2026. 4.12. 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
- 4月19日
- 読了時間: 8分
【タイトル】
エペソ書(9)「キリストの奥義の理解と実行」
【聖書個所】
エペソ3:1~13:「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。3:2あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。3:3先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。3:4それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。3:5この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。3:6その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。3:7私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。3:8すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、3:9また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現が何であるかを、明らかにするためです。3:10これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、3:11私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画によることです。3:12私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。3:13ですから、私があなたがたのために受けている苦難のゆえに落胆することのないようお願いします。私の受けている苦しみは、そのまま、あなたがたの光栄なのです。」
【前置】
今日はエペソ3:1~13から、「キリストの奥義の理解と実行」というテーマでメッセージを語る。皆さんは、「奥義」というものをどう思うか?―「奥義」というのは、「奥義を極める」という言葉があるように、何かの技、例えば、剣道や柔道や茶道等のように、「〇〇道」という「道」という字の付く技の世界において、その世界を極めて行くことであり、その極まった所に在るのが、その道における奥義です。そして、私たち信仰者もそのことと無縁ではない。何故なら、私たちがイエス・キリストを信じて歩む信仰生活、またイエス・キリストを証しする生活のことを、初代教会の時代では「この道」と呼び、その道を歩む人たちのことは「この道の者」と呼ばれていたからである。
使徒9:2:「ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」
これは、パウロがまだサウロと呼ばれていた時、熱心なパリサイ人として、クリスチャンたちを、モーセの律法に背き、新しい教えを広め、人々を神から引き離しているかのように思って迫害を加えていた時のパウロのことを語っている箇所。聖書は、当時のクリスチャンたちは、「この道の者」と呼ばれていたことを記している。どうしてそう呼ばれたのか?―それは、当時のユダヤ人たちはモーセの律法を守ることを彼らの生き方の規範、道としていたが、クリスチャンたちは行いよりも信仰が大事であり、モーセの律法は守らなくても良いように教えているかのようにユダヤ人たちは思い、彼らを自分たちとは異なる道を歩む者として、「この道の者」と呼んだのである。しかし、事実はそうではなく、モーセの律法を守ることも、イエス・キリストを信じる道も変わることなく、神のみこころに生きることであることをユダヤ人たちは理解出来ていなかったのである。イエス様もパウロも、モーセの律法そのものは神のものであり、聖いものであると語っていた。(ヨハネ5:46、ローマ7:12)
なので、私たちも剣道や柔道、茶道の世界の人たちと同じように、「この道」、イエス・キリストを信じて歩む道を歩んで行きたい。それも、その奥義を理解し、実行し、極める者として歩んで行きたい。今日はそのためのメッセージ。
【本論】
V1~V4:「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。3:2あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。3:3先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。3:4それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。」
パウロはここで、神から私に与えられたエペソの兄姉に対する私の務めは、神の奥義として神から啓示によって与えられたものだと言い、その「キリストの奥義」の内容は既に書かれていて、それを読めば分かるはずだと言っている。その既に書かれていた「奥義」とは、1章に記されていたことである。
エペソ1:7~11:「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。1:8この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、1:9みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、1:10時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。1:11この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。」
この箇所を学んだ時に語ったように、パウロは、私たちの救いというのは、神の恵みにより、キリストにあって予め立てられた計画によるものであり、異邦人もユダヤ人もキリスト・イエスにあって一つに集められて御国を受け継ぐ者とされることなのだと言った。それが、「先に書いた通り、…啓示によってパウロに知らされた。」ということ。だから、
Ⅴ4:「それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。」と言ったのです。そして、そのことはⅤ6でも繰り返されている。
V6:「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」
そしてパウロは、Ⅴ5で、「この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。」と言って、神の奥義である神の救いの計画は、イエス様が現れる前までは限られた預言者だけにしか啓示されていなかったが、今はその啓示が自分にも与えられたのだと言っている。それも、Ⅴ8a:「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは」と言って、さっきパウロがサウロと呼ばれていた時にはクリスチャンたちを迫害していたのにも拘わらず、主はこんな自分を選び、啓示を与えて、神の救いの計画という奥義を宣べ伝える者にして下さったことを、その務めの内容と目的を含めて、Ⅴ7~V11の箇所で語っている。
V7~V11:「私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。3:8すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、3:9また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現が何であるかを、明らかにするためです。3:10これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、3:11私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画によることです。」
「今、天にある支配と権威」というのは、天にいる御使いたちのことで、私たちの奥義を宣べ伝えるという働きは、人々に対してだけでなく、天にいる御使いたちに対してさえ行なうものであるということが語られている。それは、私たちだけが唯一の神の似姿に造られた神の子、神の被造物だからです。御使いたちさえも私たちに仕えるのである。
ヘブル1:14:「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。」
これが私たちの真実の姿です。神は御使いたちにでさえ教えない神の奥義を私たちに啓示して下さるのです。何という特権だろうか!―だから、エペソ3:12:「私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。」
この啓示を理解し実行することにより、私たちはますます大胆に神に近付き、神の似姿へと造り変えられて行くのです。それは、神が永遠の昔から定めていた永遠の救いの計画だからです。ハレルヤ!
V13:「ですから、私があなたがたのために受けている苦難のゆえに落胆することのないようお願いします。私の受けている苦しみは、そのまま、あなたがたの光栄なのです。」
パウロはこの手紙をローマで軟禁されている時に書いている。「私があなたがたのために受けている苦難」というのはそのこと。しかしパウロは、「私の受けている苦しみは、そのまま、あなたがたの光栄なのです。」と言う。何故なら、それは私たちが異邦人もユダヤ人も、キリスト・イエスによって一つに集められ、神の栄光を現わす者として完成されるという神の救いの計画の実現のことでもあるからです。
※これが、「万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義」(Ⅴ9)という、神の永遠の救いの計画、神の奥義なのです。パウロはそれを神の啓示によって理解し、そしてどんなことがあってもそれを実行しているのである。その力は、「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは」(V8)という、神の恵みによる彼の召命観にあるのです。
【結論】
私たちはどうだろうか?―私たちも同じである。私たちは皆、かつてはパウロと同じように神に背を向ける者であった。しかし、そんな私たちでさえ、神は召して下さり、パウロと同じようにこの奥義に仕える者として下さった。だから奥義を実行して行こう。奥義を実行することに生きて行こう。
―祈り―
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