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2026. 9.20 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

2 日前
読了時間: 6分

【タイトル】

エペソ(20)「親子に対して:主に従うように、互いに従いなさい。」


【聖書個所】

エペソ6:1~4:「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。6:2『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、6:3『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。』という約束です。6:4父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」


【前置】

 「互いに従いなさい。」の3回目の学び。今日は親子の関係の中での教えで、前回の夫婦の関係の中での教えと並び、誰にとっても実行するのに難しい教えではないかと思うが、聖書のみことばです。先ず、鎮まって、心を開いてみことばに聞こう。

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【本論】

V1:「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」と、先ず子どもたちに向けて教えが語られているが、その根拠になっている鍵の言葉が「主にあって」で、これが今日の第1のポイントである。


 今までの「教会に対しての教え」(エペソ5:18~21)や、「夫婦に対しての教え」(エペソ5:22~33)の中では、「主に従うように」という「主との関係」のことが先ず語られていたが、この「主にあって」というのも、それと同じ意味をもった鍵の言葉なのである。だから、これは、親に向けて語られている言葉、Ⅴ4:「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」にも通ずる言葉でもある。

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 聖書には「主にあって」とか、「主に従うように」とか言う言葉は無いが、意味としては、ここは、「父たちよ。あなたがたも、(主にあって、或いは、従うように)子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」ということなのです。

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 ここで、「父たちよ」と、「親たちよ」になっていないことについては、この後の3番目のポイントで触れる。ここでは先ず何よりも、親子に対しても、「主にあって」或いは、「主に従うように」という「主との関係」が大前提になっていることを覚えよう。何故なら、私たちの信仰生活のすべては、主を私たちの主と信じる信仰、私たちの主の主、王の王と信じる信仰、主を私たちの神として信じる「主との関係」に基づいているからである。これが、この箇所の第一のポイントである。

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 第二のポイントは、V1b~V3:「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。6:2『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、6:3『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。』という約束です。」という子どもたちに対する教えです。この教えは、神がモーセに与えた十戒の第5番目の戒めでもある。

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申命記5:16:「あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。」

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 この「あなたの父と母を敬え。」という戒めは、「それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。」とあるように、非常に重要な戒めです。何故かと言うと、十戒の第1戒から第4戒は「神に対する戒め」で、6戒から10戒までは、「隣人、人に対する戒め」で、この「子の親に対する戒め」は、その間にあって、それを繋ぐ戒めであるからです。  

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 ある時、ひとりの律法学者がイエス様の所に来て、「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」(マルコ12:28)と尋ねた。それに対してイエス様が彼にこう答えた。

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マルコ12:29~31:「イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。12:30心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』(申命記6:4~5)12:31次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』(レビ19:18)この二つより大事な命令は、ほかにありません。」」

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 この二つのたいせつな戒めを結んでいるのが、十戒の第五番目の戒めであり、パウロがエペソの教会に書き送った手紙の今日の箇所でもある。それは、子供と親との関係の中の戒めだからである。そして、子供というのは被造物である人である私たちを示し、親というのは私たち被造物を造った神を示している。だから、この箇所、十戒の中での5番目のこの戒めは、神と人との関係の戒め(第1戒から第4戒)と人と人との間の戒め(第6戒から第10戒)を繋いでいると言ったのである。

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※被造物である人、また子供が、創造主である神、また親を愛し敬うことは、人にとって、また子供にとって正しいこと、幸いなことです。箴言3:1~2:「わが子よ。私のおしえを忘れるな。私の命令を心に留めよ。3:2そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる。」とある通り。だから聖書は、エペソ6:1~3:「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。6:2『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、6:3『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。』という約束です。」と言うのです。

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 第三のポイントは、Ⅴ4:「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」です。

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 初めに触れた、聖書は何故、「親たちよ。」とか「父と母よ。」と、「親」という言葉、「母」という言葉も使わずに、「父たちよ。」というのかというと、前の箇所で、「親」または「父母」、また「両親」が子に対してそうであるように、創造主である神は人に対して、子に対する親のようなものであると語ったように、聖書では、創造主なる神は父なる神であり、母であり女である人は、父であり、男である人から初めに造られたので、父と言う存在が先ずあって、すべてがその父なる神の下にあって造られ、また治められているからです。この点で、フェミニストたちは、聖書の教えは時代遅れ、差別的であると批判するのである。しかし、これは創造の順序、秩序の問題であって、どちらが上、どちらが下という問題ではなく、どちらが初めに造られ、後のものはそれに倣って行くものであるかということなのである。

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 そういう点で、父には大きな責任がある。何故なら、人は神に似た者として造られたので、人は神に倣うように生きなければならないように、父は子に、自分に倣うように教えて行く責任があるからです。それが、Ⅴ4:「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」ということ。「子どもをおこらせてはいけません。」というのは、ご機嫌をとって怒らせないようにするということでなく、子どもが父に、また親に「反発して背を向け、従うのではなく、反発して生きる生き方をさせてはならない。」ということです。そうではなく、「主の教育と訓戒によって育てなさい。」と言うのです。「主の教育と訓戒によって育てる。」とは?―それは、イエス様が歩まれたように、その歩みを教えるということである。イエス様はこう言われた。

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マタイ16:24:「それから、イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』」

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 イエス様は誰よりも父なる神に従い、神に似る者として歩まれた。だから私たちは、このイエス様を模範に、イエス様のようになるようにと、主にあって、イエス様の後をついて行く者なのです。そのように、親も子に対して、自分を見習うように教えて行くこと、これが親の子に対する責任です。これは容易ではない。だから、第2番目のポイントがあるのである。私たちが先ず父なる神に倣うように生きること、父なる神に従うように生きること。これが、第3番目の教えを実現させるである。

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―祈り―

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