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2026. 1.18 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】

エペソ(3)「パウロの祈り、私たちの祈り①」

【聖書個所】

エペソ1:15~23:「こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、1:16あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。1:17どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。1:18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、1:19また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。1:20神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、1:21すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。1:22また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。1:23教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」

【序論】

 今日は先週に続き、エペソ1:15~23からエペソの講解説教の3回目として、「パウロの祈り、私たちの祈り①」としてメッセージを取り次ぐ。パウロは、V15~V16:「こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、1:16あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。」と言っている。

 初めの「こういうわけで」というのは、パウロがエペソの兄姉たちに、「私たちは皆、この世界の基の置かれる前から傷のない神の子どもとなるように、また、イエス様の再臨の時には主によって一つに集められて天の御国を受け継ぐ者になるようにと、あらかじめ神によって定められ、召されている者であるということ、その保証として聖霊が私たちには与えられている。」ということを語り、実際にエペソの教会の兄姉たちはその救いの福音を聞いてキリストを信じたので、その保証としての証印が押されているということを、この前のV13~V14で語った。それで、「こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、1:16あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。」と言ったのである。

 パウロは、私たちの信仰生活において「…、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」(Ⅰコリント13:13a)と言っている。どんなに賜物が豊かであっても、またどんなに素晴らしい働き、大きな働きをしていても、イエス様が再臨されて一つ所に集められ、最後の裁きが為される時には、なくてはならないものは神に対する信仰と希望と、神に対する愛、隣人に対する愛だというのである。パウロはここでは希望という言葉は出していないが、彼はその神に対する信仰と愛、また隣人に対する愛がエペソの兄姉にあることを聞き、神に感謝をささげ、彼らのために神に祈っていると言っているのです。 この、神に対する信仰と希望と愛、そこから来る聖徒たちや隣人に対する愛は、どの教会にも、私たちにも重要で、なくてはならないものです。

 今年私たちは、神によって召された者として、「その召しに相応しく歩もう。」と言うテーマを掲げている。その「神の召し」の使命と目的の中で重要なものは、この「いつまでも残る信仰と希望と愛、その中で最も優れているものと言われている愛」です。ルカ10:38~42の、イエス様とマルタとの会話にあるように、「どうしても必要なことはわずかです。いや、ひとつだけです。」(ルカ10:42ab)なのである。パウロはこのようにエペソの教会の兄姉たちに言い、「あなたがたのことを覚えて祈っています。」と言った。パウロはどんなことを神に祈ったのか、今日はそのことを見て行く。

【本論】

 パウロは神に、エペソの教会の兄姉たちのために、3つのことを祈っている。先ず一つ目は、

(1)V17:「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」です。


 この祈りは非常に重要!特にパウロが信仰者であるエペソの兄姉に対して祈っているように、すべての兄姉、また私たちにとって重要な祈りです。というのは、私たちと主イエス・キリスト、また神との関係、つまり信仰においては、「神を知るための知恵と啓示の御霊」はなくてはならないものだからです。

 「なくてはならない」というのは、今無いからではなく、もう与えられており(それはイエス様を信じた時に私たちの内に与えられる聖霊様のこと(Ⅰコリント3:16))、信仰という神様との関係においては、この聖霊様は、父なる神様、御子なるイエス様がどういうお方であるのかを教えてくださる、啓示してくださる、とても大切なお方なのである。このお方の啓示の働きがなければ、私たちは自分の内に罪があることも、罪の赦しが必要であることも、イエス・キリストの他にはその罪の赦しを私たちに与えてくださる方はいないということも知ることが出来なかった。(ヨハネ16:8~11、Ⅰコリント12:3)だからキリスト教は啓示宗教と呼ばれるのです。神様御自身が御自身を啓示して下さるということです。聖霊様の働きがなければ、私たちは信仰生活を継続することはできない。聖霊様は、私たちの信仰生活という旅のためのエネルギー、動力を生み出す電気やガソリンのような方なのである。

