【聖書個所】
ダニエル11:1~20
【タイトル】
ダニエル書(20)「大きないくさ①―イスラエル周辺諸国の戦い」
【前置】
ダニエルに語られた終末預言の最終章に入る。この11章は内容的に3つに分けられ、12章は、これまでのまとめとして2つに分けられる。第1回を昨年3月12日に始めているので、約1年をかけて学んで来た。どうであったか?文字通り、当時のオリエント世界の歴史を学ぶという、勉強のような面もあったが、そこから今日へのメッセージを汲み出すことも出来たし、またダニエルを通して、特に異教社会で生きる信仰者としての姿を多く学ぶことが出来たのではないかと思う。
この11章は、ダニエル10:1:「ペルシヤの王クロスの第三年(BC535)に、ベルテシャツァルと名づけられていたダニエルに、一つのことばが啓示された。そのことばは真実で、大きないくさのことであった。彼はそのことばを理解し、その幻を悟っていた。」とある「大きないくさ」についての預言の箇所である。それが3つに分けて語られている。それで、メッセージのタイトルが「大きないくさ・・・」となっているわけである。その内容は、再び歴史の勉強のように無味乾燥的になるかもしれないが、最後には結論として大切なメッセージが待っているので、それを期待しながら、最後までついて来ていただきたい。では早速みことばを開いて行こう。
【本論】
V1:「──私はメディヤ人ダリヨスの元年に、彼を強くし、彼を力づけるために立ち上がった。──」
「私」とは、10章でダニエルが見た「ひとりの人」、受肉前のキリストである。そのキリストがダニエルに「大きないくさ」についての啓示を与えたわけだが、キリストは「メディヤ人ダリヨス王の元年(BC539年)に、「彼」(御使いミカエル)を強くし、彼を力づけるために立ち上がった。」と言う。これは前回10章の学びで、初めキリストがペルシャの君である悪魔に対峙していたが、ミカエルが来たので、キリストはダニエルに終わりの日に起こることを悟らせるために、その場をミカエルに任せてダニエルの所に来た。しかしその目的を達したので、再びミカエルの所に行って彼を力づけようとして立ち上がったと言うことである。そして、
V2a:「今、私は、あなたに真理を示す。…」
「真理」とは、ダニエル10:21:「しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。」と、神がイスラエルを中心に、終末預言としてペルシャ、ギリシャ、エジプト、シリヤなど、当時のオリエント世界でこれから起こる事について預言したことであって、それの記されている書が「真理の書」である。それは、正にこの聖書そのものであり、この聖書を通して、神はこれらの国に対する御計画を記しているのである。そして、それが、Ⅴ2のこの後から記されているのである。その内容は、今日のメッセージタイトルにあるように、「イスラエル周辺諸国の戦い」に関する預言である。これから先、「南の王」、「北の王」という言葉が度々出て来るが、これは当時そこで支配していた「エジプト・プトレマイオス朝の王」、「シリア・セレウコス朝の王」のことである。なので、二つの国の年表を用意したので、それを参考にしながら聞いてもらえればと思う。
V2b~:「見よ。なお三人の王がペルシヤに起こり、第四の者は、ほかのだれよりも、はるかに富む者となる。この者がその富によって強力になったとき、すべてのものを扇動してギリシヤの国に立ち向かわせる。」
