2026. 6.21 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
- 6月28日
- 読了時間: 6分
【タイトル】
エペソ書(14)「キリストの教えに生きる②」
【聖書個所】
エペソ4:25~27:「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。4:26怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。4:27悪魔に機会を与えないようにしなさい。4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。4:29悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」
【序論】
今日のメッセージは、「ですから」(Ⅴ25)と言う言葉があるように、前回のメッセージを土台としたもの。つまり、前回の結論である「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された新しい人を身に着るべきことでした。」(Ⅴ24)にあるように、私たちは神に似た者とされたということが土台になって語られている。そのことを掴んでいれば、今日のメッセージは一貫して理解することが出来る。
【本論】
V25:「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。」
神は私たちを、神に模(かたど)り造り出して下さった。だから、当然私たちの中には「偽り」があってはならない。何故なら、神には偽りなどないからです。だから、「偽りを捨て」、「おのおの隣人に対して真実を語りなさい。」と言う。神は真実な方であり、真実に満ちている。これは、一人ひとりにおいても、私たち一人ひとりが組み合わされた教会という体においても言えること、キリストを信じる者同士の関係の中でも言えることである。また、教会には、その関係の中には偽りがあってはならない。むしろ真実で満ちていなければならないのです。そのことを、ヨハネはⅠヨハネ1:5~7で、「偽り」を「やみ」、「真実」を「光」と言って語っている。
Ⅰヨハネ1:5~7:「神は光(真実)であって、神のうちには暗いところ(偽り)が少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。1:6もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみ(偽り)の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって(闇の中を歩んでいるのであって)、真理を行ってはいません(光の中を歩んではいない)。1:7しかし、もし神が光(真実)の中におられるように、私たちも光(真実)の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わり(光の中での交わり、光の交わり)を保ち、御子イエスの血(真理であり、義であり、聖である贖いの血)はすべての罪(偽り、闇)から私たちをきよめます。」
※これが、古い人の衣を脱ぎ捨て、真理に基づく義と聖とをもって神にかたどり造り出された新しい人の衣を着た者である私たち一人ひとりと、また教会に相応しい姿です。だから、「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」(V26~V27)と言う。
神は私たちに喜怒哀楽という感情を与えているので、怒ること自体は罪ではない。長時間労働の後には疲れるように、また、満腹になっても時間が経てばお腹が空くように、怒ること自体は、自然の現象、自然な反応であって、罪ではない。では、「怒っても、罪を犯してはなりません。」とはどういうことか?何故聖書は私たちに「怒っても、罪を犯してはなりません。」と言うのか?
それは先ず、悪魔は絶えず働いていて、機会があれば私たちを罪に誘うからである。罪を犯させるからである。私たちには罪を犯す性質が残っているので、何かの機会があると、罪を犯してしまうこともあるからです。
その事例を聖書に捜すと多くある。カインがアベルを殺した例(創世記4章)、ダビデがバテシェバとウリヤに対して姦淫と殺人の罪を犯した例(Ⅱサムエル11章)、ダビデの子アブシャロムが父を恨み、しかし、その恨みを隠して人々を騙し、自分に引き寄せて、父のダビデから王位を奪い取った事例(Ⅱサムエル15章)などである。だから、「悪魔に機会を与えないようにしなさい。」(Ⅴ27)と言う。
それだけでなく、「日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」(Ⅴ26)も、その一つである。怒りや憤りは、時間が経つと姿を変える。神が「罪」と呼ぶものに姿を変える。どんな罪か?―それは、「あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。」(Ⅴ25)と言う、隣人に対する不真実な言動、偽りの言動をとることです。アブシャロムの犯した罪はその典型である。父のダビデを恨み、怒りを隠し、偽って父の王位を奪い取ろうとした。その結果、父ダビデとの関係は壊れ、自らにも滅びを招き、父ダビデにも解決できない悲しみ嘆きを残した。そう!―真実を隠し、真実を語らず、偽ることは、置かれている中での関係を壊すのである。家庭、社会、教会や一つの組織の中に不真実や偽りがあれば、それは壊れるのである。
そして、その破壊や滅びは、外に向けての偽りや罪だけでなく、自分の内側、自分に対する偽りも、不真実も、それは悪魔に機会を与えることになり、自分に滅びや災いを招くことになる。ストレスが溜まってかかる心身症や自律神経失調症などはその典型である。本当は大変なのに、大変でないかのように自分に対して偽ったり、真実を語らないでいると、つまり真実にならないでいると、外に対する関係の中に滅びや災いが起こるように、自分の内でも滅びや災いが起こる。
だから聖書は、「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。4:26怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。4:27悪魔に機会を与えないようにしなさい。」(V25~V27)と言う。
そしてヨハネも、Ⅰヨハネ1:5~7の後に、次のように言うのである。
Ⅰヨハネ1:8~9:「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。1:9もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」
これが、Ⅰヨハネの手紙におけるキリストの教えでもある。
エペソ4:28:「盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。」
極めて具体的な教えである。当時のエペソの教会にこのような者がいたのだろうか?
エペソ4:29:「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」
私たちは、そのような者として贖われ、造られたからです。
【結論】
今日、誰かに対し、或いは自分に対し、偽りはないだろうか?―もしあるなら、その偽りを捨て、真実であろう。憤ったままでいることを止め、悪魔に機会を与えることなく、主の血潮を仰ぎ見よう。
―祈り―
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