2025.11. 2 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
- treeoflifechristch
- 11 分前
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【タイトル】
「天の御国の鍵は、光を輝かす鍵」
【聖書個所】
マタイ16:19:「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
【序論】
この箇所から、今年のテーマである「主は私たちの光を照り輝かせて下さる方。だから、私たちはその主に目を向け、光を輝かせていただこう。」についてメッセージを語る。今年ももう残すところ2カ月。どうだろうか?―私たちはこの私たちに与えられた光を輝かせているだろうか?―「主に光を輝かせていただく」ということは、ちょうどコンセントがあって、私たちがランプだとするならば、ランプのプラグをコンセントに差し込むようなもの。そうすれば、ランプは点灯し、明るく輝くのである。どうだろうか?―私たちはそのことを知り、それを行ない、主に輝かせていただいているだろうか?―今日もみことばから、それを知り、それを行なって輝かせていただくことを学ぼう。
【本論】
イエスはペテロに、「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」と言われた。このみことばに、今日私たちが学ぶ「主は私たちの光を照り輝かせて下さる方」であり、だからそのことを知り、主に目を向け、主に私たちの光を輝き出させていただくための鍵がある。
「鍵」は何か?鍵は何のためにあるか?―今ここに私が持っている鍵は、車の鍵、家の鍵、杉戸の会堂の鍵です。私は今日この車の鍵を使って、南越で礼拝するために車に礼拝道具を積み、車の運転をして集会場まで行った。家の鍵もそう。家に住む者の家の出入りに使うが、それは他人の出入りを防ぐものでもある。このように、鍵にはそれぞれの目的や働きがある。では、イエスがここでペテロに語った「天の御国のかぎ」とは何か?何のための鍵か?―私たちの家の出入りに使うような、天の御国に入るための鍵だろうか?―また、イエスは何のためにこのことをペテロに言ったのだろうか?―それは、このことの前に、イエスと弟子たち、またペテロと交わした言葉に関連がある。イエスと彼ら、またペテロはどんな言葉を交わしたのだろう?
マタイ16:13~19:「さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。『人々は人の子をだれだと言っていますか。』彼らは言った。『バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。』イエスは彼らに言われた。『あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。』」
今読んで分かったように、イエスが弟子たちに問いかけた言葉、V15:「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」に対して答えたペテロの言葉があって、それに答えるようにしてペテロに語ったのが今日の言葉であり、「天の御国のかぎ」は、それに関連して語られた言葉です。つまり、この「天の御国のかぎ」は、「イエスはキリストです。」と、信仰告白した人に与えられる鍵であって、その信仰によって救われた人、その信仰によって御国に入った人にだけ与えられる鍵です。「天の御国のかぎ」は、御国に入るための鍵ではなく、御国に入った人にだけ与えられる鍵であること。このことは非常に重要なポイントです!
では、この「天の御国のかぎ」の目的、また働きは何か?―それは、初めに言ったように、私たちがこの鍵を使うことにより、私たちに与えられた私たちの光、それは主の栄光でもあるが、何故なら、今年の聖句、イザヤ60:1:「起きよ。光りを放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」とあり、その主の栄光を、私たちの光を、私たちに与えられた「天の御国のかぎ」を使うことにより、私たちの上に輝き出させるためなのです。
主は言われた。
マタイ16:19:「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
「鍵をつなぐ、解く」という言い方は面白い言い方だが、分かり易い言い方でもある。それは車のエンジンをかける時を考えると分かり易い。「鍵をつなぐ」とは、鍵を鍵穴に差し込んで回すことにより、エンジンの点火プラグに電気を流し、着火させることでエンジンを始動させること。「鍵を解く」とはその反対のこと。理屈は、ランプの点灯、消灯と同じです。ランプのスウィッチをONにつなげば、ランプに電気が流れて点灯する。消えるのは反対の理屈です。
なので、私たちが、「何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」とあるように、「天の御国のかぎ」を用いて、私たちが「天の御国」に「何でも」つなげるなら、「それ」、つまり「何でも」は天につながり、反対に解くなら、その「何でも」は天から解かれるのです。「それ」とか「何でも」とは、「天の御国のかぎ」とあるように、「天の御国」にあるすべての霊的祝福のこと。天の御国にある神の栄光、尊厳、力、私たちの救い、勝利、癒し、富、健康、平安と言った、天にあるすべての私たちが受けている霊的祝福のことである。そして、私たちに「天の御国の鍵」が与えられているのは、この「鍵」は単数形ではなく複数形だが、それらを用いることで、それらのすべての霊的祝福が私たちの上に光のように現れるということです。それらの祝福の光は、私たちが車のエンジンを掛ける時のように、ランプの灯りをつける時のように、その鍵を、そのスウィッチを入れるならば、その時、その光は私たちの上に、この地の上に現われるのです。このように、「鍵」には天にあるすべての霊的祝福をこの地に解き放つ大きな力がある。
【決論】
イエスは言われた。マタイ28:18~20a:「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。』それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」と。イエスの弟子作りのことも、また、マルコ16:15~18:「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。』」のように、しるしと不思議が伴う福音宣教のことも、すべて私たちに与えられている「天の御国のかぎ」という鍵を用いて行なうのです。そしてそれが為される時、私たちの上に、私たちの光が、主の栄光を現わす光として現われるのです。それが、イザヤ60:1:「起きよ。光りを放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」ということ。
天の御国の鍵を用い、主につながって、主の栄光が証される、現われるキリストの証人としての使命を果たして行こう。
―祈り―
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