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2024.11.24 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

黙示録9:13~21

【タイトル】

黙示録(20)「ラッパのさばき③―それでも悔い改めない人々②―」

【前置】

 今日のメッセージは前回に続き、9章の後半、Ⅴ13~V21の箇所から、「それでも悔い改めない人々②」というテーマでメッセージを取り次ぐ。

【聖書個所】

黙示録9:13~21:「第六の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は神の御前にある金の祭壇の四隅から出る声を聞いた。その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。騎兵の軍勢の数は二億であった。私はその数を聞いた。私が幻の中で見た馬とそれに乗る人たちの様子はこうであった。騎兵は、火のような赤、くすぶった青、燃える硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は、獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄とが出ていた。これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された。馬の力はその口とその尾とにあって、その尾は蛇のようであり、それに頭があって、その頭で害を加えるのである。これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」

【本論】

 今日の本題の「悔い改めない人々」に関するメッセージに入る前に、第6のラッパが鳴ったことによって起こった神の裁きの様子を見ておこう。

 第1のラッパから第5のラッパまでそうであったように、裁きのラッパは天で吹き鳴らされる。そして、それに伴う裁きが地で起こる。何故なら、ラッパを吹き鳴らす御使いたちは神の御前にいるからである。

黙示8:1~2:「小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。」

 彼らは天で神の御前にいて、そこでラッパを吹くのである。第6の御使いもそう。そうして彼がラッパを吹き鳴らすと、同じように神の御前にある金の祭壇の四隅から声が出たと言う。

V13:「第六の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は神の御前にある金の祭壇の四隅から出る声を聞いた。」

 祭壇というのは、祭司が動物を屠り、その血を祭壇の四隅の角に塗り、体は祭壇の上で焼いて煙にする所である。目的は、神がその血を見、その煙を宥めの香として嗅ぐことにより、民の罪の贖いが為されるためです。その作り方は出エジプト27:1~8に記されている。(スライドで示す。)大きさは、5×5×3キュビト(2.6×2.6×1.6m。1キュビト:52cm計算)。角が外に向いているのは、その贖いが四方に広がるようにという意味合いからである。内側はアカシヤ材で、外側は青銅が被っている。ソロモンが作った祭壇はもっと大きく、20×20×10キュビト(10×10×5m)。だから、階段が付いていた。(Ⅱ歴代4:1)(これは、ウェディングの祭壇の段と関係あるだろう)

 しかし、ヨハネが天で見た祭壇は、モーセやソロモンが作ったものとは違う完全な祭壇である。地上のものはすべて天にあるものの一時的な写し、模型だからである。]

ヘブル8:5:「その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモーセが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。『よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。』」

 だから、天のこの祭壇の四隅から出る声は、神御自身の声である。その声が、V14~V19:「その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。『大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。』すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。騎兵の軍勢の数は二億であった。私はその数を聞いた。私が幻の中で見た馬とそれに乗る人たちの様子はこうであった。騎兵は、火のような赤、くすぶった青、燃える硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は、獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄とが出ていた。これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された。馬の力はその口とその尾とにあって、その尾は蛇のようであり、それに頭があって、その頭で害を加えるのである。」

 これが第6のラッパが吹き鳴らされたことによって起こった地上における裁き、Ⅴ12:「…。見よ。この後なお二つのわざわいが来る。」の「二つの災いの内の一つ目の災い」である。

