2026. 4.19. 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
- 4月26日
- 読了時間: 8分
【タイトル】
エペソ(10)「パウロの祈り、私たちの祈り②」
【聖書個所】
エペソ3:14~21:「こういうわけで、私はひざをかがめて、3:15天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。3:16どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。3:17こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、3:18すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、3:19人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。3:20どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、3:21教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」
【前置】
今日は、今年1月18日の「パウロの祈り、私たちの祈り①」に続き、エペソ書にあるパウロの2番目の祈りについてみことばを取り次ぐ。これはパウロの祈りでもあるが、同時に私たちの祈りでもある。何故なら、聖書は私たちの信仰の規範であり、私たちが如何に信仰生活を送ったらよいかを教えているものだから。イエス様が弟子たちに教えた主の祈りにより、また、パウロの祈りにより、私たちは祈りについて学ぶことが出来る。
【本論】
先ずここでは、祈りはどのように、また誰に対してささげるものであるかが教えられている。
V14~V15:「こういうわけで、私はひざをかがめて、3:15天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。」
「こういうわけで」というのは、前回も語ったが、神はこの世界の初めからキリストのうちに私たちを選び、その選びにより、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、誰でもがキリストにあって一つに集められ、「新しい一人の人に造り上げられる。」という神の救い計画が立てられたので、パウロは、「私はひざをかがめて、3:15天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。」と言う。
先ず、「私はひざをかがめて」というが、祈りは必ずしも「ひざをかがめて」祈らなければならないものではない。祈りは立って祈ることも出来るし、椅子に座って祈ることも出来る。寝て祈ることも出来る。この「ひざをかがめて」というのは、実際に祈る姿勢のことではなく、内面の在り方を言っている。
1904年、イギリスのウェールズでリバイバルが起きた。その時のことだが、エバン・ロバーツという一人の炭鉱労働者の青年が、9月22日にある教会で開かれた集会に参加した時、その集会の霊的雰囲気が余りにも冷え切っていたので、絶望の余り、「主よ。私たちを祈り曲げてください。私たちを祈り曲げてください。」と祈って、床にひれ伏した。それ以来、彼はその祈りを祈り続け、10月30日に彼は神の声を聞き、その教会で青年たちに説教を始めた。その時以来、悔い改めと回心の霊が教会に臨み、そこからリバイバルが始まって行ったと言う。この「折り曲げてください」、これが「ひざをかがめて」の祈りです。また、やはり18世紀のイギリスのイングランドの伝道者ジョン・ウェスレーが長年暮らしていた家の寝室のベッド脇の床には、彼がいつもそこで跪いて祈っていたので、その所に凹みが出来ていたと言う。それも「ひざをかがめて」祈る祈りだが、そのように、パウロも「ひざをかがめて」祈ったと言う。
誰に祈ったのか?―V15:「天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。」と言っている。「天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名」とは何のことか?―ここでの「家族」とは普通の家族という意味の言葉ではなく、原語は「パトリア」という言葉が使われていて、それは、祖国、故郷、父の国というように、大きく広い集合的意味の家族のことで、また、ある聖書で、「信仰共同体」という言葉が使われているように、「一つの神の家族」を指す。そして、その「名の元である父」の「父」は、原語で「パテル」で、これは文字通り「父」を表わし、私たちにとっては、天の父なる神のことです。
※パウロはこのように、「一つの神の家族」の元である「父なる神様」に、ひざをかがめて祈ると言う。これが、私たちの祈りである。何故なら、私たちはこの方によって選ばれ、信仰が与えられ、救われ、この一つの神の家族の一員になったからです。
では、その神様に私たちは何を祈るのか?―それがV16~V19に記されている。
(1)私たちの内なる人が強められるように:
V16:「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」
「内なる人」というのは、私たちが救われて、罪赦されるまで死んでいた私たちの霊のこと。それは神の霊でもある。つまり、霊的存在としての私たちの本来の姿、自分自身のこと。私たちは罪を犯したアダムの子孫として生まれたので、生まれながらには、霊である神から離れて死んでいた。それを罪という。しかし、そんな私たちを救うためにイエス様が贖いのみわざを為して下さった。なので、それを信じた私たちの死んでいた霊は新しくされ、父なる神と繋がって生きる者となった。それが新生のこと。だから、信仰生活というのは、この内なる人が新しくされ、強められて行く生活です。だから、私たちはそのことを求めて祈るのである。
(2)キリストが私たちの内に住んでいてくれるように:
V17a:「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。」
「信仰」というのは神との関係、つながっていること。だから、私たちがキリストを信じているなら、キリストは私たちのうちに住んでいて下さるのである。ただキリストが黙って何もしないで住んでいて下さるというだけでなく、前の箇所で、「内なる人を強くしてくださいますように。」とあったように、キリストが私たちのうちに黙って静かに住んでいるだけでなく、キリストが私たちの内でもっとはっきりと現われてくれるようにということも含めた祈りです。
※これは、信仰による成長とか聖化とか言う、私たちの信仰生活における永遠のテーマでもある。
(3)人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることが出来るように:
V17b~19a:「また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、3:18すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、3:19人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」
これも私たちの信仰生活のテーマであり、永遠のゴールである。キリストの愛がどれほど大きなものであるのか、それは、私たちの人知をはるかに越えた大きなものであるが、それを理解し、知ることは私たちの大きな願いである。そのために大切なことがここで語られている。-それは、「愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが」とあるように、私たちの信仰や行ない、私たちのすべてが「愛に根ざし、愛に基礎が置かれて」いなければ、意味がないということです。
Ⅰコリント13:1~8a:「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。13:2また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。13:3また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。13:4愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。13:5礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、13:6不正を喜ばずに真理を喜びます。13:7すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。13:8愛は決して絶えることがありません。」
そしてこの愛は、ある律法学者がイエス様に、「律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」(マタイ22:36)と尋ねた時、イエス様が彼に答えた愛のことでもある。
マタイ22:37~39:「そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』22:38これがたいせつな第一の戒めです。22:39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。」
※聖書は、その人知をはるかに越えた大きな愛を、私たちが理解し知ることが出来るように祈りなさいと語っている。だから、そのように祈ろう。
【結論】
エペソ3:19b:「こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」
まとめであるが、内なる人が強められることにより、キリストが私たちのうちに住んでいてくださることにより、人知をはるかに越えた大きな神の愛を理解し、知ることにより、神の霊に、神の性質に、神の力に、神の愛に、神のすべてに豊かに満たされるように祈りなさいと言う。
最後は、それらを可能にして下さる神への頌栄の祈りです。
V20~V21:「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、3:21教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」
―祈り―
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