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2025.12.28 礼拝メッセージ:金子辰己雄師


【タイトル】

主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

【聖書個所】

詩篇103:1~5:「わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」

【前置】

 この一年、教会にとっても個人個人にとっても、良いこと悪いこと、いろいろなことがあったと思う。しかし、今日は感謝礼拝、良いことだけでなく、悪いことも含め、感謝の礼拝をささげたい。どうして悪いことも含めて感謝の礼拝をささげるか?―それは、信仰者にとって、選択、決心によって、結果的にすべてのことが良いことに変わるからである。

 11月28日、OCCで「ハイナイト教役者セミナー」があった。その中で、イスラエルからのメッセンジャーは、「イスラエルの民は記憶の民、記憶に生きる民」であると語った。意味は、イスラエル人にとっての過去は、記憶として、将来の良きことのための原点、起点、転換点となるからだと言う。ある事があった時、そこであることを決断し、選択し、未来を作って行くという。そういう意味で、イスラエルの民は過去に生きる民ではなく、未来に生きる民であると言えよう。私たちもアブラハムの子孫として、そのような霊的DNAを受け継いでいる。だから、過去の出来事から、未来を作って行こう。 また、私たちには次のようなパウロが残した神の言葉がある。ローマ8:28:「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」私たちに対する神の祝福に満ちた言葉です。

 さらにみことばから神の恵みをいただき、この一年の最後の礼拝を、神への感謝の礼拝の時としよう。

【本論】

 ダビデは、Ⅴ1~V2b:「わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と言った。この言葉に、初めに言った「イスラエルの民は記憶の民、記憶に生きる民」というイスラエル人としての典型の姿を見ることが出来る。過去の出来事を記憶し、原点、起点、転換点にして、そこから何かを学び、何かを決心し、何かを選択して未来に生きるという民の姿を見る。何故なら、ダビデは、Ⅴ2c:「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と言って、過去の「主の良くしてくださったこと」を「何一つ忘れるな。」言い換えるなら、「覚えていなさい。」、「記憶していなさい。」と言っているからである。

 旧約聖書には、「忘れるな。」、「覚えていなさい。」という言葉が200回以上出て来る。特にその中でも、イスラエルの民を形作る「覚える」、「記憶する」という(へ)「ザカール」という言葉は169回出て来る。それだけ、信仰の民として選ばれたイスラエル人にとり、「忘れないこと。」、「覚えていること」、「記憶していること」は重要なことなのである。それによって彼らの未来が作られて行くからである。なので、十戒の一番初めに、「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」(出エジプト20:2)という言葉が記され、度々彼らに語られているのである。それは、イスラエルの民がエジプトを出る時に、過越しの出来事が起こり、それによって彼らはエジプトを出ることが出来たという祝福を、イスラエルの民は記憶し、子々孫々に至るまで過越しの祭りを守ることで、彼らは歴史を作って来た。出エジプトの出来事後、3,500年余り経つが、それを記憶し、祭をすることで、イスラエルの民を形作って来たのです。「記憶すること」、「忘れないこと」は彼らにとって生命線であった。詩篇に戻る。

 ダビデは、Ⅴ1~V2b:「わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。」と、過去の出来事を原点、起点、転換点にして、自分のたましいに向け、自分の決心を語っている。ダビデは生涯いつも良いことを経験していたわけではない。8人兄弟の末っ子だったダビデは、お兄さんたちからは子供のように扱われ(Ⅰサムエル17章)、サウル王に召し抱えられてからも、サウル王に命を狙われ、王になってからも、息子アブシャロムの謀反に遭い、結果、愛するアブシャロムを失い、また、油断からバテ・シェバとの姦淫の罪を犯し、結果、バテ・シェバの夫ウリヤを殺し、その結果、バテ・シェバとの間に出来た子供を病気で失うという苦しみに遭い、・・・、いろいろな経験をした。しかし、ダビデは良いことも悪いことも、すべてを含めて、Ⅴ1~V2b:「わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。」と言い、V3~V5:「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」と宣言している。それは、ダビデがこれらのことを経験して来たので、それを原点にして、起点にして、この信仰の告白をしているのである。

V3:・「主は、あなたのすべての咎を赦し」:ダビデはバテ・シェバとの姦淫の罪、その夫ウリヤ殺人の罪の咎が赦された。・「あなたのすべての病をいやし」:ダビデが何か身体的な病で苦しんだという聖書の記述はないが、精神的な意味では、アブシャロムや甥の将軍ヨアブとの間で悩むことが多かった。

V4:・「あなたのいのちを穴から贖い」:まさに罪を犯した結果の永遠の滅びから贖われ、・「あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ」:これまで挙げた人物との関係の中で、何度もそのことを経験した。

V5:・「あなたの一生を良いもので満たされる。」:最後には、王位を息子ソロモンに譲り、自分の町に葬られた。「自分の町に葬られる」ということは祝福のしるしである。祝福のうちに天に召されて行ったのである。・「あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」:これは寓話であるが、鷲は老年になると、古い嘴を岩に打ち付けて、古くなった部分を取り除き、新しくなった嘴で古い羽根を抜き、爪を研いで新しくすると言う。これは、信仰的には私たち信仰者に当て嵌まることである。私たちは試練を通して新しくされる。変えられるのである。それは結果として祝福なのである。そして、最後には、肉体の死を通し、私たちはよみがえりのいのちによって永遠に生きる者に変えられる。変容されるのである。

【結論】

 今年一年、どうだっただろうか?・咎の赦しを体験した方はいるだろうか?―きっといるだろう。・病の癒しを体験した方はいるだろうか?―きっといるだろう。・いのちが穴から贖われるような体験、恵みと憐れみとの冠が被せられたような体験をした方はいるだろうか?―きっといるだろう。このように、主は2025年を良いもので満たし、私たちの若さを鷲のように新しくしてくださったのである。

 今、一人ひとり、2025年を思い起こしながら、記憶しながら、主の為してくださったこと、良くして下さったことを思い起こそう。記憶しよう。そして、主をほめたたえよう。主に感謝をささげよう。

詩篇103:1~5:「わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」

―祈り―

 
 
 

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