2025. 6.15 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
- treeoflifechristch
- 6月22日
- 読了時間: 10分
【タイトル】
黙示録(32)「七つの鉢の裁き②―大バビロンへの裁き①―」
【聖書個所】
黙示録17:1~18
【前置】
今日は黙示録17章から、地上に第3の災いが起こった後の、そしてキリストの千年王国が来る前のこの世の裁きについて見て行く。
黙示録17:1~18:「また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。『ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。地の王たちは、この女と不品行を行い、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。』それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」という名であった。そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた。すると、御使いは私にこう言った。『なぜ驚くのですか。私は、あなたに、この女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣の秘義とを話してあげましょう。あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現れるのを見て驚きます。ここに知恵の心があります。七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。また、昔いたが今はいない獣について言えば、彼は八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです。そして彼はついには滅びます。あなたが見た十本の角は、十人の王たちで、彼らは、まだ国を受けてはいませんが、獣とともに、一時だけ王の権威を受けます。この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威とをその獣に与えます。この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。』御使いはまた私に言った。『あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行う思いを彼らの心に起こさせ、彼らが心を一つにして、その支配権を獣に与えるようにされたからです。あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する大きな都のことです。』」
【序論】
「キリストの千年王国前のこの世の裁き」というのは、今日のメッセージタイトルにあるように、「大バビロンの裁き」のこと。何故、大バビロンと言うのか?―それは、①歴史上実際に存在したバビロン帝国のことではないという意味と、②この世の大きな悪の支配、帝国を意味しているから。そのことは、Ⅴ1:「また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。『ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。」の中の「大淫婦」がただの淫婦ではなく、Ⅴ5:「その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」という名であった。」とあるように、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」というところから分かる。
今日はこの神が大バビロンに対して為される裁きの前半部分を17章から語る。後半は18章である。今日はこの前半箇所から、これは当然のことだが、神は必ず悪を裁かれるということ、それも、神がそれをどうしてそのような方法で?また、どうしてそのような時に為されるのか?と、私たちには理解出来なくても、神は必ず裁きを為されるということ。そのことを今日の箇所から学びたい。
【本論】
V1~V5:「また、七つの鉢を持つ七人の御使いのひとりが来て、私に話して、こう言った。『ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。地の王たちは、この女と不品行を行い、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。』それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」という名であった。」
昨年皆さんに読んでもらった「宗教の起源」と言う本の中で、世界の宗教の根源はバビロニア宗教であるということが書かれていた。そして、バビロニア宗教の中心にはセミラミスという女神が居て、そのセミラミスの霊によって世界のすべての宗教は成っているということだった。だから、それが大バビロンに働いている霊です。ある人は、今日の終末預言から言うならば、それはローマカトリックがそうであると言ったり、ヒンズー教、イスラム教、仏教もそうであると言う。確かにセミラミスの霊がそれらの宗教には働いている。セミラミスの霊を一言でいうのは難しいのだが、それは、人間が神にとって代わって神になろうとする霊、つまり、サタンの霊であり、宗教の霊である。「宗教」というのは「神になるための教え」のことで、結局、真の神を神とせず、神抜きで自分が神になろうとするサタンの霊なのである。しかし、サタンは第三の天から追い出されたので自分で神になることが出来ず、第2、第1の天であるこの世において人々を騙し、自分を神のように礼拝させている。それが今の世である。しかし、今、その裁きの時が来たのである。神は「七つの鉢」を持ってこの世に裁きを行なった御使いの一人をヨハネに遣わし、大バビロンに対する裁きの幻を見せた。その時、ヨハネはその大淫婦が主を信じる信仰のゆえに殺された信仰者たちの血に酔っている、満足している姿を見て、非常に驚いたという。
V6:「そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた。」
すると御使いはヨハネにこう言った。
V7:「…。『なぜ驚くのですか。私は、あなたに、この女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣の秘義とを話してあげましょう。」
「なぜ驚くのですか。」と御使いは言った。それは、「驚いては駄目です。驚く必要はありません。「私は、あなたに、この女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣の秘義とを話してあげましょう。」だから、「驚くことはない。」と言ったのです。
※ここに、今日のメッセージの中心ポイントがあり、結論がある。それは、私たちは神の終末に関する御計画、この世の裁きと私たちの救いについて知れば、何があろうと、驚くことも恐れることもない。心を騒がせることなど無いと言うことである。そして御使いはヨハネに、また私たちに対して、「秘儀」、「奥義」を解き明かして下さった。それが、Ⅴ8~V18で語られていること。その「秘儀」、「奥義」とは何であるか、それを見て行こう。先ず、ヨハネが幻の中で見た「大淫婦」である「ひとりの女」(V3)とは誰で、その女が乗っている「七つの頭と十本の角を持っている緋色の獣」とは何か?
「大淫婦」また「ひとりの女」とは、初めに言ったように、サタンであり、サタンが支配している、この世界、この国のこと。「大淫婦が座っている大水」(V1)は何であると言っているか?―V15:「御使いはまた私に言った。『あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。」とあるように、この地上にあるサタンの支配している国、世界のことである。
そして、この女が乗っている「七つの頭と十本の角を持っている緋色の獣」とは、前に13章で見た反キリストのこと。そして、その反キリストは、ここでは、Ⅴ8:「昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。」と言われている。それはどういうことか?―それについては、Ⅴ9:「ここに知恵の心があります。」と言って、Ⅴ9~V13で解き明かされている。
Ⅴ9~V11a:「七つの頭とは、この女がすわっている七つの山で、七人の王たちのことです。五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。また、昔いたが今はいない獣について言えば、彼は八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです。」
「七つの山、七人の王たち」とは、この時ヨハネの時代に世界を治めているローマ帝国の王たちのことで、Ⅴ10:「五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり、ほかのひとりは、まだ来ていません。しかし彼が来れば、しばらくの間とどまるはずです。」そして、その者は、Ⅴ11:「八番目でもありますが、先の七人のうちのひとりです。」と言われている者です。それは誰か?―それは、ローマ帝国の5代目の皇帝としてクリスチャンを迫害したネロ皇帝のことだという説もあれば、当時の世界の歴史を見た時、ダニエル書で預言されている、エジプトの治世から始まって5番目のギリシャの治世の時に現れたシリアの王アンティオコス・エピファーネスであるという説がある。(参照:下記図表) 私は後者の説だと思う。そして、10本の角とは、前にも語った、終末にやがてイスラエルを滅ぼすために現れる反キリストをリーダーとする10カ国の連合国家である。しかしその国家はどうなると聖書は言っているか?
V14a~b:「この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。」
反キリストは滅びると言うのである。それは、Ⅴ8にもV11でも、「そして彼は、ついには滅びます。」とある。それだけではなく、V16:「あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。」と、驚くべきことが起こる。それは、
V17:「それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行う思いを彼らの心に起こさせ、彼らが心を一つにして、その支配権を獣に与えるようにされたからです。」
※神はご自身の計画を成就するために、悪者さえも用いるのである。ここに、Ⅴ9:「ここに知恵の心があります。」と言って、ただ預言、幻の解釈のためだけでなく、私たちがこの終末の時代を、信仰をもって正しく、神のみこころを知って歩むために必要な知恵、知識の大切さが教えられているのである。
【結論】
ペテロも、世の終わりは来ないと考え、放縦と慢心の中にいる信仰者に対して、その大切さを語っている。それを持って、今日のメッセージを閉じる。
Ⅱペテロ3:7~9:「しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。」
だから、油断せず、慢心せず、神の約束を信じて、主を恐れる心を持って、そんな知恵の心を持って歩んで行こう。
―祈り―
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