2026. 3.15 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
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【タイトル】
「神の霊によって建てられる」
【聖書個所】
ゼカリヤ4:1~10:「私と話していた御使いが戻って来て、私を呼びさましたので、私は眠りからさまされた人のようであった。4:2彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」そこで私は答えた。「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。4:3また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一本はその左にあります。」4:4さらに私は、私と話していた御使いにこう言った。「主よ。これらは何ですか。」4:5私と話していた御使いが答えて言った。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」4:6すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの【主】のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の【主】は仰せられる。4:7大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」4:8ついで私に次のような【主】のことばがあった。4:9「ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた。彼の手が、それを完成する。このとき、あなたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わされたことを知ろう。4:10だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。これらは、ゼルバベルの手にある下げ振りを見て喜ぼう。これらの七つは、全地を行き巡る【主】の目である。」」
【導入】
この箇所は、神がゼカリヤに見せた終末預言としての幻とそのみことばの箇所。神はゼカリヤ書の中でゼカリヤに8つの幻を見せ、終末預言のみことばを語っている。その中でも特にこの5つめの幻の箇所は、直接的にはバビロン捕囚から解放された総督ゼルバベルと祭司ヨシュアたちが、バビロンによって破壊された神殿の再建工事のことを言っているが、そのこととダブらせながら、終末の神の民と教会がどうなって行くのか、神が終末の時代の神の民と教会をどう成そうとしているのかについて、神が語っているところ。つまり神の民であるイスラエルの民と、神の宮である教会、また私たち自身のこれからのこと、将来のことが語られているのである。メッセージの中心は、直接的にはイスラエルの神の民、神の宮、教会に関することだが、私たち一人ひとりに関することでもある。何故なら、神の宮とは私たち一人ひとりのことでもあるからです。
Ⅱコリント5:1~5:「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。5:2私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。5:3それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。 5:4確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。5:5私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。」
パウロはコリントの兄弟姉妹に、私たちの住まいである体は、幕屋、神殿であると言っている。そして、住まい、幕屋にも二つあって、地上の住まいと天から与えられる住まいがあると言っている。私たちが生きている間は、地上の住まいを着て、その中でうめくように生きているが、時が来れば、天からの住まいを着る者となると言う。それは、私たちは神の恵みによって救われて、その保証としての聖霊が与えられているからだという。ちょうど人が引越しをする時、引越し前に引越し先の家主と契約を済ませ、まだ引越しはしないけれども、いつでも引越しが出来るようにと、その家の鍵を保証として与えられているようなもの。それが私たちの救い、私たちの国籍は天にあるということです。
そのようにして、終末の時代に生きる私たちは、パウロが言うように、また、今日のゼカリヤの終末預言にあるように、その終わりの時、イエス様の再臨の時が来ると、イエス様はすべてを新しくされ、私たちの救いを完成されると言う。それは黙示録の新天新地の到来の箇所にも記されていた。
黙示録21:3~5b:「そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、21:4彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』21:5すると、御座に着いておられる方が言われた。『見よ。わたしは、すべてを新しくする。』」
そして、今日のゼカリヤの箇所は、その終末の完成の出来事が終末預言として語られている所。何の完成か、また、それは何によって完成されるのか、それが今日のメッセージのポイントです。
【本論】
結論から言う。「何の完成についてか?」については、初めに言ったように、それはイスラエルの神の民、神の宮、教会と教会である私たちの完成のこと。「何によって完成されるのか?」については、それは「神の霊によって」ということである。今日のゼカリヤ書の箇所を見てみよう。
ゼカリヤは初めに「二本のオリーブの木」の幻を見、その木の傍に、そのオリーブの油が流れ込む「七本の管と、その管が付いている七つのともしび皿のついた一つの燭台」の幻を見た。
V2~V3:「彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」そこで私は答えた。「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。4:3また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一本はその左にあります。」
この金の燭台とは何か?その燭台のともしび皿に管を伝って油を注ぐオリーブの木とは何か?―それは、「燭台」は教会を指し、「二本のオリーブの木」は、このゼカリヤ4:14、また黙示録11:3~4で言われている「二人の油注がれた者」のことを指している。
