【タイトル】
「富と誉と賛美と、天にあるすべての祝福で満たしてくださる主」
【前置】
今日は、今年の年間聖句個所の後の箇所、イザヤ6:4以降から、イザヤ書60章全体のまとめとしてメッセージを取り次ぐ。先ず、その結論の箇所、イザヤ60:18から読んで始める。
【聖書個所】
イザヤ60:18b:「あなたの国の中の暴虐、あなたの領土のうちの破壊と破滅は、もう聞かれない。あなたは、あなたの城壁を救いと呼び、あなたの門を賛美と呼ぼう。」
【序論】
前回、イザヤ書60章からは、シオンの民、つまりイスラエルの民と神の民である私たちに対する終末預言が語られている箇所だと言ったが、具体的には何が語られているのか?―それは、前回のメッセージで語ったように、私たちの光である主の栄光がこの地、シオンの上、イスラエルの民の上、私たちの上に来ると、イスラエルの民、また私たちには、〇〇ということが起こる、また、そのように私たちは変えられる!ということだった。言い換えるなら、主は、主御自身の栄光をもって私たちのところに来て、私たちを〇〇になるようにして下さる神であるということです。そして、特にそれについて重要な点は、前回のみことばのV1b:「あなたの光が来て、【主】の栄光があなたの上に輝いているからだ。」とあるように、終末預言として、これから来るということだけでなく、もう既に来られているということだということです。
では、早速、前回の後のV4から読んで行く。
【本論】
V4~V7:「目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、心は震えて、喜ぶ。海の富はあなたのところに移され、国々の財宝はあなたのものとなるからだ。らくだの大群、ミデヤンとエファの若いらくだが、あなたのところに押し寄せる。これらシェバから来るものはみな、金と乳香を携えて来て、【主】の奇しいみわざを宣べ伝える。ケダルの羊の群れもみな、あなたのところに集まり、ネバヨテの雄羊は、あなたに仕え、これらは受け入れられるいけにえとして、わたしの祭壇にささげられる。わたしは、わたしの美しい家を輝かす。」
この箇所では、主の栄光がシオンの上に来ると、Ⅴ4:「目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。」とあるように、イスラエルの民、神の民がシオンであるエルサレムに集まって来ると言う。つまり、民族回復の預言が語られている。AD70年のエルサレムのローマによる破壊以来、イスラエルの民は国を失ったが、1948年5月14日、イスラエルの国が建国されると、それ以前にもイスラエルの地にはユダヤ人たちが戻って来ていたが、建国以来、聖書の預言通りに多くのユダヤ人にイスラエルに戻り、建国当時は約65万人だったユダヤ人が、76年後の2024年では、イスラエルの地に住んでいるユダヤ人の数は、約12倍の約800万になった。預言の成就である。
そして、それはただ数の問題ではなく、民としての尊厳、誉、栄光の回復であった。V5a:「そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり(栄光で輝き)、…。」。
この尊厳、栄誉の回復については、他にも、V7:「ケダルの羊の群れもみな、あなたのところに集まり、ネバヨテの雄羊は、あなたに仕え、これらは受け入れられるいけにえとして、わたしの祭壇にささげられる。わたしは、わたしの美しい家を輝かす。」、Ⅴ9:「まことに、島々はわたしを待ち望み、タルシシュの船は真っ先に、あなたの子らを遠くから来させ、彼らの金銀もいっしょに、あなたの神、【主】の名のために、イスラエルの聖なる者のために運んでくる。主があなたを輝かされたからである。」、Ⅴ13:「レバノンの栄光は、もみの木、すずかけ、檜も、共に、あなたのもとに来て、わたしの聖所を美しくする。わたしは、わたしの足台を尊くする。」、V15:「あなたは捨てられ、憎まれ、通り過ぎる人もなかったが、わたしはあなたを永遠の誇り、…。」とあり、シオンの尊厳、栄光、誉は回復するのである。
また、それは同時に、喜びの回復でもあった。V5a:「そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、心は震えて(感動して)、喜ぶ。」。V15:「あなたは捨てられ、憎まれ、通り過ぎる人もなかったが、わたしはあなたを永遠の誇り、代々(永遠にいつまでも続く)の喜びの町に変える。」
またこの回復は、神の民としての信仰と礼拝の回復であった。
V7:「ケダルの羊の群れもみな、あなたのところに集まり、ネバヨテの雄羊は、あなたに仕え、これらは受け入れられるいけにえとして、わたしの祭壇にささげられる。わたしは、わたしの美しい家を輝かす。」
