【聖書個所】
ダニエル10:13~21
【タイトル】
ダニエル書(19)「ダニエルの祈りと天上の戦い」
【前置】
今日は1月28日に続き、ダニエル10章に記されている「ダニエルの祈り」から、祈りの持つ効用、また、何故私たちは祈るのか?何故主は私たちに祈ることを求めておられるのか?について一緒に見て行きたい。
2月26日~28日、東京ライトハウスチャーチで東京リバイバルワーシップカンファランスがあった。3日目に、メインゲストであったTommy Walkerのグループに日本からAsiahや堀井ローレンが加わって非常に恵まれた時になった。そのように非常に恵まれた聖会になったが、彼らがアメリカに帰ると、直ぐ3月1日に緊急の祈り課題がアメリカから届いた。このグループのバンドマスターだったBryanさんの娘さんが危篤状態になので祈って欲しいという要請だった。彼女は幼い時から病弱だったが、Bryanさんが日本で奉仕している時に具合が悪くなり、そのような状態になったとのこと。それで、一斉メールによって祈ったが、先日連絡が来て、その後危篤状態から脱して今は良くなって安静にしているとのことだった。
何故この話をしたかというと、私たちはよく執り成しの祈りをする。特に、多くの人に執り成しの祈りを要請する時は、実際には誰が祈っているかは分からない。しかしその祈りは聞かれて、今回のように実を結ぶ。時には、「今、どこそこの誰かのために祈れ」と、見ず知らずの、場合によっては地球の反対側にいる人のために祈るように、主から知識の言葉が与えられて祈る時もある。
このように、祈りは時間を超え、空間を超えて働き、実を結ばせる。どうしてだろうか?―今日は、ダニエル10:13~21の所から、ダニエルがささげた3週間の祈りと断食に関連して、そのような時間と空間を超えた祈りの働きとその効用、結果につき、どこにその力があるのか、どこでそれが成就するのかということについてメッセージを取り次いで行きたい。では早速聖書個所を開いて行こう。
【聖書個所】
ダニエル10:13~21:「『ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」彼が私にこのようなことを語っている間、私はうつむいていて、何も言えなかった。ちょうどそのとき、人の姿をとった者が、私のくちびるに触れた。それで、私は口を開いて話し出し、私に向かって立っていた者に言った。『わが主よ。この幻によって、私は苦痛に襲われ、力を失いました。わが主のしもべが、どうしてわが主と話せましょう。私には、もはや、力もうせてしまい、息も残っていないのです。』すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、言った。『神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。』彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。『わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。』そこで、彼は言った。『私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。』」
【序論】
前回、今日の箇所の前のダニエル10:1~12の個所から、ダニエルが3週間の祈りと断食の時を持ったことを学んだ。何故ダニエルは3週間の祈りと断食の時を持ったのだったか?―それは、クロス王の命令によってエルサレムに帰還した人々のエルサレムの都の再建工事のため、また、この都を中心にして、この後この地域で起こるさまざまな出来事、終末に関わる出来事の幻を見たため、その意味を知ろうとしたためだった。そして祈るとどうなったか?今日の聖書箇所の1節前、10:12を読む。
ダニエル10:12:「彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。」
※主を恐れ、心から遜ってささげる祈りには、主はすみやかに耳を傾け、聞いてくださる。
箴言15:29:「【主】は悪者から遠ざかり、正しい者の祈りを聞かれる。」
マタイ6:7~10:「また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。』」
しかし、自分中心に、ただ「こうして下さい。ああして下さい」と、自分の都合だけで祈る祈りや、主が私たちに何を望んでいるのかを求めずに、異邦人のようにただ自分の願いや思いを満たすためだけの祈りをしているなら、主はそのような祈りには応えて下さらないという。しかし、私たちが主を第一にし、主を恐れ、心から遜って求めるなら、主は速やかに聞いて下さり、最善の答えをもって応えてくださる。だから、私たちはそのように祈ろう。
前置が長くなったが、今日はどのように祈るかという話ではなく、主の御心に適う祈りをするならばどうなるかという、その祈りの効用と結果、時間と空間を超えてそれがどのように働くがという祈りの持つ効用、その力についてのメッセージなので、早速今日の箇所に入る。
【本論】
ダニエルが見た受肉前のキリストは、前回のV12に続けてこう言った。
ダニエル10:13~14:「ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」
「ペルシャの国の君」とは、時のクロス王のことでなく、ペルシャの国の守護天使、背後で働いている、この世の君である悪魔のこと。「第一の君のひとり、ミカエル」とは、天で神に仕える天使長のひとりであるミカエルという天使長のこと。そしてこの天使長は、ダニエル12:1によれば、イスラエルの民、クリスチャンに仕える御使いであり、ヘブル1:14でも、御使いは皆、イスラエルの民、クリスチャンに仕える存在であると記されている。
