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2025. 2. 9. 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

黙示録12:7~18


【タイトル】

黙示録(25)「第7のラッパのさばき③―天でのサタンとの戦いにおける勝利―」

【前置】

 前回は、第7のラッパが天で吹かれた後にヨハネが見た2つめの幻、「ひとりの女」(V1)であるイスラエルの民から生まれた男の子、つまりイエス・キリストと、原福音(創世記3:15)で預言されていたイエス様と赤い竜であるサタンとの戦いについて少し触れた。今日は3つ目の幻として、天で起こった御使いミカエルとその仲間の御使いと赤い竜であるサタンとの戦いについて見たいと思う。

黙示録12:7~18:「さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。『今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。』自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。しかし、女は大鷲の翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。そして、彼は海べの砂の上に立った。」

【本論】

V7~V9:「さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。」

 サタンは、それは当然のことだが、地上でのイエス様との戦いにおいて敗北したように、天でのミカエルとその軍勢との戦いでも敗れ、天から地上に投げ落とされたとある。この預言はいつのことに関するものかと言うと、第7のラッパが吹かれて始まる患難期の後半の始まりの頃だと言う。では、それまではサタンは天にいるのかというと、その天と言うのは、黙示録の初めに言ったように、神がおられる第3の天のことではなく、第3の天の下の天、つまり、エペソ2:2で言う、「空中」の天であり、エペソ6:12で言う「もろもろの悪霊たち」がいる「天」のことです。

エペソ2:2:「そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」

エペソ6:12:「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」

 何故なら、ルシファーであったサタンは、神のおられる第3の天で罪を犯し、既に第3の天から追放されていたからです。

イザヤ14:12:「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。」

 このように、サタンとその軍勢は、第三の天から追放された後、患難期の中間になって、第二、第一の天からも落とされて、地上に投げ落とされるとある。しかし、創世記3章を読むと、サタンはアダムとエバが罪を犯す前から蛇として地上にいた。ことを考えると、このヨハネが見た幻というのは、創世前の、第3の天での出来事であったのかもしれない。いずれにしても、その時、ヨハネは天で、次のようなメッセージが大きな声で語られるのを聞いた。

V10b~V12:「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」

 それで、そのことを知った竜であるサタンは、イスラエルの民に対し、また神の民、教会に対し戦いを挑む。しかし、サタンは原福音で預言されていたようにイエス様に敗北し、ここで記されているようにミカエルとその軍勢に敗北した。そして、信仰者である私たちに勝つことは出来ないのである。

ローマ8:28~31:「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」

 誰も、たとえサタンであっても、地上の何者も私たちに敵対することは出来ない!ハレルヤ!

V13~V14:「自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。しかし、女は大鷲の翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。」

 これは実際にイスラエルの民、また神の民、信仰者の上に歴史的に起きた出来事、エジプト脱出の出来事や、前回学んだ、AD1世紀に起きたローマによるエルサレム攻略の時に、イスラエルの民はペトラに逃れて守られたこと、これから起こる患難期後半の出来事、反キリストが正体を現わして、真の信仰者たちに対して行なわれる迫害などの出来事のことである。

 エジプト脱出の出来事とは、出エジプト19:4で語られているように、イスラエルの民を、「大鷲の二つの翼によって運ばれ、守られる鷲の雛」に譬えられて、無事にエジプトを脱出出来た、そのことを語っている。

出エジプト19:3~4:「モーセは神のみもとに上って行った。【主】は山から彼を呼んで仰せられた。「あなたは、このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げよ。あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。」

申命記32:11:「鷲が巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。」

 事実そのように、イスラエルの民はエジプトから、神に守られてシナイの荒野に入って来たのである。

※このように、イスラエルの民は、また異邦人を含めた神の民、教会は、患難期に入っても、患難期に入っていない今日でも、さまざまなサタンの攻撃から守られるのである。その守られ方は完全。どんなにサタンが暴れても、神の民は、また教会は、サタンに対して完全に勝利を治めるのである。

V15~V18:「ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。そして、彼は海べの砂の上に立った。」

 しかしそれでも、イエス様が再臨されるまでは、患難期であっても今の世であっても、この地上ではサタンとその軍勢がいる限り戦いは繰り広げられる。戦うというより、私たち信仰者に対してサタンとその軍勢による執拗な攻撃は続く。

 今日のイスラエルに対する世界の様子を見て!2023年10月7日のハマスによるあの攻撃がイスラエルの民に対して行われた時、世界はイスラエルに同情的だった。それが、イスラエルによるハマスに対する攻撃が始まると、あっという間に、その状況は一変した。

※サタンは執拗にイスラエルを、そして神の民を攻撃し、その手を緩めることはしない。V12にあるように、「悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」

 今年のメッセージの年間予定の中で霊的戦いについて語ると言ったが、そのこともあるからである。サタンは隙あれば私たちを神様から引き離そうとする。だから私たちは油断せずに、十分注意しなければならない。しかし、一つのことだけは覚えておいて欲しい。それは、神はいかなる手段によってでも私たちを守ろうとして下さる。そして、最後には私たちは勝利するということを。それが今日の結論。

【結論】

 先ほどの、ローマ8:28~31の後を読みましょう。

ローマ8:33~39:「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。『あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。』と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

―祈り―


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