 大川ユーフラテスのほとりにつながれていた4人の御使いたちがどういう者か分からないが、兎も角、この時、定められていた時に、神の裁きのために遣わされた御使いたちで、彼らと共に、そこには2億の騎兵が居て、彼らが出て行くことで人類の三分の一が殺されたとある。この「三分の一」は、8章にもあったが、必ずしも割合としての三分の一ではなく、3つに分けた三つめの部分ということかもしれない。いずれにしろ、数多くの人々が、ヨハネが幻の中で見た騎兵によって殺される。この騎兵の数の2億の「億」(万×万)と言う数字は、当時の人々が考え付く最大単位だったそうである。だから、その数の大きさがいかに大きいかが想像出来る。今日の私たちで言うと、兆の次の、京(けい)、垓(がい)、 秭(じょ)、ずっと続いて、不可思議(ふかしぎ)、最後が無量大数(むりょうたいすう)となっているが、無量大数の騎兵が、それも何とも不思議な、気味の悪い、恐ろしい生き物、馬でありながら、頭は獅子のようであり、また尾は蛇のような生き物、乗り手の兵隊は、「火のような赤、くすぶった青、燃える硫黄の色の胸当てを着けており」(V17)とあるように、6章で、巻き物の第2の封印から第4の封印が解かれた時に、赤い馬、黒い馬、青ざめた馬が出て来て、地上に災いをもたらしたような、否、それ以上の災いによる裁きが地にもたらされた。この生き物は何か?―いろいろな解釈があるが、少なくとも生物ではなく、「口からは火と煙と硫黄とが出ていた。」(V17)とあるように、これらは今日の戦争で用いる近代兵器の戦車とかミサイルのようなものではないか?―硫黄は爆薬の材料である。ニュースで北朝鮮の軍事パレードを見ることがあるが、巨大なミサイル発射台を積んだ車両が既に造られている。いずれ第三次世界大戦が起こると、このような兵器、核兵器も用いられるのか…?

 想像しただけでも恐ろしいことが起こるのだが、それでも悔い改めない人々が残るのである。

V20~V21:「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」

 これは本当に恐ろしいことである。裁き自体よりも恐ろしいことである。どうしてそんなことがあり得るか?―前回はルカ16章より、自己義認で満足していたパリサイ人たちに対し、イエス様が、神の前で義とされなければならないこと、悔い改めなければならないことを教えるために、毎日贅沢に暮らしていた金持ちと、その金持ちの門前にいた貧しいラザロの譬え話の所から語ったが、今日は、悔い改めの大切さを理解するため、イサクの長子であったエサウが、唯一無二のその長子の権利を、空腹のために弟のヤコブが作った一杯のレンズ豆のスープと取り換えてしまった出来事から語る。

創世記25:25~34:「最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた。イサクは彼らを生んだとき、六十歳であった。この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。さて、ヤコブが煮物を煮ているとき、エサウが飢え疲れて野から帰って来た。エサウはヤコブに言った。『どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。』それゆえ、彼の名はエドムと呼ばれた。するとヤコブは、『今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。』と言った。エサウは、『見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。』と言った。それでヤコブは、『まず、私に誓いなさい。』と言ったので、エサウはヤコブに誓った。こうして彼の長子の権利をヤコブに売った。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。」

 「エサウ」と言う名は、「赤い」を意味する(へ)「アードーム」から来た言葉。そして、人の名前はその人となりを表わすと言うが、兄エサウは、猟から帰って来て腹を空かし、まるで生まれながらの自分を象徴するかのような「赤いもの」であるレンズ豆のスープが欲しい余り、長子の権利を打ってしまった。正に、自己充足の世界から出ることなく満足してしまったのである。一方の弟ヤコブは、その名前「ヤコブ」が「かかとをつかむ」という意味であるように、生まれる時も、「その手はエサウのかかとをつかんでいた。」とあるほど、長子の権利に飢え、兄のエサウより先に生まれようとしていた。ここにその違いがある。兄のエサウは、自分がどんなに特権に恵まれているかも分からず、Ⅴ34b:「こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。」とあるように、その権利を軽く見たのである。だから、後になってそれを欲しいと思っても、それは叶わなかったのである。その理由がヘブル書に記されている。

ヘブル12:16~17:「また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。」

 彼は依然として長子の権利を理解出来ず。そのため、心からの悔い改めが出来なかったようである。

【結論】

 私たちはどうか?―私たちに与えられている特権、恵みを真に理解しているだろうか?―それをいつも覚え、感謝をささげ、その特権を用いて行きたいものである。与えられている特権恵みを真に理解し、今日のエサウのように現状満足、自己満足ではなく、ヤコブのように、前回の貧乏人ラザロのように、特権恵みに飢え渇き、現状満足せず、特権、恵みを求めて行こう!

―祈り―


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