2026. 7.12. 礼拝メッセージ:金子辰己雄師
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【タイトル】
エペソ(15)「キリストの教えに生きる③」
【聖書個所】
エペソ4:30~32:「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。4:31無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。4:32お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」
【本論】
V30:「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」
この節が、今日の箇所の中心的な箇所で、先ほど、今日の箇所は、これまでキリストの教えとして語って来た教えの柱であり土台であると言ったが、まさに、この節がその柱の柱、土台の土台と言える。
新改訳では、「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」と、2つの文に分かれているが、本来この箇所は一つの文で、「あなたがたの贖いの日のために証印を押してくださった、証印となってくださった神の聖霊を悲しませてはいけません。」となっている。違いは何か?―原文では、「神の聖霊」と言う方がどういう方であるのか、つまり、私たちの「贖いの日のために」、つまり、救いの完成の日のために証印を押してくださった、或いは、その証印となってくださった方であると言うことを語り、だから、その聖霊様を悲しませてはいけないと言うことが良く分かるようになっている。しかし、新改訳の聖書では、そこが不明瞭です。「神の聖霊を悲しませてはいけません。(というのは、)あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているの(だから)です。」と訳されていればよく分かるのだが。
いずれにしろ、ここで言おうとしていることはそういうことなのである。だから、これまでの「キリストの教え」として語られて来た、第1回目の、Ⅴ17:「異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。」や、Ⅴ22~V24で語られている「人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てなさい。」、「心の霊において新しくされなさい。」、「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された新しい人を身に着けなさい。」ということ。そして前回2回目の、Ⅴ25:「あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。」、Ⅴ26:「怒っても、罪を犯してはならない。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけない。」、Ⅴ27:「悪魔に機会を与えてはいけない。」、Ⅴ28:「盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。」、Ⅴ29:「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」というのは、そのようなことが出来るようにと、聖霊様が私たちの贖いの日のために証印となってくださった、私たちのうちに住まわってくださったということなのである。
※聖霊様の証印、聖霊様が私たちのうちにおられるという目的がそこにあるということ。だから、そうでなければ、聖霊様を悲しませることになる。聖霊様が私たちのうちにおられるということは、私たちがキリストの教え生きることができるという証印であり、私たちが生きるキリストの教えを成り立たせている柱の柱、土台の土台なのです。
聖霊様は目には見えないが、イエス様が弟子たちに言ったように、イエス様と同じ働きをする第三位格の神です。イエス様が弟子たちを教え、訓練し、指導し、守り、支え、励まし、時に慰め、また癒し、喜びを与え、平安を与えるのと同じように、イエス様と同じ働きをする助け主、慰め主、真理の御霊である。
ヨハネ14:16:「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」
だから、今私たちは、弟子たちがイエス様と共に歩み、イエス様から教えられ、訓練され、守られ、支えられ、励まされ、時に慰められ、癒され、喜びが与えられ、平安が与えられていたように、今日私たちは、聖霊様により、そのような恵みを受けることが出来るのである。
ちょうど、学校における先生、部活における監督やコーチ、指導者のように、聖霊様は指導者としての働きをしてくださるのである。聖霊様はそのようなお方であるが、一方で、ヘブル書の記者は、地上の指導者について次のような言葉を残している。
ヘブル13:17:「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。」
ヘブル人への手紙は著者が誰であるのか、今もいろいろ説があって明確ではないが、誰に当てた手紙であるのかは、タイトルにあるようにユダヤ人クリスチャンに向けて記された手紙であり、13:24から、イタリヤに住むユダヤ人クリスチャンに向けて書かれた手紙であることは分かる。そして、この節で記されているように、具体的なことは分からないが、何か指導者たちに対して余り従順していない人たちに、この記者は「指導者に従うように」と書いているのである。そしてその中で、指導者について次のように言っている。指導者という者は、「この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。」と。ちょうど、イエス様の、また聖霊様の私たちに対する働きと同じような働きをする人のことである。そのような指導者に関し、「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。」と言うのなら、ましてや、神である聖霊様のことに関しては、当然の如く、決して嘆くことなどないように、悲しむことなどないようにしなければならないと言うのです。
【結論】
そのように、聖霊様の言うことに聞き従い、聖霊様が私たちのたましいのための見張りをしてくださり、また失敗することがあっても、神に対して弁明してくださり、私たちを助け、守り、支え、励まし、慰め、強め、力を与えて下さるので、今日の箇所の3つ目のキリストの教え、Ⅴ31~V32:「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。4:32お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」が実現に至るのである。それは聖霊様の働きである。
―祈り―
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