ケダル、ネバヨテは、アブラハムとサラの女奴隷ハガルとの間に生まれたイシュマエルの次男、長男のこと。つまり、アブラハムとは血の繋がりはあるが、霊的には異邦人と同じく、神との契約から除外された者ではあるが、彼らの生贄も受け入れられるようになる、つまり、異邦人も神の民と同じようにイスラエルの神を崇めるようになるという信仰の回復、神の民としての礼拝の回復が起こるということである。
V6:「らくだの大群、ミデヤンとエファの若いらくだが、あなたのところに押し寄せる。これらシェバから来るものはみな、金と乳香を携えて来て、【主】の奇しいみわざを宣べ伝える。(東方の博士たちのように、主を礼拝する。)」
そして、信仰、礼拝の回復だけでなく、そこにはさらに、神の民として相応しく、富の回復がある。
V5b:「海の富はあなたのところに移され、国々の財宝はあなたのものとなるからだ。」
「ミデヤン」は、アラビヤ半島の砂漠地帯で、モーセがかつてエジプトから逃れた時、40年の間、羊を追っていた所である。そこには「エファ」という部族が居た。「シェバ」とは、アラビヤ半島の南西地域で、今のイエメンの辺りで、隊商による交易で栄えた所だった。(シェバの女王)。その他、Ⅴ9:「まことに、島々はわたしを待ち望み、タルシシュの船は真っ先に、あなたの子らを遠くから来させ、彼らの金銀もいっしょに、あなたの神、【主】の名のために、イスラエルの聖なる者のために運んでくる。主があなたを輝かされたからである。」、V11:「あなたの門はいつも開かれ、昼も夜も閉じられない。国々の財宝があなたのところに運ばれ、その王たちが導かれて来るためである。」、Ⅴ13:「レバノンの栄光は、もみの木、すずかけ、檜も、共に、あなたのもとに来て、わたしの聖所を美しくする。わたしは、わたしの足台を尊くする。」とあるように、シオンには富と財宝が豊かに与えられるのである。 「もみの木、すずかけ(プラタナス)、ひのき」等の木材は、レバノンの富と繁栄の象徴であり、それらの富がシオンに運ばれてくるのである。
V16:「あなたは国々の乳を吸い、王たちの乳房を吸う。」
「国々の乳」も「国々の乳」も富の豊かさの象徴で、それらを味わうことが出来るほど、シオンは富に満ちた所になるのである。
富の豊かさとクリスチャンは相容れないと言う人がいるが、それは、富を神以上にして、富を追い求めるという、富に対する貪りという偶像礼拝に陥ってはいけないという点では正しいが、それ以外の点においては、聖書は、私たちを御自身の富をもって祝福したいと願っている。私たちが富の所有や管理において祝福されることは神のみこころなのである。
創世記1:28~30:「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』神は仰せられた。『見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。』すると、そのようになった。」
信仰の父、アブラハムも豊かな富で満ちていた。(創世記13:6:「その地は彼らがいっしょに住むのに十分でなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。」)。ソロモンも、当時の王としてはどの国の王よりも、富と知恵において富んでいたという。(Ⅰ列王10:23)
また、富という点においては、健康も私たちの富の一つであって、私たちが健康に富むのも主のみこころである。。
イザヤ60:18:「あなたの国の中の暴虐、あなたの領土のうちの破壊と破滅は、もう聞かれない。あなたは、あなたの城壁を救いと呼び、あなたの門を賛美と呼ぼう。」
「国」、「領土」を私たちの体、私たちの心とするなら、主の栄光が来ることにより、それらの「暴虐、破壊、破滅」、つまり、私たちの健康を滅ぼす「病い」は「もう聞かれない。」と言うのです。そして、その「城壁を救いと呼び、あなたの門を賛美と呼ぼう。」と言うのである。
【結論】
神はこのように、主の栄光が私たちのところに来ることによって、主は私たちをあらゆる点で乏しいことのない、すべての点において豊かな者にして下さったのである。富において、誉において、賛美において、すべての点において豊かに祝福して下さったのである。
パウロはその真理を、エペソ1:3で語っている。力強い神の言葉である。
エペソ1:3:「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」
2025年、私たちはこの祝福の中を歩んで行く。健康も含めた富と誉と栄光に満たされ、天にあるすべての霊的祝福に満たされて、私たちは歩んで行くのです。
―祈り―
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