この「三人の王」とは、クロス王の後のカンビュセス王、スメルディス王、ダリヨス王のこと。なので、この預言は、明らかにクロス王以降のペルシャやギリシャ、エジプトやシリヤに関する預言であることが分かると思う。そして、「第四の者」とは、ダリヨス王のこと。ダリヨス王はギリシャに向かって度々遠征していたようである。その中の一つの有名な戦いに、「マラトンの戦い」(BC490年)というものがある。余談だが、この時、その戦いの勝利、「我ら勝てり」と言う良い知らせ「ユーアンゲリオン」(福音)を、一人の兵士が完全武装のままマラトンからアテネまで走って伝えて絶命したということから、マラソン競技が誕生した。
V3:「ひとりの勇敢な王が起こり、大きな権力をもって治め、思いのままにふるまう。」
「ひとりの勇敢な王」とは、マケドニアのアレキサンダー大王のこと。
V4:「しかし、彼が起こったとき、その国は破れ、天の四方に向けて分割される。それは彼の子孫のものにはならず、また、彼が支配したほどの権力もなく、彼の国は根こぎにされて、その子孫以外のものとなる。」
「天の四方に向けて分割される。」と、大王の死後の4つの国、シリア、マケドニア、エジプト、ペルガモンに分裂したことが預言されている。
V5:「南の王が強くなる。しかし、その将軍のひとりが彼よりも強くなり、彼の権力よりも大きな権力をもって治める。」
「南の王」とは、プトレマイオスⅠ・ソーテール王。「その将軍」とは、その後シリアのセレウコス朝を起こしたセレウコス・二カトール王のこと。
V6:「何年かの後、彼らは同盟を結び、和睦をするために南の王の娘が北の王にとつぐが、彼女は勢力をとどめておくことができず、彼の力もとどまらない。この女と、彼女を連れて来た者、彼女を生んだ者、そのころ彼女を力づけた者は、死に渡される。」
その後、エジプトのソーテール王の息子のプトレマイオスⅡ・フィラデルフォス王は、シリアの二カトール王の後のアンティオコスⅡとの間で和睦を結ぶため、娘のベルニケをアンティオコスⅡの所に嫁がせる。しかし、その政略結婚は効を奏さず、ベルニケ始め、周辺の人々は皆、アンティオコスⅡによって殺されてしまう。
V7~V8:「しかし、この女の根から一つの芽が起こって、彼に代わり、軍隊を率いて北の王のとりでに攻め入ろうとし、これと戦って勝つ。なお、彼は彼らの神々や彼らの鋳た像、および金銀の尊い器を分捕り品としてエジプトに運び去る。彼は何年かの間、北の王から遠ざかっている。」
「この女の根から一つの芽が起こって」とは、ベルニケの弟プトレマイオスⅢ・ユーエルゲテースのこと。彼は父のフィラデルフォス王に代わってエジプトの王になり、姉のベルニケたちを殺したアンティオコスⅡを滅ぼし、シリアから偶像や金銀の器を奪い取った。その後しばらくは、二つの国の間には戦いは起こらなかった。
V9:「しかし、北の王は南の王の国に侵入し、また、自分の地に帰る。」
この時の北の王は、アンティオコスⅡの子のセレウコスⅡ・カリニコスだったが、彼は度々エジプトに攻め入るが、失敗に終わる。
V10:「しかし、その息子たちは、戦いをしかけて、強力なおびただしい大軍を集め、進みに進んで押し流して越えて行き、そうしてまた敵のとりでに戦いをしかける。」
「その息子たち」とは、セレウコス・ソーテールⅢとアンティオコスⅢ・大王。「敵のとりで」とは、当時エジプト領だったガザの砦。シリアは、このガザをBC218年に攻略する。しかし、
V11~V12:それで、南の王は大いに怒り、出て来て、彼、すなわち北の王と戦う。北の王はおびただしい大軍を起こすが、その大軍は敵の手に渡される。その大軍を連れ去ると、南の王の心は高ぶり、数万人を倒す。しかし、勝利を得ない。」
この時の「南の王」であるプトレマイオスⅣ・フィロパトールは、シリア軍と戦ってガザを奪い返し、ユダヤの地方の支配権を取り戻す。それだけでなく、シリア軍を捕虜としてエジプトに連れ帰り、一時隆盛を極めるが、しかし、Ⅴ12:「勝利を得ない。」とある。それは、
V13:「北の王がまた、初めより大きなおびただしい大軍を起こし、何年かの後、大軍勢と多くの武器をもって必ず攻めて来るからである。」