ダニエル12:1:「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。」
ヘブル1:14:「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。」
同様にサタンもかつてはルシファーと呼ばれ、神に仕え、イスラエルの民に仕える天使長の一人だった。しかし、彼は他の天使長の誰よりも偉くなろうとし、また神に代わって神の座に立とうとしたため、彼は天から追放されて地に落とされた。それがルシファーの堕落であり、サタンとサタンに属する他の悪霊たちの勢力誕生の始まりである。
イザヤ14:12~15:「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。」
そのサタンが、どうして「私(受肉前のキリスト)に向かって立っていた。」というのだろう。
※ここに、私たちの信仰生活や働きにおいて、目には見えないが、確かに天の領域、霊的世界の存在のあることが分かる。その世界と地上の私たちの信仰生活や働きとの間には、私たちがイエス様を信じて救われれば、天で御使いたちの間で大きな喜びが沸き起こる(ルカ15:10)とあるように、繋がっているのである。しかし、同時にその天にはサタンとその勢力の働きもあって、私たちの信仰生活を破壊し、働きを妨げようとする。なので彼らはダニエルがエルサレムのために祈り、彼に示された幻、神様の御計画の成就のために祈ろうと、断食と祈りを始めた時、サタンはそれを妨害しようと働き始めた。そこでダニエルの祈りに応えて、主がサタンとダニエルとの間に立った。それが、「ペルシャの君が私に向かって立った」ということ。その期間は21日間、ちょうどダニエルが祈りと断食をした3週間である。しかしそこにダニエルの守護天使であるミカエルがやって来たので、ペルシャの国のことはミカエルに任せ、ダニエルの所に、キリストはダニエルが見た幻を悟らせるためにやって来たのである。
V20:「そこで、彼は言った。『私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシャの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ。ギリシャの君がやって来る。』」
このようにダニエルが終末預言について祈り始めると、サタンもそれを阻止しようと働いた。今日のハマスもそうである。ハマスの背後、またイランの背後では明らかに悪魔サタンが働いていて、イスラエルの上に現われる神の終末の計画、イスラエルを通して成就する神の終末の計画、悪魔の永遠の滅びを妨げようと働いている。
※これが私たちの地上における働き、祈りと天上での霊的戦いとの関係!私たちが主のみこころにより、主の御計画のために祈るなら、このように天において戦いが起こる。しかし大丈夫!この戦いにおいては主が必ず勝利を取られ、主の御計画は何物にも妨げられず、成就して行くからです。だから、キリストは、力を失い、恐れおののいていたダニエルにこう言われた。
V19:「言った。『神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。』彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。『わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。』」
その具体的な神の計画の成就とは、Ⅴ21:「しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。」とあるように、「真理の書」である、神の計画が確かな神の預言の言葉として記されている聖書に示されている。具体的には、11章、12章に記されているが、ペルシャ、ギリシャ(マケドニア)、シリヤ、エジプト、ローマと言うように、この後、この中東に起こる国々の間の戦いとその盛衰のことが記されている。それが「大きないくさ」であり、「大きな患難」のこと。だから、それらは最終的には終末の出来事、預言に結び付いて行く。
※今、私たちはまさにその預言の成就の中に生かされている。預言の成就の目撃者、体験者として活かされているのである。だから今、私たちは主が私たちに「主の祈り」の中で教えているように、優先的に「御名があがめられるように」、「御国が来るように」、「主のみこころが天で行なわれるように、地においても行われるように」と、祈らなければならないのである。これが祈りの働きである。これに断食が加われば、もっと力が増し加わる。何故なら、それは天において主とさらに繋がった天的、霊的働きとなるからである。
エペソ6:10~13、18:「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」、「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」
【結論】
祈りは霊的戦いにおける大きな霊的武具であることを覚えよう。V14~V17の武具は信仰者が身に着ける武具。しかし、祈りは身に着ける武具でなく、主御自身の力により、主御自身と共に戦う霊的武具である。最高に重要な、力のある武具である。
※この終わりの時代、誰が主のみこころのために祈るだろうか?サタンはいろいろな問題を引き起こして、自分たちのために忙しくさせるが、私たちはサタンの策略に乗ることなく、主のみこころ、御計画がなるように祈ろう!
―祈り―
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