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2024. 8. 4 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】ルカ1:35~38


【タイトル】「神の子に生まれたので①」


【前置】

 今日は第一主日なので、今年のテーマに沿ったメッセージを語る。今日から何回かに分けて、今更だが、「どうして私たちはキリストの似姿へと変えられて行くのか?或いは、変えられて行かなければならないのか?」ということについて、その根本的な理由、基本的な理由についてメッセージを取り次ぐ。


 皆さんはどう思うか?―どうして私たちはキリストの似姿へと造り変えられて行くのだろう?また、造り変えられて行かなければならないのだろう?―その答えは簡単、それは今日のメッセージタイトルにあるように、私たちは神の子どもとして生まれたからです。聖書はこう言う。


マタイ7:16~17:「あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。」


 ぶどうの実はぶどうの木に成る、いちじくの実はいちじくの木に成る。良い実は良い木に結ばれる、悪い実は悪い木に結ばれる。それと同じように、神の子として生まれたらずっと神の子であるし、クリスチャンとして生まれたら、ずっとクリスチャンなのです。問題は、クリスチャンとして生まれた後、クリスチャンとして成長し、クリスチャンとして実を結ぶかどうかということだけです。


 ただ、今日はそのことがテーマではないので、それは次回に回すとして、今日はその前段階のこと、「神の子として生まれた」ということが、やがてキリストの似姿へと変えられているということの根本的な理由、基本的な理由になっているということ。そのことについて語る。このことを知ることは、私たちにとって非常に重要なことです。


【聖書個所】

ルカ1:35~38:「御使いは答えて言った。『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。』マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。」


【本論】

 この箇所はご存じのように、御使いガブリエルがマリヤの所に現れ、「あなたによってイエス・キリストが生まれる」という、イエス・キリストの誕生の出来事が告げ知らされているところ。それもマリヤ自身が、Ⅴ34:「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」と言っているように、普通では起こり得ないことが告げ知らされているところ。ヤコブの福音書という紀元2世紀頃に書かれた聖書外典や伝承によると、この時のマリヤの年齢は12歳か15歳であったと言う。いろいろな説があるのだが、年齢は別にしても、起こり得ないことが起こった。だから、ノンクリスチャンの中には、話としては面白いが、とても信じること等出来ないと言う人たちがいる。


 皆さんはどうか?―私たちは信じている。もし私たちもこんなことは信じられないと言うのならば、私たちは自分自身のこと否定することになる。つまり、私たちは自分自身で、「私は救われてクリスチャンになったということなど信じられない。」と言うのと同じことになるからです。そうです。この時マリヤに起こった普通では起こり得ないことが、私たちにも、私たちがイエス・キリストを信じて救われた時に起こったのである。それが私たちの救いであり、新しく神の子として生まれたということ。


ヨハネ1:12:「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」


 ここのところ、ヨハネの福音書3章のイエス様とニコデモとの問答の中から、人が新しく生まれるということについて学んで来た。①先ず私たちはそのことをはっきり知らなければならないということ。②それを本当に理解して生きて行くためには、みことばと御霊との交わりが必要であるということを学んで来た。そして、そこで私たちははっきりと、「私たちは神の子として新しく生まれた。」ということを確認した。


 だから今日もう一度言う。私たちはマリヤが超自然的な形でイエス様を生んだように、私たちも超自然的な形で神の子として新しく生まれたのだということ。超自然というのは、人の出産のように、そこに人の営みがあったということでなく、その自然の営み無しに、超自然的な神の介入によって生まれたということ。たとえ人のわざが無くても、超自然的な神の介入があれば、どんなことでも可能になるということです。そのことを、御使いはマリヤに、エリサベツが子を宿したことを例に挙げて話している。


V36~V37:「ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。』」


 それが具体的にマリヤにどのように起こったのか、どのような神の介入のわざがマリヤにあったのかを語っているのが、Ⅴ35である。


V35:「御使いは答えて言った。『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」


※私たちの救いの場合も、私たちが神の子となって新しく生まれた時も同じである。聖霊様が私たちの上に臨み、いと高き方、神の力が私たちをおおい、神の介入が私たちにあって、それで私たちは神の子として新しく生まれたのである。


 「おおった。」というのは、英語では「Overshadow」、「あるものの上に影のように覆う」という意味のこと。梅雨明けの時から、夕方になると黒い雲が現われて地表を覆い、突然雨や雷をもたらすようなことが連日起こった。それが「おおった。」ということ。またルツ記3章にあるように、ルツが姑のナオミに言われてボアズの所に行き、大麦の刈り入れの束の積んである所で、夜、ボアズの足元の裾(すそ)をまくって、そこで寝て、ボアズがそれに気づくと、ルツがボアズに「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買戻しの権利のある親類ですから。」(ルツ3:9)と言い、そこから祝福の結末に至ったように、ボアズによるルツの買戻しの出来事は、私たちのイエス様による贖いの予表であって、ボアズの衣は、ルツがイスラエルの民の中に加えられるための、イスラエルの民として新しく生まれるための覆いの衣なのです。そしてこの「衣」、「おおい」は神の恵みです。ルツは異邦人として、普通ならば神の民となることは出来ないが、ボアズの買戻しという恵みの衣により、イスラエルの民の中に加えられたのです。恵みによっておおわれ、恵みによって加えられたのです。


 そのように、私たちにとってもこの「おおい」は神の恵みなので、作り出すことは出来ない。神が神の御意思で、一方的に私たちの上に臨み、覆う神の恵みなのです。だから御使いガブリエルがマリヤの所に現れた時、開口一番、Ⅴ28:「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます。」また、Ⅴ30:「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。」と言われたのです。


※私たちもこのマリヤのように、イエス様を信じて告白した時、この神の恵みの衣によって神の子として生まれたのです。


 また聖書は、この神の力、子を生み出すことの出来る神の力は、神の言葉でもあると言っている。

Ⅰペテロ1:23:「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」


 ちょうど妊娠出産のために、男の種にもその力、いのちがあって、その力、いのちによって人の子が宿って産まれるように、神の子である私たちも、朽ちることのない種、生けるいつまでも変わることのない神のことばであるキリストが私たちの内に宿り、そして私たちは神の子として生まれたのである。


 だから私たちは神の子として、キリストの者として、キリストの似姿へと造り変えられて行くのです。人の子が人の子の種によって受肉し、そのDNAによって人の子として成長して行くように、私たちも神の子としてキリストのDNAをもらい、そのキリストの満ち満ちた姿へと変えられて行くのです。


【結論】 今日、何故私たちはキリストの満ち満ちた姿に変えられて行くのか?また変えられていかなければならないのか、その根源的な理由、基本的な理由をみことばから見た。次回は、さらにそのためにはどうすれば良いかについてみことがから見て行く。


 最後に、神はこのように私たち一人一人を選ばれ、神の恵みの衣を被せ、御霊によって、みことばによって新しく生んでくださったことを覚え、そのような恵みを受けた者として、マリヤが主に告白し祈ったように、私たちも主に告白し祈ろう。


V38:「…。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」…。」


―祈り―


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