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2026. 9.13 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

1 日前
読了時間: 8分

【タイトル】:「人は人生の危機に何を学ぶのか?」

【聖書個所】

Ⅰコリント10:1~2、13:「そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。10:2そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け(た)。」、「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」

【導入】

 先週の11日金曜、ニューヨークのワールドトレードセンタービルで起きた世界同時多発テロから25年が経ち、現地ではその追悼式典が行われた。家族の方々にとって、今でもずっと心の中に残っている出来事に違いない。また、その10年後の2011年3月11日には、日本で東日本大震災が起こり、その間も、またその後も、世界や日本で、コロナのパンデミック、地震や火災、洪水等、さまざまな災害や事故が起きている。直近では、熊本地震やベネズエラやコロンビアでの地震、またチベットでの土石流が起きて、尊い多くの人命や財産が失われた。私たちはこれらの災いに遭った時、どう考えるか?―「どうしてこんなことが起きたのか?」、「どうしてこんなことが私に、私の家族に、或いは、あの人に、この人に起きたのだろうか?」とか、いろいろなことを考えると思う。今日は、このように私たちの人生にはいろいろな危機や試練の出来事が起こるが、その時私たちはその中で何を学ぶことが出来るのか、そのことを聖書から一緒に考えてみたい。聖書個所は、Ⅰコリント10:1~2、13です。

【本論】

 V1~V2でパウロが語っているのは、イスラエルの民の出エジプト後の紅海を渡った時の出来事のことである。V1c:「私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。」というのは、彼らがエジプトで400年の間ゴシェンの地に住み、そこはナイル川河口のため、土地が肥えて豊かに作物が出来、遊牧の民であったイスラエルの民にとっては子孫繁栄のために良い地であった。そのため、イスラエル人たちはエジプトで人口が増え、パロはそれを恐れて、男子が生まれたら皆殺すように助産婦に言い渡したほどだった。そんな中、エジプトで奴隷として苦しんでいた民を救い出すため、モーセは神によってエジプトに遣わされた。そして、エジプトの初子が皆殺されると言う出来事を通して、イスラエル人たちはエジプトを脱出した。そして彼らは、ゴシェンの地を出て、エタムという所に宿営した。その時のことが、V1c:「私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。」と語られている次のこと。

出エジプト13:20~22:「こうして彼らはスコテから出て行き、荒野の端にあるエタムに宿営した。13:21【主】は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。13:22昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。」

 そうすると、神はそのエタムから、彼らがここまでやって来た方向、つまり戻る方向のピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよと言う。

出エジプト14:1~2:「【主】はモーセに告げて仰せられた。14:2『イスラエル人に、引き返すように言え。そしてミグドルと海の間にあるピ・ハヒロテに面したバアル・ツェフォンの手前で宿営せよ。あなたがたは、それに向かって海辺に宿営しなければならない。』」

 そうするとどうなったか?―彼らを出て行かせたパロは心を翻させ、彼らを再び奴隷にしようと、彼らの後をエジプトの大軍を引き連れて追いかけ、彼らの宿営地近くまでやって来た。それを見たイスラエル人たちはどうした?―

出エジプト14:10~12:「パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、【主】に向かって叫んだ。14:11そしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。14:12私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」」

 これが、今日のテーマである、私たちの人生には、物事が順調に進んでいると思っているその時に、思いもかけないタイミングで危機がやって来るが、その時に多くの人が言うこと、思うことである。「どうしてこんなことが起こるのか!それも、どうして私(たち)にこんなことが起こるのか?」と言った反応です。それに対してモーセは、また神は彼らにこう言った。

出エジプト14:13~16:「それでモーセは民に言った。『恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる【主】の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。14:14【主】があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。』14:15【主】はモーセに仰せられた。『なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。14:16あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよ。』」