「北の王」であるアンティオコスⅢ・大王は、エジプトのフィロパトール王が死んだ後、エジプトを再び攻撃する。それだけではなく、
V14:「そのころ、多くの者が南の王に反抗して立ち上がり、あなたの民の暴徒たちもまた、高ぶってその幻を実現させようとするが、失敗する。」
アンティオコス大王は、自分たちの国以外の「多くの者」であるマケドニアや周辺の国々と同盟を結び、またエジプトに支配されてエジプトに反感を持っている「あなたの民の暴徒たち」とあるユダヤ人たちをも巻き込んでエジプトを滅ぼそうとするが、それは「失敗する。」とある。しかし、
V15~V16:「しかし、北の王が来て塁を築き、城壁のある町を攻め取ると、南の軍勢は立ち向かうことができず、精兵たちも対抗する力がない。そのようにして、これを攻めて来る者は、思うままにふるまう。彼に立ち向かう者はいない。彼は麗しい国にとどまり、彼の手で絶滅しようとする。」
最終的にアンティオコス大王は、Ⅴ15:「南の軍勢」、エジプトに対して勝利し、Ⅴ16:「麗しい国」であるユダヤの国を手に入れ、そこを支配し、そこを絶滅させて完全支配しようとする。そして更に、
V17:「彼は自分の国の総力をあげて攻め入ろうと決意し、まず相手と和睦をし、娘のひとりを与えて、その国を滅ぼそうとする。しかし、そのことは成功せず、彼のためにもならない。」
アンティオコス大王はエジプトも完全支配しようとして、自分の「娘のひとり」、クレオパトラ(あの有名なクレオパトラのことではない)をプトレマイオスⅤに嫁がせるが、クレオパトラは夫のエジプト側に就いてしまい、その計画は失敗する。それで、
V18~V19:「それで、彼は島々に顔を向けて、その多くを攻め取る。しかし、ひとりの首領が、彼にそしりをやめさせるばかりか、かえってそのそしりを彼の上に返す。それで、彼は自分の国のとりでに引き返して行くが、つまずき、倒れ、いなくなる。」
アンティオコスⅢはエジプト支配を諦め、目を地中海に向ける。そして多くの島々を攻め取るが、ちょうど勢力を拡大し始めたローマ帝国とぶつかり、ローマ軍の「ひとりの首領」ルキウス・スキピオ将軍に破れてしまう。それで彼は自国に引き返すが、ローマに負けたことにより、ローマから多額の戦争賠償金を要求され、自国民の反感を買って殺されてしまう。そして、
V20:「彼に代わって、ひとりの人が起こる。彼は輝かしい国に、税を取り立てる者を行き巡らすが、数日のうちに、怒りにもよらず、戦いにもよらないで、破られる。」
「ひとりの人」とはセレウコスⅣ・フィロパトール王。「輝かしい国」とは、Ⅴ16の「麗しい国」であるユダヤの国。その国に、フィロパトール王は、ローマに賠償金を払うために「税を取り立てる者」、財務大臣ヘリオドルスを送るが、彼によって殺されてしまう。
※このように、国同士においても、一つの国の中でも戦いが果てしなく繰り広げられて行く。まるで現代と変わらない。否、現代が当時と変わらないということである。結局、それが、「真理の書」(10:21)である神の預言の書、聖書が、実際にシリアとエジプト、そして周辺諸国で起きる歴史上の出来事を預言し、そして、それが今日振り返ると、ことごとく預言の成就として歴史が造られているということである。
【結論】
従って、この箇所の結論は、この世はいかに愚かしいものであるかを教えると共に、それを預言として語った出来事が実際に起きたということを通して、神が人類の歴史を作っているということと、神の口から語られた預言は必ず実現するということ、神の言葉は真実であるということを私たちに教えているのである。
―祈り―
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