2026. 8. 2. 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
- 8月9日
- 読了時間: 8分
【タイトル】
神の召しに相応しい歩み(3)「クリスチャンにとっての良い行いとは?」
【聖書個所】
エペソ2:10:「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」
【導入】
神の召しに相応しい歩みの3回目。この聖句は、その「召しに相応しい歩み」が何であるのかを語っている。それは、「良い行い」をすることである。では、「良い行い」とは?―それが今日のテーマです。
【本論】
ある時、イエス様のところにある若者がやって来て、イエス様に訊ねた。
マタイ19:16~22:「すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。『先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。』19:17イエスは彼に言われた。『なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。』19:18彼は『どの戒めですか。』と言った。そこで、イエスは言われた。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。19:19父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』19:20この青年はイエスに言った。『そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。』19:21イエスは彼に言われた。『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』19:22ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。」
この話は、私たちに何を語ろうとしているのか?―多くの財産を持っている金持ちは永遠のいのちを得ることが出来ない、つまり救われない、天国に行くことが出来ないということを言おうとしているのか?或いは、持ち物を全部売り払って貧しい人たちに与えるなら、「天に宝を積むことになる。」、つまり、救われて天国に入ることが出来るということを言おうとしているのか?―否、この話は、この若者がイエス様に訊ねたように、「どんな良いことをしたら永遠のいのちを得ることが出来るか?、つまり、救われて天国に入ることが出来るのか?」を教えている話です。
※聖書は難しい本ではない。誰もが理解できるように書かれている神の言葉の本。だから、素直に読めば良い。ここでの問題は、では何が「良い行い」なのかということです。
この若者は、永遠のいのちを得るために、「守るべき行いは何か?」ということに思いが行っていた。イエス様が「これを守りなさい。」と、Ⅴ18~V19のモーセの律法について語った時、彼がイエス様に、Ⅴ20:「そのようなことはみな、守っております。」と返事をしたことから分かる。そんな彼に、イエス様はこう言われた。V21:「…。『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』」と。すると彼は、Ⅴ22a:「ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。」、彼は顔を曇らせて、去って行ったとある。
※どうしてか?―聖書は、「この人は多くの財産を持っていたからである。」とあるが、直接的には、彼に多くの財産があったから悲しんで去って行ったのではなく、イエス様の言われたことが出来ないから、つまり、彼が初めに、Ⅴ16:「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょう。」とイエス様に訊いた「良いこと」が自分に出来ないということが、結果的にどこまで分かったのかは分からないが、分かったからです。
ここで、初めにイエス様が彼に語った言葉が重要であったことが分かる。それは、V17:「イエスは彼に言われた。『なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。」という言葉です。この時点で彼は、「あー、自分には無理だ。「良い方は、ひとりだけです。」というのなら、そんな「良いこと」など自分には出来ない。」と、この時点で悲しんで去って行けば良かったのだろが、この時点では未だ分からず、自分にはどんなことでもできると思っていたから、そうしなかった。
事実イエス様が、Ⅴ18で、「こうしなさい。」と言った戒めについて、Ⅴ20:「そのようなことはみな、守っております。」と言った。まだ彼は分かっていなかったのである。それでイエス様が、Ⅴ21:「…。『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。…。」と彼に言った。この「完全」と言う言葉は、文字通り「完全」ということで、あらゆる面で完全ということで、これは、初めの「良い」と言う言葉に通じる言葉。だから、二つの言葉を入れ替えて使っても、言おうとすることは変わらない。
V16~V17:「すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。『先生。永遠のいのちを得るためには、どんな完全なことをしたらよいのでしょうか。』19:17イエスは彼に言われた。『なぜ、完全なことについて、わたしに尋ねるのですか。完全な方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。』」
V21:「イエスは彼に言われた。『もし、あなたが良くなりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。」
つまり、ここでイエス様が彼に、そして私たちに語ろうとしていることは、行いそのものの大切さではなく、行いをする人の本質、その人が良い人なのか完全な人なのか、つまり、「心がどうであるか!心に何があるか!」ということが重要なのであることを教えている。
※行いというのは、心がどうであるか?心に何があるかによって決まる。目に見える言動というのは、心にあることがそのまま現れるからであり、目に見えるもの、耳にすることが出来るものは、その行いをする人、その言動をする人の心をそのまま映し出しているものであるからです。
マタイ12:33~35:「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。12:34まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。12:35良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。」とある通り。
※心に何があるかが重要。何故なら、心にあるものが、私たちの言動としてそのまま現れるからです。
ここで今日の聖句に戻る。だからパウロは、私たち救われたクリスチャン、また神に召された者である私たちに、「「良い行い」、「完全な行い」、つまり、人には出来ないが、「良い方は、ひとりだけです。」という神にしか出来ない「良い行い」、「完全な行い」に歩むことが出来るようにと、その「良い行い」、「完全な行い」をも、あらかじめ備えてくださったのです。」と言ったのです。つまり、「良い方」である聖霊様を私たちに宿らせてくださったということです。しかし、だからと言って、自動的に私たちは良いことが出来るわけではない。それは経験済みである。
では、どうすれば私たちは、パウロが言う「備えてくださっている「良い行い、良い言動、良いこと」」をすることが出来るのだろうか?それは;
マタイ19:21:「イエスは彼に言われた。『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』」
イエス様は、マタイ6:20~21:「自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。6:21あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」と言ったように、私たちと神様との関係の中で、何を宝にしているか?何を心に置いているか、により、私たちは、私たちの言動を現わすことが出来る。また、変えることが出来るのです。だから、私たちは先ず、心の中におられる聖霊なる神様を第一にし、その方に従って行こう。聖霊様を私たちに従わせるのではなく、私たちは聖霊様に従って行こう。
※私たちの信仰生活における行いの実、言動は、私たちの心に何があるか?何を宝にしているかによって現れる。それが、聖書が語っていること。いつも聖霊様を第一にし、聖霊様を宝にし、聖霊様に従っているならば、それに相応しい言動、良い言動が出る。しかしそうでなければ、悪い言動がでるのです。
悪い言動というのは、肉の性質から出る言動です。例えば、パウロがガラテヤ5章で挙げている肉の性質が結ぶ実のこと。(ガラテヤ5:19~21)また、イエス様が弟子たちにマルコ7:19~21で語った人の心から出る実、言動です。
マルコ7:20~23:「また言われた。『人から出るもの、これが、人を汚すのです。7:21内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、7:22姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、7:23これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。』」
だから、自分の心を見張ると共に、どんな人と、何と交わりを持っているかということも重要である。
【結論】
「誰と一緒に過ごすか?」というタイトルのディリーブレッド誌(7月29日版)に、テレビ番組の出演している人の悪い言動が、視聴者の性格に影響を与えるという研究結果について書いていた。例えば、公然の悪口、陰湿なうわさ話、いじりなどのドラマやバラエティーは、視聴者の脳内に、無意識に同じ言動を真似る下地を作ると言う。つまり、笑える「いじり」でも、それを繰り返し見ていると、知らぬ間に、人を見る自分の姿勢に影響を与えるという。テレビ番組でさえそうなので、多くの時間を一緒に過ごす人から受ける影響は小さくない。
だから、あなたは誰と、何と一日24時間交わっているか?共に時間を過ごしているか?ということは重要。神は神御自身と私たちが交わりを保つことが出来るようにと、聖霊様を内に住まわせ、みことばを私たちに与えて下さった。私たちの将来は、今神様との関係の中で、何を第一にするのかにより決まる。だから、日々、神との交わりを大切にしよう。神を第一にして歩もう。慕い求めて歩もう!
―祈り―
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