黙示録1:20:「わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。」
黙示録11:3~4:「『それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。』11:4彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。」
ゼカリヤ4:11~14:「私はまた、彼に尋ねて言った。『燭台の右左にある、この二本のオリーブの木は何ですか。』4:12私は再び尋ねて言った。『二本の金の管によって油をそそぎ出すこのオリーブの二本の枝は何ですか。』4:13すると彼は、私にこう言った。『あなたは、これらが何か知らないのか。』私は言った。『主よ。知りません。』4:14彼は言った。『これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ。』」
黙示録11:3~4で語られている「ふたりの証人」が「二人の油注がれた者」のことで、終末の時、彼らは主を証しするが、そのために反キリストによって殺され、殉教する。しかしその後、二人に神の霊が注がれて立ち上がる。そして天に上って行くとこの後記されている。
このように終末の時代である今日、神は神の霊によって、ご自身の教会、また私たちを建て上げ、完成されるのである。これが「何によって完成されるのか?」ということ。
ゼカリヤ4:4~6:「さらに私は、私と話していた御使いにこう言った。「主よ。これらは何ですか。」4:5私と話していた御使いが答えて言った。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」4:6すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの【主】のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の【主】は仰せられる。」
「権力」というのは、経済力とか軍事力とかいうような、国が持っている力、「能力」というのは、人間ひとりひとりが持っている力のこと。しかし神は、終末におけるイスラエルの国、神の民、そして教会をそのような力によって建てるのではなく、神の霊によって建て、完成するのだと言う。
イエス様は、イエス様を「あなたは生ける神の御子、キリストです。」(マタイ16:16)と信仰告白をしたペテロにこう言った。
マタイ16:17~18:「するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。16:18ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」
イエス様はペテロに、また同じように神によって信仰告白が与えられた私たちに対しても、教会は主御自身によって、主の霊、神の霊によって建て上げられるものであることを明らかにしている。
ゼカリヤ4:7:「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」」
歴史的に、ゼルバベルとヨシュアたちはエルサレムに帰還して、破壊された神殿の再建工事を始めたが、その地にいたユダヤ人ではない人々の妨害にあって約17年間工事が中断した。そのことはエズラ記に記されているが、そのように、異邦の地で、また信仰者の居ない地で神の教会を建てようとすると、必ず何らかの妨害、問題が起こる。しかし神は、それらの敵に対してこう言うのである。「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。」と。そして、神の神殿、教会、神の民を建て上げようとする者は、「『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」と言う。
「かしら石」とは、イエス様が民の長老や祭司長たちに、「家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石となった。これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。」(マタイ21:42)と、イザヤ28:16の預言を引用して、ご自身を神の家の「かしら石」、教会、神の宮の「かしら石」として語った言葉である。神の民であるイスラエル人たちが、本来ならばメシヤであるイエス様を「かしら石」として、彼らの国を、彼らの神殿を建てなければならないものを、その「かしら石」であるイエス様を十字架につけてしまった。しかし神はその「かしら石」であるイエス様の上に教会を、神の家を、神の国を建てるというのである。だから不思議であり、だから「『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」と言う。「恵み」というのは、本来受ける資格のない者が、神の一方的な恩寵、特別なご好意によって与えられる贈り物のこと。だから不思議なのである。その恵み、不思議によって、神の教会、神の家、神の国は建てられて行くのである。
【結論】
時間がないので結論をまとめるが、私たちの教会、BCFもそう。何度も引用するが、BCFはダニエル2:34~35で預言されていたように、神の恵みによってNLMから切り出された石である。
ダニエル2:34~35:「あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。2:35そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。」
燭台の幻を見たゼカリヤに対して神が次のように語ったように、BCFの教会、神殿は今は小さいもののように見えるかもしれないが、やがてダニエルの見た幻、預言にあるように、大きくなって完成する。だから、決して今の状態でがっかりしたり、不安に思ったりしてはならないのである。
ゼカリヤ4:8~10:「ついで私に次のような【主】のことばがあった。4:9「ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた。彼の手が、それを完成する。このとき、あなたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わされたことを知ろう。4:10だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。これらは、ゼルバベルの手にある下げ振りを見て喜ぼう。これらの七つは、全地を行き巡る【主】の目である。」」
「【主】の目」とは、主がいつも見ておられ、主が完成される、成されるということである。
―祈り―
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