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2026. 1.25 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】

霊的戦い(11「先ず真理の帯を締め」

【聖書個所】

エペソ6:14ab:「では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、…。」

【前置】

 今年も年間テーマに関するメッセージやエペソ書の講解説教の他に、霊的戦いについての学びをする。今日の聖書個所はエペソ6章で、14節~17節には霊的戦いの武具のことが記されている。今日はこの箇所から、先ず真理の帯を締めることについて語る。

【本論】

 パウロは、Ⅴ12~V13:「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」と言って今日の箇所、V14ab:「では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、…。」と言っている。

 私たちは霊的戦いをしており、その相手は「血肉」、つまり、血と肉をもっている私たち人間のようなものではなく、それらのものを持っていない、暗闇のように、眼には見えない霊的存在、悪魔と悪霊たちだと言う。そして、今はますます闇が深まり、悪の力が増大して来る時なので、それをパウロはここでは、「邪悪な日」と呼んで、その日が来ても良いように、否、もうその日が来ているので、それに備えて、悪しき力に「対抗できるように」、「いっさいを成し遂げて、堅く立つことが出来るように」、これは、それに備えて「対抗できるように」と同じことだが、それだけ、それに備えて対抗できるようにしておくことが重要なことであることが分かる。そして、そうなるようにと「神のすべての武具をとりなさい。」と言っている。その最初の武具が「真理の帯」である。その武具をどうしろと言っているか?というと、帯だから、「腰に締めろ」と言っている。

 「腰」という言葉は、原語のギリシャ語では「オスフス」という言葉が使われていて、文字通り「腰」という意味でも使われるが、比喩的に、「力が産み出る重要な場所」という意味でも使われる言葉です。

使徒2:29~31:「兄弟たち。父祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。2:30彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。2:31それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。』と語ったのです。」

 V30の「彼(ダビデ)の子孫のひとり」の「子孫」という言葉に、この「オスフス」、「腰」という言葉が使われていて、それは、イエス・キリストが救い主の働きをするダビデの子孫として生まれるということを示す重要な言葉なのである。現実に肉体的にも、「腰」という部位は非常に重要な役割を持っていて、相撲では「まわし」を腰に巻いて相撲をとるが、相手のまわしを上手にコントロール出来た方が勝負に勝つ。それは、まわしを巻いた腰の部分が力の生み出る場所として重要だからである。言葉の表現としても、「本腰を入れる。」とか、無力になっている状態を「丸腰」とか、「腰」という言葉を用いて表現するように、「腰」は重要な箇所です。しかし、場所の問題以上にもっと重要なのが、「真理の帯を締める。」ということです。

 このあと、「胸には正義の胸当て」(V14)、「足には平和の福音の備え(靴のこと)」(V15)、「信仰の大盾」(V16)、「救いのかぶと(これは頭に)」(V17)、「御霊の与える剣(これは手に)」(V17)というように、いろいろな武具といろいろな体の部位が出て来るが、それらが体の部位の何処に何が着けられていようと、どのように用いられようと、共通して言えることは、それらはすべて、Ⅴ17の最後に、「神のことばを受け取りなさい。」とあるように、すべて「神のことば」であるということです。ヘブル4:12:「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」というみことばがあるからと言って、「剣」だけが神の言葉ではなく、霊的武具に関しては、すべてが「神のことば」なのです。このことが重要です。

 イエス様が公生涯の前に40日40夜の断食をした後で悪魔と戦われた時、イエス様は悪魔とどう戦われたか思い出してほしい。(マタイ4:1~11)イエス様は徹頭徹尾、神の言葉をもって悪魔と戦い勝利した。だから、神のことばによって戦えば、私たちはどのような霊的戦いに遭っても勝利するのである。特に、神のことばは真理であり、光と闇の戦いのように、真理のあるところには偽りは存在することが出来ず、偽りは真理に打ち勝つことは出来ないからです。なので、先ず真理の帯を締めることが重要です。みことばの帯を締めることが重要です。それを欠かしてしまうと、霊的戦いにおいて負けて滅んでしまうのです。次の聖書個所を見てください。

マタイ10:6:「イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。」

 これは、イエス様が12弟子を選び、彼らに汚れた霊どもを制する権威を与えて宣教、つまり霊的戦いに遣わす時に彼らに語った言葉です。イエス様はどうして「イスラエルの家が滅びた羊」と言われたのか?―それは、イスラエルの民は、神からみことばに従って生き、信仰によって霊的戦いに勝つように選ばれた民であったのにも関わらず、彼らはみことばに従うこともなく、不信仰、不従順に陥って、霊的戦いに敗北してしまったからである。しかし、神はイスラエルの民がどんなに不信仰であって、不従順であっても、決してご自身が選ばれた民を捨てることはない。それでイエス様は、その「イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。」と言われたのである。そして、V7~V8:「行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。10:8病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」と言われた。

※これが、イエス様の弟子である私たちの霊的戦いです。その戦いに勝利するために重要なのが、先ず真理の帯を締めることなのです。「締める」とは、原語のギリシャ語では「ペリゾヌーミ」という言葉が使われていて、それには「力を授ける」という意味もある。私たちは、みことばの真理によって、私たちがどういう者であるのかを知り、その真理によって力を受け、悪魔や悪霊たちの偽りに惑わされずに、偽りを退けて戦うことが出来るのである。

 悪魔や悪霊たちがどういう者であるか、彼らにとっての霊的戦いにおける武器は何であっただろう?

ヨハネ8:44b~e:「…。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。」悪魔や悪霊たちは偽り者であり、

黙示12:10:「そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。」悪魔や悪霊たちは、私たちを告発する者である。

 

​ 悪魔や悪霊たちの武器は、偽りと告発である。しかし、どんなに悪魔や悪霊たちが私たちに偽りを言っても、また告発をしても、私たちは、真理の帯を締めていれば彼らに打つ勝つことが出来る。何故なら、私たちには神の真理のみことばを武器として持っているのであり、また、私たちは神の子として、神によって選ばれた神の民として、またキリストの弟子として、霊的戦いにおいてイエス様の権威の下にあるからです。言い換えるなら、権威の衣を私たちは着ているからです。その真理、神のことばを知っているからです。身に付けているからです。

マタイ28:18~20:「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。28:19それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、28:20また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』」

【結論】

 この一年、先ずしっかりと真理の帯を締めよう。みことばを身に着けて、みことばによって歩もう!そうすれば、勝利の生活です!

―祈り―


 
 
 

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