2026. 1.11 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
- treeoflifechristch
- 1月19日
- 読了時間: 7分
【タイトル】
「主をほめたたえよう!②」
【聖書個所】
エペソ1:7~14:「私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。1:8神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、1:9みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、1:10時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、1:11私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。1:12それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。1:13またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」
【序論】
V7:「「私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。」
先週はエペソの講解説教の1回目として、今年の私たちのテーマである、「私たちは主によって召された者として、その召しに相応しく歩もう。」に倣い、その召しに相応しく歩むということの一つが、主をほめたたえることだと学んだ。その理由は、主がこの世界の基の置かれる前から、私たちをそのような者にしようと、あらかじめ定めておられたからだということでした。つまり、私たちは神によって、この世界の造られる前から、そのようにあらかじめ選ばれ、召されていたのだということです。だから、私たちは今日も主を礼拝し、主をほめたたえているのです。このことは何という幸いだろう。これを聖書は神の恵みという。そして、V8~9a:「神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、1:9みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。」と言っている。
「みこころの奥義」とは、今まで語って来たように、神が御子によって、この世界の基の置かれる前からあらかじめ立てていた、私たちを救おうという神の救いの御計画のことです。今日は、この「みこころの奥義」に焦点を当て、召された者として、だから神をほめたたえる者とされて行きたいと思う。
【本論】
パウロは、この「みこころの奥義」、つまり、私たちの救いに関する神の計画についてこう言っている。
(1)それは、神の時に従い、その時が来れば必ず実現するというものであるということ。
V9b~10a:「それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、1:10時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。」
父なる神様は私たちを救うため、時を定めて、救い主である御子を私たちに送って下さった。それが二千年前のイエス様の御降誕のこと。そのことは、ダニエル書やミカ書、イザヤ書などで預言されていて、そしてその通りに実現した。パウロはそのことをガラテヤ書で次のように言っている。
ガラテヤ4:4:「しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。」
そしてこの救い主イエス様は、御自分が十字架に架かられる前に、人々に次のように語っていた。
ヨハネ12:32:「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」
これは、実際にはイエス様の再臨の時に起こることでもある。
Ⅰテサロニケ4:16~17:「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、4:17次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
また、これは主と一体となるというバプテスマという点から見るならば、次のようなことでもある。
エペソ4:4~6:「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。4:5主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。4:6すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」
※私たちはこのように、誰であっても時が来れば、救い主イエス様を信じる信仰により、そのお方の下に集められ、一つになるのである。黙示録の「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。」(黙示21:3)も同じことです。次に、
(2)「御国を受け継ぐ者となった。」ということ。
V11~V12:「この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。1:12それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。」
ここにも、「私たちはあらかじめこのように定められていたのです。」とあるように、神様の「あらかじめの御計画、あらかじめのみわざ」が語られている。
※神様によって立てられた「あらかじめの計画」、「救いの計画」は、時が来れば必ず実現するのです。次に、
(3)「『みこころの奥義』の実現の保証である聖霊が与えられた。」ということ。
V13~V14:「またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」
計画、あることが実現するには保証がなければならない。だから私たちは何かをする時に契約を結ぶ。それが保証になるからである。私たちの救いに関してもそうである。
※神様は私たちを救おうとあらかじめご計画を立てられた。そして、それを契約として残された。それが聖書、旧約、新約の聖書、契約の書です。そして、それを確かなものにするのが、聖霊様です。聖霊様は目には見えませんが、みことばと共にいつも働かれて、みことばにある事を実現させるのです。
前回、「召し」は、何かが実現する時の計画のようなものだと言った。人が何かを作ろうと思う時、先ずイメージから始まり、それをデザインし、そして実際に製造し完成させる。そうすると物が出来上がるわけだが、その時、どんなことが起きているのだろうか?
私が医療機器メーカーで働いている時、図面を引いて、下請け工場で製造してもらっていた。そして、完成したら工場に行って検査をし、設計通り出来ていれば、合格印を押す。また、最終完成品のための部品を作る場合でも、また市販品を購入する場合でも、部品の段階で検査をする。そして合格したものだけを使って最終製品を完成させる。そのように、完成したものには合格という印が押されるのである。
私たちの救いの場合もそう。救いは神があらかじめ立てた計画に基づきデザインされ、製造され、そして完成する。
その時、神も同じように合格印を押すのである。聖書はそれを聖霊様であると言っている。
V13~V14a:「またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。1:14聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。」
私たちの救いに関しては、神があらかじめ、最初の段階から最後の段階まで、すべての段階で神が関わられ、そして完成される。そして完成したら合格印を押して、こう言うのです。「あー、上出来だ!何て素晴らしい!とほめたたえるのです。聖書的に言うなら、神がアダムからエバを造られた時に、アダムがエバに「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。」(創世記2:23)と言ってほめたたえたようにである。これが証印、保証としての聖霊様です。そして、それが為される理由が、「これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」(V14)なのです。
【結論】
だから私たちも、私たちをそのように救ってくださった神に対して、神をほめたたえよう!
V14:「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」
―祈り―
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