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2024. 1. 21 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【前置】

 黙示録の講解説教の4回目。今日は1章の9節~20節。この箇所は1章の結論部分です。1章と言うのは、これまで3回に分けて語って来たように、黙示録という預言書はどういう書物なのか、何のために書かれた書物なのかという、黙示録についての概要が、導入部分として記されているところ。一般の書物でいうなら、序文とか紹介文が記されているところ。黙示録を書簡とするならば、挨拶を含めた書き出しの部分です。今日の箇所はその結論として、再度、黙示録と言う書物、書簡はどういうものであるのか?何のために書かれたものであるのかが結論として記されているところです。


 では、早速みことばを開こう。


黙示録1:9~19:「私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。それらの燭台の真ん中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。


【本論】

V9:「私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。


 黙示録は前回語ったように、直接的には「アジアにある7つの教会」(V4)であるⅤ11:「エペソ、スミルナ、ぺルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤ」という7つの教会に向けて記された預言書、書簡である。しかし、それは同時に今日の、今日だけではなく、過去、現在、未来のすべての教会、神の民に向けての預言書、書簡であるということである。ヨハネは、Ⅴ9:「私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり」と言っている。そしてまた続けて、「あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。」と言っているように。この書簡を読むすべての人へのメッセージなのである。私たちはヨハネと共に、彼が生きていたAD1世紀に生きていたわけでもなく、またヨハネと一緒にパトモスという島にいたわけでもない。しかし、私たちはヨハネが言うように、クリスチャンとして、ただ救われて天国に行くというだけでなく、その信仰生活には、その信仰のゆえに苦難があり、御国に行くまで、その苦難の下で忍耐を働かせていかなければならない者であるということなのである。


 パウロやペテロも、私たちの信仰生活には苦難が伴うことを、次のように言っている。


ピリピ1:29:「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。


Ⅰペテロ1:7:「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。


 「信仰の試練」とは忍耐のこと。(ローマ5:3で、「患難(信仰の試練)が忍耐を生み出す。」とある。)


 ヨハネは、そのように私たちと同じ信仰を持っている者として、この黙示録という書簡を、これから起こることへの備えのために、私たちが私たちの信仰のレースをゴールまで走り切ることが出来るためのマニュアルとして書き送っているのである。なので、その内容は、一見、「これは一体何なのだろう?何を意味しているのだろう?」と、すぐには理解できないような幻や出来事のことが記されてはいても、そのような思いで黙示録のメッセージを聞いて行く時、また読んで行く時、私たちは「こうすればいいのだ。この道を進んで行けば良いのだ。」と分かる。神様が、イエス様が、聖霊様が教えてくれるのです。


※聖霊様は、私たちをゴールまで教え導いてくださる神様です。


Ⅰヨハネ2:27:「あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、──その教えは真理であって偽りではありません──また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。


 勿論、私たちは人からも、本からも、いろんな手段で教えを得ることが出来るので、それらに頼る必要はないということではなく、人からにしても、本からにしても、直接この聖書からにしても、私たちのうちにおられる聖霊様により、私たちは真理を知ることが出来るということです。


 黙示録に戻る。それでヨハネはここで、この1章の導入部の結論を述べている。その鍵となる聖句は、V19です。


V19:「そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。


 その結果生まれたこの黙示録が生まれたわけだが、「そこで、あなたの見た事」とは何か?それは、


Ⅴ10~V16:「私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。それらの燭台の真ん中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。


 とあるように、やがてこの地を裁くために来られる私たちの主イエス・キリストである。この姿は、ダニエル7:9とダニエル10:5~6で描かれている、ダニエルが見た終末預言の中に現れる幻の人物の姿と同じ姿である。ヨハネはその姿を見て、余りの神々しさに、その足元に倒れてしまうのだが、イエス・キリストは彼にこう言う。


V17c~V19:「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。


 「今ある事」とは、2章~3章に記されている、ヨハネの同時代の、これから主がヨハネに語る7つの教会のこと。そして、「この後に起こる事」とは、4章~22章に記されている、終わりの時に、小羊イエス・キリストの手にある巻物の封印が解かれて始まる患難期の出来事のことである。そこには確かに神の怒り、裁きのありさまが恐ろしく描かれているが、しかし、このことだけはしっかりと覚えておこう。それは、やがて王なる祭司として来られる主イエス・キリストの語られた言葉である。


V17c~V18:「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。


 イエス・キリストは私たちの救いのために十字架の上で贖いの死を成し遂げられ、墓に葬られ、黄泉に下って、黄泉とはハデスのことであり、ある神学者は、黙示録20章でいう「第2の死」の場所、永遠の滅びの場所であるシェオールを指すという人もいるが、どちらにしても、ヘブル9:27:「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」とあるように、人は一度死んだ後に裁きを受ける。その時、イエス・キリストを信じる者は、この世にあって死なないというのではなく、永遠の滅びに行くことがないように、イエス様が死とハデスの鍵を持っているので、その力を滅ぼし、私たちを永遠の御国へと入れてくれるのである。


 そのためにイエス・キリストはヨハネに現われ、この預言を語ったのである。だから、私たちはもはやイエス・キリストを信じる者として、恐れることはない。イエス・キリストにあって、死とハデスの力に打ち勝っているからである。アーメン!


 次回は、黙示録1:20から始まり、「今ある事」である7つの教会についてのメッセージに入る。


―祈り―

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