2026. 2.22 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
- 2 日前
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【タイトル】
霊的戦い(12)「胸には正義の胸当てを着け」
【聖書個所】
エペソ6:14c:「では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、」
【前置】
前回に引き続き、エペソ6章から霊的戦いについて学ぶ。今日は、Ⅴ14c:「胸には正義の胸当てを着け」の箇所から、「正義の胸当て」という武具について。
先ず今日のメッセージを始めるに当たり、予め知っておかなければならないことは、前回も言ったが、Ⅴ12にあるように、私たちの戦いは「血肉」、つまり、私たちのように血と肉を持っている存在である人間に対するものではなく、「主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するもの」、即ち、悪魔とそれに属する悪しき霊的存在に対するものであるということです。
次に、これも前回言ったが、その武具がどんなものであっても、それは「神のことば」であるということ。そして、それらが「神のことば」である以上、それらは「神のもの、神の武具」なのである。
V11:「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」
この世にはさまざまな武具、兵器がある。その最たるものは核兵器。その威力は日本の国は経験している。今でもはっきりとその人数は分からないそうだが、というのは、余りにも一挙に多くの人が亡くなったためで、広島では14万人ほどの人が、長崎では7万4千人ほどの人が亡くなったと推定されている。そして、もっと恐ろしいのは、現在ではもっと威力の大きな核兵器が開発されていて、ツァーリ・ボンバという、広島・長崎の原爆の3,300倍もの威力のある核兵器、水素爆弾がロシアによって造られた。その威力をアメリカのある研究所が、それがニューヨークのタイムズ・スクゥエア上空に落ちたとしたら、広島・長崎型と比べてどう違うかとシュミレーションしてみたら、広島・長崎型の場合、死者が60万、負傷者が100万、ツァーリ・ボンバの場合、死者700万、負傷者600万人以上の被害が出ると言うことだった。
しかし、たとえ人の作った核兵器がどんなに破壊力があっても、神の武具にまさることはない。それは何故か?―ツァーリ・ボンバのように、人間の作った武器や兵器が仮令人間や町を大量破壊することが出来ても、決して一人の人間の霊でさえ滅ぼすことは出来ないからである。それらはあくまでも血肉に対するものであって、霊的戦いの武具ではない。だからパウロははっきりとこう言っている。
V11:「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」
悪魔が私たちに戦いを仕掛ける目的はただ一つ。それは私たちを滅ぼすためである。ただ単にツァーリ・ボンバのように物理的に私たちを滅ぼすためではなく、私たちを神から離し、霊的に滅ぼすためである。何故なら、悪魔はアダムとエバを騙し、神が彼らに与えたこの世を支配する権威は奪い取ることは出来たが、アダムとエバから騙し取ったこの世の支配権を取り返し、悪魔に制せられていた私たちを悪魔の手から奪い返すために来られた、終わりのアダムであるイエス様に対しては、悪魔は完全に敗北してしまったので、悪魔は何とかして私たちをイエス様の手から引き離そうと、私たちに対して戦いを挑むのである。その「何とかして」というのが、Ⅴ11で言う「悪魔の策略」であり、悪魔の用いる霊的武具である。どんな策略、どんな霊的武具を悪魔は用いるのだろう?―それは前回も言ったように、先ず、①偽り、欺きの策略、武具である。それについては、前回のV14b:「腰には真理の帯を締め」で学んだように、「真理の帯」である神の言葉をしっかりと身に付けることである。
次に、私たちに、また誰かに、また神に対して、②誹謗、中傷、告発するという策略、武具です。そこには本当のこともあれば、偽りもある。本当のことであるなら、それによって私たちに罪責感や羞恥心を抱かせ、神から引き離すことが出来る。また、それが兄姉や人間関係の中で行なわれれば、分断、対立、敵意、戦いが引き起こる。そうしてますます私たちを神から引き離す策略である。しかし、神に対する告発に対しては、私たちはイエス・キリストの贖いによって救われているので、キリストがいつも悪魔と神との間に立って執り成していて下さるから、大丈夫なのです。
ローマ8:33~34:「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。8:34罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」
勿論、私たちは罪を犯したら悔い改めなければならない。でなければ罪責感や羞恥心、落ち込みがどんどん酷くなって行く。どんなことになっても、救いそのものを失うことはないが、悔い改めなければ、それらが酷くなって行く。だから、罪を犯したら悔い改めよう。
次に、悪魔が用いる策略、武具は、③不安や恐れを与えるという策略、武具。これは、先ほどの羞恥心や罪責感と似ているが、それは悪魔の偽りや欺き、また誹謗、中傷、告発、脅しによって、私たちの心に引き起こされるものである。しかしこれらも、前回学んだように、真理の帯をしっかりと身に付けているなら、また、これから学ぶ霊的武具を身に付け、手に取っているなら、決して敗北することはなく、悪魔に勝利することが出来るのである。ペテロはそれについて、こう言っている。
