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2026. 5.10. 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

  • 10 分前
  • 読了時間: 6分

【タイトル】

エペソ書(11)「一つとされる神の召し」

【聖書個所】

エペソ4:1~6:「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。4:2謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、4:3平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。4:4からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。4:5主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。4:6すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」

【序論】

 パウロはV1で、「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」と言っている。神様はある目的をもって私たちを召して下さった。その目的とは何か?―結論を言う。その目的は、神様と私たちとが一つとなることです。神様は私たちをご自身と一つとされるために召して下さったのです。「一つとなる」とはどういうことか?

【本論】

V2~V3:「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、4:3平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」

 この箇所を読むと、ある箇所を思い出す。「御霊の一致」、御霊なる神様との一致によって結ばれる「御霊の実」について記されているガラテヤ5章です。

ガラテヤ5:16~18:「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。5:17なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。5:18しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。」

 そして、「御霊によって歩むなら」、「御霊によって導かれるなら」、ガラテヤ5:22~23:「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、5:23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」とあるように、9つの御霊の実を結ぶのです。この御霊の実は、エペソ4:1~3で語られているように、神の召しにふさわしく歩むなら、御霊によって歩む人に結ばれる御霊の実と同じ、謙遜、柔和、寛容、愛、忍び合い=忍耐、平和という実を結ばせて下さるのです。

 「実」とは、目に見える神様の性質。神様は私たちを贖い、御自身の実、御自身の性質である「謙遜、柔和、寛容、愛、忍耐、平和」という実、ガラテヤ書で言うなら、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」という実が私たちに結ばれるようにと、私たちを召して下さった。だから、「召しにふさわしく歩みなさい。」、「御霊の一致を熱心に保ちなさい。」と言うのです。そうすれば、神様と繋がり、一つとされ、その一致によって私たちは神様と同じ性質を持つ者になるということです。これが、神様が私たちを召し、神様と一つとされる、私たちが召された目的です。

 私たちが神様と一つになれば、私たちは決して神様から切り離されることはない。以前は切り離されていた、つまり、罪の状態に置かれていたが、イエス様の贖いにより、私たちは神様と一つとなるようにと召された。この関係は、この世のどんな力によっても壊されることはない。何故なら、

V4:「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。」

 「からだ」とは、「教会はキリストのからだであり、」(エペソ1:23)とあるように、「教会」のことで、その「教会」にはさまざまな器官があるが、それらはバラバラではなく、結び合わされて「ひとつのからだ」を形成しているのだと、この後のエペソ4:11以降や、Ⅰコリント12章でも語られているように、パウロもそのことをここで言っている。

 また、「召しのもたらした望み」とは、神様が私たちを召した時に、私たちのために計画し、望んでいた望み、つまり、神様の望みのことである。神様はこの望みをもって私たちをご自身と一つになさろうとしている。神様にはそのような私たちの召しに関する望みがある。その望みをもって私たちをご自身と一つとしようとしているのです。そのことが分かるLBを読もう。

LB:エペソ4:4:「私たちはみな、一つの体の各器官です。だれもが同じ御霊様を与えられ、同じ輝かしい未来へと招かれています。」

※神がそのような望み、計画をもって私たちを召し、主と一つになるという栄光に満ちた輝かしい未来を神様は用意しておられるというのです。それは、私たちがいずれ迎える新天新地のことである。

黙示21:1~4:「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。21:2私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。21:3そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、21:4彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』」

※何という恵み、何という素晴らしい未来だろうか!―神様は、私たちが将来このようになるようにと、私たちを贖い、召して下さったのです。ハレルヤ!アーメン!続けて、

V5:「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。」

 「バプテスマ」というのは、私たちの信仰に基づいて、救い主キリスト、また神様と一体となることです。だから私たちは神様の召しにより、神様御自身と一つとされるのです。ここにも、神様が私たちを召された目的である「神様と一つとされる」という神の召しの目的が語られている。

【結論】

V6:「すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」

 この神様の私たちに対する召しの目的も含め、結局神様がすべてを治めておられるということです。神様が私たちのアルファでありオメガであり、初めであり終わりであり、最初であり最後である、神様がすべてのすべてであって、すべての根源であり、また目的でもあるということです。このことは余りにも深遠で、理解することは難しい。だからパウロは次のように言っている。

ローマ11:33~36:「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。11:34なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。11:35また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。11:36というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」

 このように、神様の私たちに対する召しに関するみこころは計り知り難いが、私たちはその神様の偉大さと恵み深さを覚え、ただ感謝をささげ、礼拝し、従い歩んで行きたいものである。

―祈り―

 
 
 

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