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2025. 3. 9 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】

黙示録(27)「第7のラッパのさばき⑤―思慮ある者―」

【聖書個所】

黙示録13:11~18:「また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行った。また、あの獣の前で行うことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。」

【本論】

V11:「また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。」

 ヨハネは、12章に記されているように、この獣の幻を見る前に、十本の角と七つの頭を持つ、海から上って来る一匹の獣の幻を天に見た。それは反キリストのことだった。今度はそれに続いて、2本の角を持つ獣が地から上って来る幻を見た。それは何か?―12章に出て来た竜がサタンのことで、その後の13章の前回の箇所に出て来た獣が反キリストだったように、それに類するものであることが想像出来る。

V12:「この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。」

 この獣は反キリストと同じような権威、力を持っており、その権威によって人々に反キリストを礼拝させた。またその力をもって、

V13:「また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行った。」

 地に住む人々に最初の獣である反キリストを拝ませるための大きなしるし、奇跡を行ったのである。ここに来て、ようやくこの獣がどういうものであるか想像がつき始める。

 聖書に登場する人物の中で、火を天から降らせるような大きなしるしを行った人物は誰だったか?―そう、旧約聖書に登場する預言者エリヤである。エリヤは、アハブの妻であるイゼベルが礼拝する偶像の神であるアシェラに仕える400人の預言者、バアルに仕える450人の預言者と戦った。「戦った」と言っても槍や剣などの武器による戦いではなく、祭壇の上に一頭の雄牛を切り裂いた状態で載せ、預言者として各々が仕えている神の名を呼び、その神が天から祭壇の上に置かれた雄牛に向かって火を下し、火をもって神が応えた方の預言者が勝つという戦いをした。結果はエリヤが勝った。そのことはⅠ列王記18:20~40に記されている。だからこの「人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行った」者は、偽預言者を指している。偽預言者の働きは、三位一体の神の三位格の聖霊がキリストと父なる神に栄光を帰し、人々を父なる神、御子なるキリストに向かわせるように、この偽預言者も、竜であるサタンや、先に現れた一匹の獣である反キリストに人々の心を向かわせ、礼拝させるのである。

V12:「この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。」

V14~V15:「また、あの獣の前で行うことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。」

 直接その獣である反キリストを拝ませるだけでなく、反キリストの像を造らせ、その像に息を吹き込み、その像がものを言うようにさせ、その獣の像、反キリストの像を礼拝しない者は殺させたとある。どこかの国のリーダーに似ている。2月11日~14日のリバイバルミッションの蒙韓日合同リバイバル聖会の中で、脱北者の牧師の証言を聞く時があった。その方によると、北朝鮮にいる時には金日成や金正日が神のような存在であり、至る所に二人の銅像や肖像画が建てられ、公共の場所やすべての家には二人の写真を飾ることが義務付けられていて、飾られていないと罰せられる。そして、これは義務ではないが、二人の顔が載ったバッジも造られ、身に着ける者も多いと言う。まるで、第2次世界大戦時の日本のようであった。その脱北した牧師もまったく疑うことなく信じていたと言う。

 そのように、患難期後半に入ると、主が語っていたように、偽預言者の働きも強くなり、多くの人が惑わされるようになると言う。

マタイ24:24:「にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。」

 そして偽預言者は、ただ霊的な意味合いで人々を支配するだけでなく、現実生活の中でも人々を支配するようになる。

V16~V17:「また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。」

 7章と9章に神の印の押されている人々のことが出て来るが、このように患難期後半に入ると、反キリストは正体を現わし、また偽預言者も現れて、神のみわざの真似事、つまり、彼らの刻印を人々に記すのである。そして、その刻印のなされている者以外は買うことも売ることも出来ない経済システムを作るのである。それによって人々を支配するのである。

 しかし、ヨハネはこう言う。

V18:「ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。」

 「知恵」とは、霊的真理を知る知恵のこと、識別する知恵のことである。そして、その知恵を持っている者が「思慮ある者」である。以前、ダニエル書で、大患難の時を通り過ごした神の民、クリスチャンは、「思慮深い人々」として、終わりの日に永遠のいのちによみがえることを学んだ。

ダニエル12:1~3:「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」

 ダニエル書の「思慮深い人々」とは、黙示録のここで言う「思慮ある者」のことで、その者は、霊的真理を見分ける知恵が与えられ、患難期でどのようなことが起ころうとも、決して反キリストを拝んだり、偽預言者の偽りのしるしに惑わされることはないのである。V18:「ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。」と言っているのは、終わりの時代になると、「いのちの書」に名前がしるされていない人々、未だ救われていない人々、つまり、生まれながらの人間は罪を持って生まれているので、そういう人々は、終わりの時代には皆、「人間をさしている」という反キリストの数字、「666」を持っていて、そういう人々は、ダニエル書が言う「そしりと永遠の忌み」によみがえり、最終的に偽預言者や反キリストと共に滅びるのである。しかし、「思慮ある者」は、イエス・キリストを信じて、世の初めから「いのちの書」に名前が記されている者となり、永遠のいのちによみがえるのである。そして、ダニエル書が言うように、大空の星のように輝くのである。

【結論】

 世の終わりでは、神の印を持っているか、反キリストの印、つまり、生まれながらの人間のままでいるかどうかが重要になる。その違いが永遠のいのちか、永遠の滅びかの違いを生むからである。そして、神の印を持っている者、即ち、反キリストの印を持たず、反キリストを拝むことのない真の信仰者は、迫害を受けるようになる。パウロはそれを「イエスの焼き印」と言った。

ガラテヤ6:14~17:「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。これからは、だれも私を煩わさないようにしてください。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。」

 パウロは、キリストの弟子として自分の十字架を負い、キリストに従って行った。そのため、数多くの難にあった。(Ⅱコリント11:23~27)パウロはそれを、「イエスの焼き印を帯びている。」と言った。迫害を受けるほどキリストに従順していたと言うことである。「焼き印」は私たちがキリストのもの、私たちの所有者、主はキリストであることを示している。

※結局、世の終わりに当たっても、そのような信仰、「死に至るまで忠実である」信仰があるかないかが重要なのである。それが、神の印でもある。

―祈り―


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