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2024. 4.28 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

ダニエル11:21~35

【タイトル】

ダニエル書(21)「大きないくさ②―イスラエル国内の戦い」

【前置】

 今日は、主が啓示した「大きないくさ②」としてのイスラエル国内における戦いについて語る。イスラエル国内における「大きないくさ」としての戦いとはどんな戦いであろう?今日も1節ずつ読みながら、みことばを語って行く。

【本論】

V21:「彼に代わって、ひとりの卑劣な者が起こる。彼には国の尊厳は与えられないが、彼は不意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る。」

 「彼に代わって」の「彼」というのは、Ⅴ20で語った、シリヤのアンティオコス大王の後のセレウコス4世のこと。彼は、アンティオコス大王がローマとの戦いで敗れたことによってローマから重税を取り立てられることになり、そのために支配下にあったユダヤの人々から税を取ろうと「税を取り立てる者」(V20)、財務大臣ヘリオドルスを送ったが、そのヘリオドルスによって殺されてしまう。それは前回語った。

 それで、V21a:「彼に代わって、ひとりの卑劣な者が起こる。」と言う。その「ひとりの卑劣な者」とは、8:9で、「そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。」と記されている「一本の角」であり、また、10:27:「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」の「荒らす忌むべき者」である、ダニエルが反キリストの象徴として語った、アンティオコス・エピファーネスである。

 彼は、正式には世継ぎの子ではなかったが、人々に上手く取り入って、セレウコス4世の後を継いだ。それが、Ⅴ21b:「彼には国の尊厳は与えられないが、彼は不意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る。」ということ。

V22:「洪水のような軍勢も、彼によって一掃され、打ち砕かれ、契約の君主もまた、打ち砕かれる。」

 「洪水のような軍勢」というのは、彼の王位に就くのを反対している人々のこと。彼らはエピファーネスによって「一掃され、打ち砕かれ」、「契約の君主」、これはその時、イスラエルで祭司として働いていた大祭司オニアスのこと。イスラエルはこの時、国家としての存在なかったが、エルサレムを中心に、民族としてこの地方に住んでいて、祭司の国としてモーセの律法を守っていた。だからこの時も大祭司がいた。しかし、その大祭司オニアスを退け、自分に都合の良いヤソンという祭司を大祭司に仕立てた。

V23:「彼は、同盟しては、これを欺き、ますます小国の間で勢力を得る。」

 文字通りである。

V24:「彼は不意に州の肥沃な地域に侵入し、彼の父たちも、父の父たちもしなかったことを行う。彼は、そのかすめ奪った物、分捕り物、財宝を、彼らの間で分け合う。彼はたくらみを設けて、要塞を攻めるが、それは、時が来るまでのことである。」

 「州の肥沃な地域」とは、この時シリヤが支配していた地域で、イスラエルのガリラヤ地方も含まれていたが、それらの地域から、彼はそれまでの王がしなかったような暴虐を働いて、さまざまな物を奪い取ったという。しかしそれも、「時が来るまでのことである。」この「時が来るまでのことである。」というのは、この後、Ⅴ27、Ⅴ29、Ⅴ35に「定めの時」と言う言葉が出て来るが、これは、その「神が定めた時」のこと。

※すべての出来事には神の定めた時があって、その時が来れば、その出来事は終わる。エピファーネスがどんなに暴挙を働いても、彼にはその終わりが来るというのである。

V25~V26:「彼は勢力と勇気を駆り立て、大軍勢を率いて南の王に立ち向かう。南の王もまた、非常に強い大軍勢を率い、奮い立ってこれと戦う。しかし、彼は抵抗することができなくなる。彼に対してたくらみを設ける者たちがあるからである。彼のごちそうを食べる者たちが彼を滅ぼし、彼の軍勢は押し流され、多くの者が刺し殺されて倒れる。」

 ここで再び、「南の王」であるエジプトとの戦いのことが出て来る。この時のエジプトの王は、プトレマイオス6世である。エピファーネスはプトレマイオスと戦うが、エジプト国内でプトレマイオスに対して反逆する者たちが起こり、その者たちによってプトレマイオスは「殺されて倒れる。」という。

V27:「このふたりの王は、心では悪事を計りながら、一つ食卓につき、まやかしを言うが、成功しない。その終わりは、まだ定めの時にかかっているからだ。」

 これは、プトレマイオス6世が殺されて死ぬ前のこと。彼らは「一つ食卓につき」、つまり同盟を結ぶが、しかし腹の中では互いに策略を練って相手を滅ぼそうと企んでいる。しかし、それはどちらも成功しないと言う。「その終わりは、まだ定めの時にかかっているからだ。」とあるように、その決着は、プトレマイオスが部下の反逆によって殺された時が来たように、神の定めの時に付けられるのである。

