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2024. 6.23 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

ヨハネ3:1~6

【タイトル】

神の国に生きるクリスチャンのしるし①

【導入】

 外国人が自国の紙幣、例えば台湾人が元紙幣、アルゼンチン人がペソ紙幣、アメリカ人がドル紙幣で、日本で買い物が出来るだろうか?出来るはずはない。日本では日本の通貨しか通用しないからである。ところが、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)と言われているクリスチャンであるにもかかわらず、救われる以前の通貨で買い物をしようとするクリスチャンがいる。それは、自分が古い者から新しい者になったことを知らない、また、その違いが分からないからです。自分は、以前はどこに居て、今は何処にいるかという、その違いを知らないからです。

 私たちにとって、救われる前と救われた後の違い、クリスチャンになる前となった後の違いを知ることは重要なこと、また、その結果としての実、その結果として現れるしるしを持っていることは重要なことです。何故なら、「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。」(マタイ5:14~15)というように、私たちには、クリスチャンになる前と後の違いが分かるしるしがあるはずだからです。

 今日は、この「しるしと違いのあるクリスチャンになるため」の、また「であるため」の必要な条件について語る。イエス様は、信仰告白したペテロにこう言った。「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16:19)と。この「御国のかぎ」とは、御国の奥義を解く鍵です。今日私たちは、「しるしと違いのあるクリスチャンになるため」に、また「であるため」の「御国のかぎ」を受け取ろう。聖書個所はヨハネ3:1~6です。

ヨハネ3:1~6:「さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」」

【本論】

 ある時、パリサイ人でニコデモという人がイエス様の所にやって来た。パリサイ人というのは、祭司でもなく、律法学者でもなく、一般民衆として律法を厳格に守り、また、Ⅴ10でイエス様が「イスラエルの教師でありながら」と言っているように、律法を教える教師でもある人たちのことです。そのニコデモがイエス様のところに来て、こう言った。V2:「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」と、イエス様が行っていた病の癒しや悪霊追い出し、また、カナの結婚式で水をぶどう酒に変えた奇跡、神殿の中で商売をしていた者たちを、「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネ2:16)と言って追い出したりしたこと、そのようなしるしとしての出来事を見て、こう言ったのである。それに対してイエス様は答えているが、そのイエス様とニコデモとの問答の中に、「しるしと違いのあるクリスチャンになるため」の、「であるため」の御国の鍵が隠されている。

 先ず、「しるしと違いのあるクリスチャンになるため、であるため」の御国の鍵は、「人は新しく生まれなければならないこと」です。そして、救われている私たちの場合は、そのことを本当に知っていなければならないということです。「本当に知る」ということが第一の御国の鍵です。

ホセア4:6a:「わたしの民は知識がないので滅ぼされる。」と言う。

 知識がない、知らないということは私たちを滅ぼす。日本に来ているのに、台湾人が台湾元で、アルゼンチン人がアルゼンチンペソで、アメリカ人がドルで生きて行こうとし続けるなら、結局何も買えずに飢えて死んでしまう。知らずにいるということは愚かであるだけでなく、滅びに至ることなのである。さらに御国の鍵を開いて行こう。

「新しく生まれる」とは?―この箇所の「新しく」とは、原語では「ανωθεν:アノーセン」と言い、「上から」という意味の言葉である。つまり、「天から、上から」生まれなければ、「神の国を見ることができません。」と言うのです。

 ニコデモは、この「新しく生まれなければならない」、「上から生まれなければならない」ということが分からないために、イエス様に、Ⅴ4:「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」と訊ねた。するとイエス様は彼に、Ⅴ5:「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」と答えられた。つまりイエス様は、「新しく生まれる」ということは、「水と御霊によって生まれる」ということでもあると言っているのである。この二つは同じことを言っているのです。

 私たちは新しく生まれているだろうか?水と御霊によって生まれているだろうか?―勿論そうです。私たちはクリスチャンであるならば、方式が何であれ「水のバプテスマ」を受けている。罪の赦しを受けるために悔い改め、イエス様への信仰を告白してバプテスマを受けている。それは、バプテスマのヨハネが教え、行っていた水のバプテスマである。「バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説いた。」(マルコ1:4)とある通り。このバプテスマは、預言者マラキが後の日に起こると語った預言者エリヤの霊によって起こる悔い改めのバプテスマのことです。

マラキ4:5~6:「見よ。わたしは、【主】の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」

 私たちはクリスチャンであれば、誰でもがこのバプテスマを受けている。しかしイエス様は、それは人のわざ、地上のわざであって、上からの、天からのわざとしてのバプテスマではないというのです。それで、「人は、水と御霊によって生まれなければならない。」と言われたのである。だからまた、バプテスマのヨハネ自身も、「彼は宣べ伝えて言った。『私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。』」(マルコ1:7~8)と言ったのです。

 それが、「新しく生まれること」、「上から生まれること」、「御霊によって生まれること」です。そうして私たちは初めて、「神の国をみる」ことが出来る、「神の国に入る」ことが出来るのです。そしてこれは、私たちが死んだら天国に行くという話ではない。今の話、今生きている私たちの話です。この「神の国をみる」、「神の国に入る」ということはどういうことか?―イエス様は、ルカ17:20~21でこう言っている。

ルカ17:20~21:「さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」と言った。

 そう!「神の国をみる」、「神の国に入る」とは、私たちが死んだら見る、私たちが死んだら入るというような死後のことではない。神の国は、私たちが「新しく生まれた時」に、「上から生まれた時」に、「水と御霊によって生まれた時」に、その瞬間に見る国、入る国である。それは、「人の目で認められるようにして来るものではありません。」とあるように、肉の目では決して見ることは出来ない。しかし、御霊によって生まれ、霊の目が開かれた私たちには見ることが出来る、入ることが出来る超自然的な領域のことです。

※私たちは今救われている者として、クリスチャンとして、神の国を見、神の国に入っているのです。肉体はこの日本に住み、日本の通貨で買う食べ物を食べて生きているが、私たちの霊の体は、上からのもの、神の国の通貨でしか買うことの出来ない食べ物を食べて生きているのである。このことを本当に知ろう。「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」(ヨハネ3:6)だからです。ハレルヤ!

【決論】

 今日の結論としての第一の御国の鍵は、だから、私たちはその違いを知る者でなければならないということです。ニコデモのように、この世においては、この地上のことにおいては教師ではあっても、上からのこと、天の御国のことについては何も分からないのではなく、その違いを知り、その違いから来るしるしを持っていなければならないということです。そして、新しくされた者として新しい生き方をして行く者でなければならないということです。上からの通貨、神の御国の通貨で生きて行く者でなければならないということです。そうして神の国を、超自然的な神の国の領域の中を歩んで行こう。

 次回は、この超自然的な神の国を歩むための第二の御国の鍵について語る。超自然的な御国の中で生きるための鍵、真理です。聖書個所は、ヨハネ6:63です。

―祈り―


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