの子孫としてのイスラエル人たちと神の国の民、また「神の家族」になったと言うことです。
聖書が言う「聖徒」とは、本来のアブラハムの血統からすれば、すべてのイスラエル人たちは「聖徒」、「神に特別に聖別された神の民」だが、神はこのアブラハムのひとりの子孫であるイエス・キリストを通して、異邦人であれ誰であれ、イエス・キリストを救い主として信じるのであれば、その人は「神に特別に聖別された神の民」、「聖徒」になることが出来ると言う。その祝福の道を、神はアブラハムのひとりの子孫であるイエス・キリストによって備えられたと言う。
ガラテヤ3:13~16:「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです。3:14このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。3:15 兄弟たち。人間の場合にたとえてみましょう。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。3:16ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。」
パウロは、本来のアブラハムの子孫としてのイスラエル人について、イエス・キリストを信じる信仰との関連の中で、次のように言う。
ローマ2:28~29:「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。2:29かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」
パウロはこのことを言うから、イエス様をメシヤとして信じていないユダヤ人たちから嫌われ、また、殺されようとされたりもした。だから、それだけ「心の割礼」というのは重要、心の割礼は御霊によるもので、御霊によって古い心が砕かれ、刷新され、悔いた心で悔い改めがされるからです。
ユダヤ人たちは血統的にアブラハムの子孫として生まれ、外見上の割礼を受けているので、もう自分たちは神の民であり、聖徒であると思っていたが、心に割礼を受けていないので、イエス・キリストをメシヤとして信じることが出来ず、罪人のように考えて、十字架につけてしまった。アブラハムの時代から世代が下がるにつれ、頑なさ、高慢という肉の皮が厚くなって来たのである。
しかし、これは私たちにとって他人事ではない。私たちにも絶えず心の割礼、心の刷新が必要である。それによって私たちは真の聖徒、真の神の民、真の神の家族になる。これが、私たちのアフターである。
(2)エペソ書のテーマ、4つのビフォー&アフターのまとめとしてのメッセージ
これについては先に結論を言う。―私たちは神の言葉の働きと御霊の働きにより、神による建造物、神の住まいとされると言う。これがエペソ書全体に亘って語られているテーマであり、また今回のシリーズの結論です。
V20~V22:「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。2:21この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、2:22このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」
建物には必ず土台があり、その土台の下には基礎がある。今、日本の住宅では基礎はすべてコンクリートで、その上に柱が乗る土台が据えられている。そして礎石というのは、今はコンクリートになってしまったが、昔の日本でも、聖書のこの時代でも、柱が直に土に乗ったままにならないよう石を置いた。その石のことを礎石と言うが、その上に柱がなければ、いずれ柱は腐ったり、土の中にめり込み、家は倒れてしまうからである。イエス様は譬えで、砂の上に家を建てることと、岩の上に建てることとの違いを語られたが(マタイ7:24~)、教会も、また私たちも、神の建物として礎石の上に土台を築き、柱を立てて建て上げて行かなければならない。その礎石が、聖書はキリスト・イエスであると言う。イエス様が、「…。わたしはこの岩(神、神の言葉、神の啓示の言葉)」の上にわたしの教会を建てます。…。」(マタイ16:18)と言った通りである。
そして土台は「使徒と預言者」であるという。使徒と預言者は、御霊の働きによって神の言葉を語り、教会を起こして、建て上げて行く人たちです。その働きについては、エペソ4:11に5役者として記されている。このようにパウロは、教会は、使徒と預言者の働きを土台として、そこに柱、壁、屋根、その他、いろいろな要素が組み合わされて、神の建物全体が建て上げられて行くと語っている。
【結論】
先週、私たちは法人としての最初の合同礼拝と総会を持った。合同礼拝と総会を持てたことは幸いなことである。しかし、それが法人、否、教会としてここに建てられている理由ではない。ここに私たちが教会、神の住まいとして建てられている神の目的は、私たちが交わりや礼拝、さまざまな奉仕をすることでもあるが、それと共に忘れてならないのは、神の言葉を人々に宣べ伝えていくことである。
※今、いつでもどこでも宣教は必携である。これからも機会のある度に福音を宣べ伝えよう。真に救いに至る福音を宣べ伝えよう。
―祈り―