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2026. 8.30 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

4 日前
読了時間: 8分

【タイトル】:霊的戦い(18)「霊的戦いの権威授与」

【聖書個所】

マタイ10:1、5~8:「イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。」、「イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。10:6イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。10:7行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。10:8病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」

【導入】

 このみことばによると、その霊的権威は、イエス様が選ばれた12弟子、つまり12使徒に授けられた。このことから、この箇所だけが根拠ではないが、病の癒しや悪霊追い出しと言ったしるしや不思議は、初代教会の12使徒が死んだ後は無くなり、また預言や異言というものも、黙示録が記されたAD1世紀末には、今私たちが持っている聖書そのものが、神の霊感として書かれた神の言葉として書き終えられているので、もう新たな預言も啓示も必要ないと言うことで、預言の働きや預言者の存在、また使徒の存在やその働きはもうないと言う人たちがいる。そのような神学や考え方を終焉神学とか、カリスマ終焉論というが、果たしてそうなのか?―そのことを語るのは今日のメッセージの目的ではないので、多くは語らないが、この箇所ではっきり分かることは、イエス様が汚れた霊どもを制する権威を12弟子たちにお授けになったということである。

 今日はこの箇所から、イエス様が弟子たちに授けた権威の目的を見ながら、それが今日にも有効であることを学び、それを実践して行くためのものとしたい。

【本論】

 イエス様が呼び寄せ、霊的権威を授けた12弟子の名前がⅤ2~V4に上げられているが、そのことは今日のメッセージの中心ではないので、その箇所は飛ばす。V5~V8:「イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。10:6イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。10:7行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。10:8病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」と、彼らに霊的権威を授けて、命じられた。

 何を命じたかというと、Ⅴ5b~V8:「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。10:6イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。10:7行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。10:8病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」と言われたのである。そこには3つの命令があった。。①「天の御国が近づいた。」と宣べ伝えること。②病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出すこと。それを、「あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」つまり、③恵みのみわざとして行ないなさいということだった。しかし、どうしてこのことを命じる時に、Ⅴ5b~V6:「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。10:6イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。」と言われたのか?―それは、イエス様ご自身が「イスラエルの家の失われた羊」のところに、預言者の書に記されていたように遣わされたからである。そのようにして、預言の成就として来られたのである。

エゼキエル34:23:「わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。」

 この預言の言葉は、エゼキエルが預言者として活動していたBC6世紀のバビロン捕囚に遭う頃のイスラエルの霊的状況を表している。この時、民の指導者や祭司たちは、本来民を霊的に養う務めがあったにも関わらず、彼らは偶像礼拝をし、民のことよりも自分たちの利得のことにしか関心がなかった。なので、人々は失われた羊のようだったので、神はそのようなご自分の民のために真の牧者であるキリストを送ろうとされたのである。またその状態は、イエス様が現れた時も同じようであった。だから、

マタイ9:35~36:「それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。9:36また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」

※それでイエス様は12弟子を呼び寄せ、やがて自分は天に帰ることを知っているので、自分と同じ働きが出来るようにと12弟子を呼び寄せ、自分に与えられている権威を彼らにも授けたのである。

 だから、これは結論だが、この権威は12使徒だけでなく、今日、イエスを信じるすべての人に与えられている権威でもある。何故なら、主は教会を起こし、教会を通して、ユダヤ人だけにでなく、すべての人に福音を伝え、羊飼いのいない羊のような人々を救い、癒し、立ち上がらせるために、その権威を用いて働くようにと召されて、この世に遣わされているからである。だからイエス様はこう言われた。

マルコ16:15~18:「それから、イエスは彼らにこう言われた。『』全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。16:16信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、16:18蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

 イエス様を信じているか?―そうなら、私たちにはイエス様が12弟子に授けたのと同じ権威が与えられていて、「わたしの名(イエス様の権威)によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、16:18蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやす。」ことが出来るのである。

 だから、私たちはその権威によって大胆に霊の戦いをして行こう。具体的にはどうしたら良いか?―3つの使命、実行する命令があった。

①「天の御国が近づいた。」と宣べ伝えること。これには、言葉による宣教とわざによる宣教がある。言葉による宣教とはどういうものであるか分かると思う。今も行なわれている路傍伝道、個人伝道、伝道集会、クルセード、テレビやラジオによる宣教、ネットによる宣教、トラクト等による宣教である。

 わざによる宣教とは、②病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出すというような、しるしと不思議が伴う「力の伝道」と呼ばれる、正に霊的戦いの最前線における福音宣教の働きである。その働きは次のようなものである。

マタイ12:28~29:「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。12:29強い人の家に入って家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです。」

 サタンの支配を、霊的戦いのわざを行なうことによって打ち破り、そこの神の国を出現させるということ。これが、わざによる「神の国が近づいた。」と宣べ伝えなさいということです。そして、③は、そのわざを恵みのみわざとして行ないなさいということ。何故なら、私たちもイエス様の恵みのみわざによって救われ、癒され、解放されているからです。

 今日は具体的に、授与されている権威を用いて、一つのことについて実践的な学びをしよう。そして、実践できるように祈りたいと思う。それは、私たちがもしかすると一番必要に覚えていることではないかと思う。それは病の癒しという霊的戦いのわざです。私たちは病の癒しについて、霊的権威をどのように用いて戦えば良いのか?!―イエス様のなされたわざを見てみよう。

マタイ8:16~17:「夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。8:17これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。『彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。』」

※イエス様は、みことばをもって霊的戦いをし、霊どもを追い出し、病気の人々をいやされた。公生涯の初めに、荒野で40日の断食の後にサタンの試みを受けられた時と同じである。みことばをもって戦われ、サタンや悪霊どもに勝利したのである。そして、病も癒された。

 そしてここに、そのみことばの預言の成就が記されている。それは、イエス様が私たちのわずらいを身に引き受け、イエス様が私たちの病を背負った。「背負った。」は脚注をみると、「取り去った。」とあるが、それは、イザヤ53:4~6のみことばの成就である。

イザヤ53:4~6:「ことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。53:5しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。53:6私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、【主】は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」

 だから、私たちもこのみことばをもって病の霊どもを追い出し、病の癒しをもたらすという霊的戦いをするのである。そこに御国を出現させるのである。

【結論】

 だから、そのように実践しよう。病の霊に命じて実践しよう。みことばを宣言して病の癒しをもたらす霊的戦いをしよう。

―祈り―


 
 
 

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