 パウロはそのような知恵と啓示の御霊を私たちに与え、その結果として2つのことが起こるようにと、祈っているのです。その一つ、全体の2つ目としての祈りは、

(2)V18:「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、」


 ということを、神によって与えられた知恵と啓示の御霊によって知ることが出来るようにと祈っている。この祈りのポイントは、結果的に、私たちに与えられている望みがどのようなものか、また、私たち聖徒が受け継ぐものがどのように栄光に富んだものであるかという、「私たちに関わること」を知ることが出来るようにという祈りです。

 それに比べて、二つ目の全体での3つ目の祈りは、


(3)V19:「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」とあるように、


 「私たちがどうであるか」ではなく、「神のすぐれた力がどのように偉大なものであるか」という「神に関わること」を知ることが出来るようにというのがポイントです。特にこの祈りに関しては、続けてV20~V24で、「神の全能の力」がどのようなものであるのかを語りながら祈っていいるので、この箇所は1回のメッセージになるほど重要な箇所なので、次回、2月1日にじっくりと語ろうと思う。

 なので、今日は、全体で二つ目の祈り、V18:「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、」の箇所について語る。

 パウロは、私たちが神様から知恵と啓示の御霊が与えられて、心の目がはっきりと見えるようになって、先ず①「神の召しによって与えられる望みがどのようなものか」を知ることが出来るようになるようにと祈っていると言う。

①「神の召しによって与えられる望み」とは何か?―「望み」というのはHope、また「こうなって欲しい」というDesire、「欲すること」でもある。だから、この世にはいろんな望み、欲すること、Hope, Desireがあると思うが、ここでパウロが言っている「望み」とは、「神の召しによって与えられる望み」、つまり「神の望み」のことである。

 神様が私たちを召した時、神様は私たちにどのような望み、計画、願いを持っていたか?―私たちは既に前回、前々回の中で学んで来た。それは、神が私たちを天にあるすべての霊的祝福をもって祝福し、この世界の造られる前から既にキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない神の子どもとして下さり、それだけでなく、やがてイエス様の再臨の時には私たちを一つ所に集めて下さり、つまり新天新地に入れて下さり、永遠に神と共にいるものとして下さるという、私たちの救いの完成のことです。失っていた神の子としての栄光が回復され(贖われ)、神と共に永遠にいる者とされるという望みです。その望みをはっきり見ることが出来るようにと、パウロは祈っていると言っている。何と幸いなことか!次に、


②「聖徒(私たち)の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか」ということをも、パウロは、私たちの心の目がはっきりと見えるようになって知ることが出来るようにと祈っていると言う。これも幸いなことである。私たちは「聖徒(私たち)の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか」を分かっているだろうか?―それは、この世のものだろうか?それともそうではないものだろうか?聖書は何と言っているか?―それは、「天にあるもの」です。

エペソ1:3:「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」

 また、それは御国そのものです。

エペソ1:11:「この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。」

エペソ1:14:「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」

 いつの時代でも、特に信仰を持ったクリスチャンであっても2種類の人がいる。御国を求めているか、この世を求めているか?神を愛して、神を第一にしてこの世を生きているか?それとも、自分を神とし、自分を愛して、自分を第一にしてこの世を生きているか?どちらかの人である。特に終わりの時代になると、パウロはそのような信仰者が現れて来ると言っている。(Ⅱテモテ3章)だからパウロは、彼の愛するエペソの教会の兄姉たちが、そのようなことにならないようにと祈っているのである。

【結論】

 だから私たちも祈ろう。私たちもパウロが祈ったように、「神が私たちの御自身を知る知恵と啓示の御霊を与えて下さって、私たちの心の目が見えるようになり、「神の召しによって私たちに与えられている望み」、それは私たちの変えられた、聖められた、完全に贖われた神の子としての栄光の姿、キリストの花嫁としての姿だが、また、「私たちの受け継ぐものがどんなに神の栄光に富んだものであるか」を知ることが出来るように祈ろう。それは御国を受け継ぐということであり、神の国に入るということである。神と共に永遠にあるということである。ハレルヤ!何と幸いなことだろう!

―祈り―


 
 
 

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