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2025. 1.26 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

黙示録12:1~6

【タイトル】

黙示録(24)「第7のラッパのさばき②――ひとりの女と竜と男の子の幻―」

【前置】

 前回語ったように、11章15節~15章末までは、第7のラッパが吹かれた後の、第3の災いの中心である「神の怒りの7つの鉢」が地にまかれる前までの、天における裁き、地における裁きの出来事が記されている箇所。なので、これまで「ラッパのさばき」の①~⑥としてタイトルを付けてメッセージを語って来たが、今日からは(本来ならば前回から)、「第7のラッパのさばき」の②として(前回はその①)、メッセージを語る。タイトルは、「ひとりの女と竜と男の子の幻」です。

黙示録12:1~6:「また、巨大なしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。また、別のしるしが天に現れた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。」

【本論】

V1~V2:「また、巨大なしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。」

 ヨハネは天に、「巨大なしるし」を見た。「巨大な」というのは、原語の聖書では、「メガ」という言葉が使われている。メガというのは、「100万」と言う意味の言葉だが、メガロポリスという言葉があるように、東京とかロスアンゼルスのような、実際はそれ以上いるが、100万都市の巨大さを意味する言葉。ヨハネは天にその巨大なしるしを見た。冬の夜空に、大きなオリオン座のような星座を見るようなものだろうか?また、「しるし」という言葉には、原語の聖書では、日本語の聖書には訳されていないが、「不穏な」とか「悪いことが起こる前兆になる」という意味を含んだ「セーメイオン」という言葉が使われている。単なる「しるし」ではないのである。

 では、どんな不穏なしるしだったのか?―その前に、そもそもこの「太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」という、この「ひとりの女」とは誰のことだろうか?

 太陽と月と関連し、「十二の星の冠」は別として、冠を被るほど権威を持った人物のことを、聖書の中に思い出せないか?―そう!ヤコブの11番目の子として生まれたヨセフである。ヨセフはある時、太陽と月と11の星が、12個目の星の自分に向かって伏し拝んでいる夢を見た。その前にも彼は、何の畑か分からないが、自分を指す一つの束が真っ直ぐに立ち、それに向かって兄弟たちの束がお辞儀をする夢を見た。それをヨセフは得意満面で話したのだろうか、そのために父親のヤコブから叱られ、他の兄弟たちから憎まれた。結果、エジプトに売られてしまったが、そこでパロに次ぐ位に就くと、イスラエルに飢饉が来た時、兄弟たちがやって来て、弟のヨセフとは知らずに頭を下げた。そして、その後、ヤコブもヨセフに頭を下げる時が来た。(創世記37~50)

 また、「十二の星」の「12」という数字からも分かるように、この太陽を着て、月を足の下にしているひとりの女は、ヨセフの父、ヤコブから始まったイスラエルの民のことである。その女が、Ⅴ2:「みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。」と言う。これは何を意味するか?―それは、この後の竜と男の子との関連の中で明かす。

V3~V4:「また、別のしるしが天に現れた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。」

 この「別のしるし」の「しるし」という言葉も、Ⅴ1の「しるし」と同じ「セーメイオン」という言葉が使われている。つまり、この後、この「七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた」という「大きな赤い竜」にも不吉なことが起こるのである。そして、この竜は誰のことを指しているかと言うと、V9:「こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。」とあるように、神になろうとして裁かれ、天から地に投げ落とされたサタンを指している。そのことは次回のV7~V18の所で詳しく見る。

 いずれにしても、ここまででイスラエルの民とサタンのことが出て来たので、次のV5で語られているイスラエルの民である女が産んだ「男の子」とは誰のことであるか分かるだろう。

V5:「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。」

※そう!―「ひとりの女」であるイスラエルの民の中から、その子孫として生まれることが預言されていた救い主イエス・キリストのことである。その預言は、「大きな赤い竜」であるサタンとの関係の中で預言されていた「原福音」(創世記3:15)の中にも明確に預言されていた。

創世記3:15:「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

 「おまえ」とは、エバとアダムを騙したサタンのこと。「女」とは、勿論エバのこと。そして、「おまえの子孫」とはサタン自身のことだし、サタンに属する悪霊たちのこと。そして、「女の子孫」とは、エバの後に続くイスラエルの子孫に生まれるイエス・キリストのことである。

 聖書は、黙示録2:27で、「彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。」とあり、また、詩篇2:7~9でも、「わたしは【主】の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」と預言していて、イエス・キリストは、確かに「鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧する」救い主、王の王であることが分かる。

 なので、赤い竜であるサタンは、何とかしてイエス・キリストを亡き者にしようと、イエス・キリストにターゲットを当て、時にはイスラエル民族にターゲットを当てて、イエス・キリストが誕生しないように、また、誕生しても滅ぼそうと、イスラエルの歴史を通じてサタンは働いて来た。・パロによるユダヤ人の男の子の全滅(出エジプト1:22)、・ハマンによるイスラエル民族の根絶(エステル3:6、13)、ヘロデ大王による2歳以下のユダ人の男の子の全滅(マタイ2:16)、そして、ユダヤ人自身によるイエス様の殺戮(ルカ4:29)、十字架の死。しかし、イエス様はよみがえられた。それが原福音の預言したところであった。

V6:「女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。」

 この預言は、患難期後半の3年半の始まりの時の預言である。「女は荒野に逃げた。」とあるが、イスラエルの民は、患難期後半に入ると、反キリストが自分の正体を現わして、イスラエルの民、それも、ただ肉によってイスラエルの民として生まれた者ではなく、イエス・キリストを主と信じる本当の信者に対して酷い迫害を与え、殺そうとする。それは、本当の信者は反キリストに従わないからである。そのことは、次回の中にも少し出て来るので、少しだけその箇所を見てみよう。

V17:「すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。」

 というようなことが患難期後半に入ると起こるのである。だから、イエス様もその時が来るから、その時になったら、こうせよと、マタイの福音書の中で語っている。

マタイ24:14~18:「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。」

 この「山」というのが、「女は荒野に逃げた。」とある「荒野」であり、「千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所」である「荒野」である。それは、実際に歴史上、エルサレムがローマによって陥落された時、エルサレムにいたイエスキリストを信じていたユダヤ人たち、つまり初代教会のクリスチャン、メシヤニック・ジュ―の人々が逃げ延びて助かった、今のヨルダンのペトラというところ、聖書の中ではボツラと呼ばれる辺りの所である。

 これから来る患難期の時、「大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。」が示すように、患難期前半にエゼキエル戦争(エゼキエル38~39)が起こり、ヨーロッパに、反キリストがリーダーとなって10カ国同盟が作られ、そして、イスラエルとの間に平和条約が結ばれるが、それが前半の3年半が終わると破られて、後半の熾烈な3年半の時が来る。その時、本当の信者たちは迫害を受けるが、AD70年のローマによる陥落の時と同じようにペトラで守られるのか、どのように守られるのか分からないが、いずれにしても、本当の守りであるイエス様によって、信じる者は守られるのである。

詩篇121:1~8:「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた【主】から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。【主】は、あなたを守る方。【主】は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。【主】は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。【主】は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」

【結論】

 今日であっても患難期であっても、信じる者には、誰であっても患難がある。(ヨハネ16:33b:「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」)

※しかし、神を信じる私たちには、どんな時でも、どこにあっても、私たちを守るための「神によって備えられた場所」、私たちが逃れる場所であるイエス様がいて下さるのである!

―祈り―


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