V28:「彼は多くの財宝を携えて自分の国に帰るが、彼の心は聖なる契約を敵視して、ほしいままにふるまい、自分の国に帰る。」

 エジプト王の部下の反逆により、エジプトに勝利を得て、多くの財宝を抱えてシリヤに戻るエピファーネスは、その途中、イスラエルの民の反逆を聞き、エルサレムに向かう。そしてその暴動を抑え、イスラエルからも財宝を奪い、多くのユダヤ人たちを殺して自分の国へ帰る。「聖なる契約を敵視して、ほしいままにふるまい、自分の国に帰る。」とはそのこと。

V29~V30:「定めの時になって、彼は再び南へ攻めて行くが、この二度目は、初めのときのようではない。キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。」

 彼は再びエジプトを攻めに行くが、今度は「初めのときのようではない。」と言う。それは、「キティムの船」、これはローマの海軍のこと。ローマ海軍が彼に立ち向かうので、彼はエジプトに攻め入ることが出来ず、腹いせにイスラエルの地に行き、

Ⅴ31:「彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。」と言う。

 これが、エピファーネスによるイスラエルのギリシャ化のことで、神殿にゼウスの神の像を置き、ユダヤ人が忌み嫌う豚の捧げものを神殿に捧げて神殿を汚した出来事のこと。これは、8:11でも、9:11の箇所でも語られた。

V32:「彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行う。」

 ここからが今日のメッセージの中心、結論になる。イスラエルにも、神のみことばに従わない人々が居た。それで、エピファーネスは彼らに巧いことを言ってシリアの神、ギリシャの神に仕えさせた。あの彼によって大祭司とされたヤソンもそうである。彼らのイスラエルの神に対する信仰を奪い取ろうとした。しかし、そうではない人たちも居た。彼らは「堅く立って事を行い」、

V33:「民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。」

 「民の中の思慮深い人たち」、信仰を捨てず、みことばに従って行く人たちは、「長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。」、迫害に会うが、しかし、それでも「多くの人を悟らせる。」。みことばを教え続け、キリストを証し続けるというのである。

※今日、これが必要である。日本では表だった迫害はないが、しかし神に対する不信仰、不従順の霊は力強く働いている。なかなか人々は福音を信じない。なかなか神を信じようとはしない。しかしそれでも、私たちはこの時の「思慮深い人たち」と同じように、みことばを語り、福音を証し続けなければならないのである。

V34:「彼らが倒れるとき、彼らへの助けは少ないが、多くの人は、巧言を使って思慮深い人につく。」

 「彼ら」とは思慮深い人たち、信仰を守り通す人たち。「彼らへの助けは少ないが、多くの人は、巧言を使って思慮深い人につく。」信仰を守り通す本当の信仰者の側に立ち、彼らと共に歩む者は少ないが、「多くの人は、巧言を使って思慮深い人につく。」これは、当時のイスラエルの民の中での戦い、対立、分離を表わしている言葉である。

 エピファーネスによって神殿が汚されたことにより、当時のイスラエルの祭司の家系のマカバイと言う人が、そのシリアに対して反乱を起こす。それが、BC167年からBC165年まで続いたマカバイ戦争である。その時マカバイは、シリアに対して戦っただけでなく、イスラエル国内においても、エピファーネスの巧言によってシリア側に着いた人たち、イスラエルの神を捨て、ギリシャの神を拝んでいた人たちを裁いたため、彼らはその裁きを逃れるために本心から悔い改めたのではなく、巧い言葉を言ってマカバイに取り入り、裁きを免れたのである。これはそのことを言う。

 しかしその後も、イスラエルの国の中で、正式な祭司の家系でなかったハスモン家出身の出身のマカバイと、その後の人たちに対して不満や反乱が起こり、イスラエルの国内でも絶えず分裂や戦いが起こるのである。これは今日の世界の国々で見られることである。そしてこれが今日のメッセージの結論だが、

【結論】

V35:「思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。」

 これは当時の人々に対するメッセージであると共に、今日の私たちに対するメッセージでもある。「終わりの時」とは今の時のこと。しかし、まだ「終わりの時の終わりの時」つまり、イエス様の再臨の時はまだ来ていない。それまでは、この世の中は不信仰と不従順と、不義と不正に満ちており、不敬虔な者たちが、そうではない者のようにして歩んでいる。しかしそうであっても、私たち神を信じる者は最後まで、神に従い通して歩み、御言葉を教え、御言葉を守り、それによって、自分だけではなく、お互いに鍛錬し、清め、白く、つまり罪のない者として立つことが出来るように、キリストに相応しい花嫁として立つことが出来るように、キリストに似た者として立つことが出来るように、私たちはお互いに励まし合って、助け合い、教え合って、祈り合って行かなければならないのである。それは、「定めの時がまだ来ないからである。」イエス様の再臨はまだ来ないからである。

 パウロは再臨を前にして、そのような状況の中にいる教会に対して次のように語っている。それを持って、今日のメッセージの結論にしたい。

Ⅱテモテ4:1~8:「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。4:7私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」

―祈り―

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