2025. 7.20 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
- treeoflifechristch
- 11 分前
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【聖書個所】
黙示録19:11~21
【タイトル】
黙示録(35)「主の再臨とハルマゲドンの戦い」
【前置】
いよいよ黙示録のハイライトである主の再臨とハルマゲドンの戦い(黙示録19:11~21)、キリストの千年王国の到来(黙示録20:1~6)、悪魔の滅びと大きな白い御座での裁き(黙示録20:7~15)と新天新地の到来とその完成(黙示録21:1~22:5)の箇所に入って行く。今日はその1回目の「主の再臨とハルマゲドンの戦い」のところ。
【聖書個所】
黙示録19:11~21:「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。『さあ、神の大宴会に集まり、王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。』また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。」
【本論】
この箇所は、Ⅴ11~V13に、「白い馬」に乗っている方、「忠実また真実」と呼ばれる方、「義をもって裁きをし、戦いをされる」方、「燃える炎」のような目をもって、「頭には多くの冠」を持っている方、また、「血に染まった衣を着ていて、その名は、『神のことば』と呼ばれた」方とあるように、イエス様の再臨について語られているところである。ただ、問題はその再臨がいつかと言うことに関していろいろな議論や説があること。例えば、主の再臨は患難期の前に空中再臨があり、患難期の後に地上再臨があって、それから千年王国が来るというディスペンセーション主義的「患難期前千年王国説」と、患難期が終わった時に空中再臨と地上再臨が順次起こり、それから千年王国が来るという、「患難期後前千年王国説」、私はこれを支持する立場。また、主の再臨は千年王国が終わってから起こるという「後千年王国説」、最後に、文字通りの千年王国というのは無く、今が千年王国であって、私たちが地上で神の国を作ると、回復神学者たちは、これを「回復する」という言葉を使うが、私たちが地上に神の国を作ると、その時にイエス様が再臨されて最後の裁きを行い、そして新天新地に入るという「無千年王国説」の、主の再臨に関しては主に4つ、患難期の中間で再臨すると言う説を入れると5つの説がある。(末尾図表参照)ただ、重要なこととして覚えていなければならないことは、「いつ」というタイミングのことより、主は必ず再臨され、最後の裁きをなさるということです。
ただ一般的には、この後ハルマゲドンの戦いのことが記され、20章に入って千年王国のことが語られているので、主の再臨は千年王国の前という理解が多い。米国の福音主義的教会の間では、約65%が患難期前、中、後に関わらず、前千年王国説を支持していて、無年千王国説が13%、後千年王国説が4%と言う。残りの18%は「その他?」。
そして、その再臨の時は、その主と共に、V14:「天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。」とあるように、まっ白い、きよい麻布を来た天にある軍勢が、主と共に一緒に来るのである。この「まっ白い、きよい麻布を来た天にある軍勢」とは誰か?―ディスペンセーション主義の患難期前空中携挙説を信じる人たちに言わせると、それは教会、クリスチャンであると。しかし、患難期後空中軽挙&地上再臨を信じる私は、この後20節で「第一の復活」という言葉が出て来るように、自らの神信仰のために殉教した人々、また、黙示録6:9~11の箇所に出て来る、白い衣が与えられ、信仰のために殉教し、祭壇の下で、殉教する人の数ば満ちるまで待つように言われた人々、つまり、異邦人もユダヤ人も含めた真の信仰者のことではないかと思う。
いずれにしても地上再臨の時は、主はこの地上に天の軍勢である神の民と共に来て、地上での最終戦争であるハルマゲドンの戦いをし、私たち主の民と共に1000年の間この地を治められるのである。そのことは、黙示録5章の、終末における神の計画が記されている巻き物にある七つの封印が解かれる前に、御座に居た4つの生き物と24人の長老たちが歌った歌の中で歌われていた。
黙示録5:9~10:「彼らは、新しい歌を歌って言った。『あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。』」
その時、主はどのようにハルマゲドンの戦いをし、その後の千年王国を治めるのか?それはⅤ15~V16に記されている。3つの統治の仕方がある。
V15~V16:「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。」
①「鋭い剣」による統治
「鋭い剣」は、主御自身がⅤ13で、「その名は『神のことば』と呼ばれた。」とあるように、神の言葉そのものであって、主は、「鋭い剣」である御自身の言葉で治める。その治め方は、ご自身の民を養うためのものであると共に、清めるため、裁くためのものでもある。ヘブル書に、そのことが次にように記さている。
ヘブル4:12:「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」
「両刃の剣」である神のことばは、「養う」ための言葉と、「清める、裁く」ための言葉なのである。
②「鉄の杖」による統治
この「鉄の杖」も「鋭い剣」同様に、守り養うための杖であると同時に、裁きのための杖でもある。
詩篇23:4:「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。」
また、テアテラ教会に対して語られたみことばに、次のようなみことばがあった。
黙示2:26~27:「勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。」
③「怒りの酒ぶねを踏むこと」による統治
まさに不信仰者に対する裁きによる統治である。第七のラッパが鳴った後に、ヨハネが地上に見た幻のことでもある。
黙示録14:17~20:「また、もうひとりの御使いが、天の聖所から出て来たが、この御使いも、鋭いかまを持っていた。すると、火を支配する権威を持ったもうひとりの御使いが、祭壇から出て来て、鋭いかまを持つ御使いに大声で叫んで言った。「その鋭いかまを入れ、地のぶどうのふさを刈り集めよ。ぶどうはすでに熟しているのだから。」そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。」
ハルマゲドンの戦いを含め、千年王国が訪れる時、神はこのように罪に対して容赦せず、裁きをなされる。そのハルマゲドンの戦いそのものについては、V19~V21に記されている。
V19:21:「また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。」
黙示録16:12~16に、ユーフラテス川が第6の鉢が地にぶちまかれることによって乾き、その乾いた川を、サタンや反キリスト、偽預言者たちの霊に誘われて、多くの国の軍隊がエルサレムを攻めに来るために渡ることが記されていた。しかし、彼らは主と主の軍勢によって完全に滅ぼされるのである。その裁きの有様が、Ⅴ17~V18に記されている。
V17~V18:「また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。『』さあ、神の大宴会に集まり、王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」」
チベットで行なわれている鳥葬のようである。これは、終末の裁きについて語られている、小黙示録と言われるマタイ24:3~44の中の、Ⅴ28の箇所と同じである。
マタイ24:28:「死体のある所には、はげたかが集まります。」
当然為されるべき裁きは、必ず為されるのである。
【結論】
マタイ24章の中から、結論を得よう。
V4:「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。」
V13:「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」
V42:「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」
V44:「だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。」
―祈り―
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