 私たちが良く知っている紅海渡渉の出来事。それが、今日のⅠコリント10:2が言っていること。

Ⅰコリント10:2:「そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け(た)。」

 モーセの差し伸ばした杖によって海が分かれ、彼らが紅海を渡っている間、彼らとエジプト軍との間には雲が入って彼らを守られたということです。(出エジプト14:20)

 パウロはこのことをどうしてここでコリントの兄姉に言ったのだろう?―それは、Ⅰコリント10:6、11:「これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。」、「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」とあるように、 コリントの教会の兄姉だけでなく、今終わりの時代に生きている私たちが、貪ることなく、つまり偶像礼拝に走らず、しっかりと神を信じる信仰に踏みとどまって生きるようにと教えるためだった。それはパウロが言うように、今日生きる私たちへの教訓、教え、戒めのためであり、その教訓、教え、戒めの結論がⅤ13で教えられていること。何が教えられているか?―3つのことが教えられている。

人生の危機、試練は誰にでもある

 人は、「何で自分に」、或いは「自分たちに」と、自分、自分たちのことをすぐ思う。それは自分中心と言う罪の性質があるから仕方のない事だが、しかし、事実はそうではなく、人生の危機、試練は誰にでも起こるのである。今日のみことばが言う通りである。

Ⅰコリント10:13a:「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。」

 つまり、誰もが経験するものなのであると言っている。だから、「どうして自分に、自分たちだけに」と、いたずらに被害妄想的にならなくてよいのである。

神が乗り越える力、立ち向かう力を与えてくれる

Ⅰコリント10:13c:「むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」

 この前に、「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。」とあり、そこに「耐えられないほどの試練」と言う言葉があるが、その「耐える」という言葉は、原語では「担う」と言う意味を含んだ「耐える」という言葉が使われている。つまり「担うことの出来ないほどの試練に会わせることはなさいません。」ということ。何故なら、その試練は誰でもが経験するものだからであり、一部の特別な人だけが担うことが出来る試練ではないということだからです。

 そして、ここでの「耐えるように」というのは、前の「担う」という意味の「耐える」という言葉ではなく、原語では、「しっかりと立ち向かって立つことが出来る」という意味が含まれた「耐える」という言葉が使われている。つまり、神は私たちには、誰もが体験するような、担うことが出来るような試練に会わせられるが、それだけではなく、そのような試練に対して、「しっかりと立ち向かって立つこと、耐えることが出来る」ようにして下さるというのである。そのための道が「脱出の道」である。それは、頭を覆って、隠れて逃れるというような脱出の道ではなく、立ち向かって乗りこえて行く雄々しい道なのである。だから、モーセはイスラエルの民に、出エジプト14:13:「それでモーセは民に言った。『恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる【主】の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。」と言われたのである。そして、Ⅴ14:「【主】があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。』」と言われたのである。

※そう!私たちにとって、人生の危機の時、試練の時の「脱出の道」こそ、イエス・キリストなのである。主が私たちと共におられて、戦ってくださり、そして、私たちを救って下さるのである。だから、恐れることなく、しっかりと立ち、試練に対して、危機に対して立ち向かい、勝利をして行くことが出来るのである。

神の真実であり、その真実は変わらない

Ⅰコリント10:13b:「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。」

 私たちは誰もが試練に会うが、その試練は、私たちにとって担って耐えることの出来ないような試練ではない。その理由は、「神は真実な方ですから」です。神は真実で、憐れみ深く、情け深く、愛に富んでおられる方だからです。Ⅰコリント13:8:「愛は決して絶えることがありません。Love Never Fails!」

【結論】

 今、皆さんはどんな人生の危機にあるだろうか?どんな試練に直面しているだろうか?―それがどんな危機であろうと、それがどんな試練であろうと、神の真実、神の愛は決して変わることがないので、そして、私たちには「脱出の道」である救い主であり、助け主であり、勝利の主イエスキリストがおられるので、私たちは雄々しくそれに立ち向かい、乗り越え、勝利して行くことが出来るのである。

―祈り―


 
 
 

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