Ⅰペテロ5:8~9a:「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。5:9a 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」
また、ヤコブも次のように言っている。
ヤコブ4:7:「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」
4番目は、④目の欲、肉の欲、金銭欲を引き起こさせる策略、武具です。エバが罪を犯してしまったのも、ダビデが罪を犯してしまったのも、イスカリオテのユダが罪を犯したのもこれがあったから。聖書で、これらのために罪を犯したケースを挙げれば、枚挙にいとまがない。また、欲そのものは罪ではない。問題は何のためにその欲を働かせるかである。これについては、また別の機会に学ぼう。
最後に悪魔が用いる策略は、⑤無関心、無感動という冷たい心を引き起させるという策略、武具です。イエス様は終わりの時代になるとそのような武具が使われるようになると言っている。
マタイ24:12:「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」
その他、疑いや不信仰、盲信や依存など、偽りや恐れ、必要や弱さに付け込んで、私たちを神から引き離そうとする悪魔の策略がある。しかし、それらのものがどんなものであっても、エペソ6章に記されている霊的武具をしっかりと身に付けているならば、私たちは決して神から引き離されることはない。
【本論】
さて、少し悪魔の策略についての時間が長くなったが、残る時間で、今日の「胸には正義の胸当てを着け」を見て行きたい。「胸当て」という武具は、文字通り、胸に当てる武具。この武具の目的は何?―胸、そこにある心臓や肺など、生命維持に欠かせない臓器を守るためのもの。しかし、胸だからと言って「心」を守る武具だと思わないで下さい。「心」は、Ⅴ17:「救いのかぶとをかぶり」の兜を被る頭、脳にある。でも、胸にはさっき言ったように、生命維持に欠かせない心臓や肺があり、これは脳と血管でつながっていて、どちらも重要な器官。だから、ここで言われている霊的武具は、初めに言ったように、余り体の部位がどうこうだからということよりも、そこに神の武具である神の言葉を身に付けること、手に取るということが、霊的戦いの勝利のためには重要であるということです。
では、「正義の胸当て」というものが、霊的意味でどういう武具であるのかを見よう。
「正義の胸当て」の「正義」とは、原語の聖書のギリシャ語の「ディカイオスネー」という言葉で、「神の正しさ、神の真実さ、神の聖さ」と言った神の性質を意味する言葉であると同時に、パウロがローマ6章でたびたび言及しているように、神との関係の中で罪のない者とされたということと、それ故に神の者となったという意味で、「神の聖さ、神の正義」とされたということを表わす言葉でもある。
ローマ6:17~18:「神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、6:18罪から解放されて、義の奴隷となったのです。」
「あなたは私のものになった。あなたは私の聖なるものになった。」という、神との関係性を表わす神の言葉が私たちの「正義の胸当て」です。リビング・バイブルでは、それを「神の承認という胸当て」と言っている。イエス・キリストを信じる信仰により、私たちの罪は赦され、私たちは神の義と認められ、神の聖なる者とされたということ。それが私たちが胸に身に着ける「正義の胸当て」という神の武具である。だから、それを着ていれば、ローマ8:33~34にあったように、私たちはどんな悪魔の霊的武具、策略があろうと、悪魔に対して圧倒的な勝利者となることが出来るのです。
ローマ8:33~34:「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。8:34罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」
【結論】
私たちがイエス様を信じて神の子とされ、やがてイエス様が再臨されて私たちをご自身の御国に招き入れて下さる限り、悪魔は最後まで私たちに戦いを挑んで来るだろう。千年王国の間は別にして、悪魔が火と硫黄の池に投げ込まれるまで、最後まで悪魔は私たちに戦いを挑んで来るだろう。でも大丈夫。私たちには神のものである神の武具が与えられているので、それをしっかりと身に着け、手に取って、霊の戦いを、信仰の戦いを、私たちも最後まで戦って行こう。そして、主による圧倒的な勝利をみよう。
Ⅰテモテ6:11~16:「しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。6:12信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。6:13私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。6:14私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。6:15その現れを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、6:16ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。」
―祈り―
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