【聖書個所】
ダニエル8:1~17:
【タイトル】
ダニエル書(13)「ダニエルの見た幻と解き明かし②」
【前置】
今日は8章から、前回に続きダニエル自身の見た幻とその解き明かしの箇所を見る。今日の箇所も前回同様、当時の国々についての幻をダニエルは見てその解き明かしを受ける。初めに、彼が見た幻の全貌を見、それからその解き明かしを見よう。彼はどのような幻を見たのだろうか?
【聖書個所】
ダニエル8:1~17:「ベルシャツァル王の治世の第三年、初めに私に幻が現れて後、私、ダニエルにまた、一つの幻が現れた。私は一つの幻を見たが、見ていると、私がエラム州にあるシュシャンの城にいた。なお幻を見ていると、私はウライ川のほとりにいた。私が目を上げて見ると、なんと一頭の雄羊が川岸に立っていた。それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一つはほかの角よりも長かった。その長いほうは、あとに出て来たのであった。私はその雄羊が、西や、北や、南のほうへ突き進んでいるのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。それは思いのままにふるまって、高ぶっていた。私が注意して見ていると、見よ、一頭の雄やぎが、地には触れずに、全土を飛び回って、西からやって来た。その雄やぎには、目と目の間に、著しく目だつ一本の角があった。この雄やぎは、川岸に立っているのを私が見たあの二本の角を持つ雄羊に向かって来て、勢い激しく、これに走り寄った。見ていると、これは雄羊に近づき、怒り狂って、この雄羊を打ち殺し、その二本の角をへし折ったが、雄羊には、これに立ち向かう力がなかった。雄やぎは雄羊を地に打ち倒し、踏みにじった。雄羊を雄やぎの手から救い出すものは、いなかった。この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た。そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。私は、ひとりの聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もうひとりの聖なる者が、その語っている者に言った。『常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。』すると彼は答えて言った。『二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す。』私、ダニエルは、この幻を見ていて、その意味を悟りたいと願っていた。ちょうどそのとき、人間のように見える者が私の前に立った。私は、ウライ川の中ほどから、『ガブリエルよ。この人に、その幻を悟らせよ。』と呼びかけて言っている人の声を聞いた。彼は私の立っている所に来た。彼が来たとき、私は恐れて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。『悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの時のことである。』」
【序論】
これが彼が見た幻である。その解き明かしがⅤ19以降に記されている。V18から読む。
V18~V19:「彼が私に語りかけたとき、私は意識を失って、地に倒れた。しかし、彼は私に手をかけて、その場に立ち上がらせ、そして言った。『見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。』」
神様は「…。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。」と言われた。神様の預言、神様のみことばは、みなそのように、すべて神様が計画し、また定めた、神様のみこころに関わることです。
伝道者の書3:1~2:「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。」
神様はすべての出来事を、御自身のみこころのままに、定まった時にそれが起こるようにとすべてを治めておられるお方。神様は私たちの歴史を作り、すべてを治めておられるHistory Makerであることを今日も覚えたい。
そしてこの幻の場合、Ⅴ19:「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こること(=この世の終末に起こる大患難の出来事と、それに続く終末の裁きのこと)を、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。」とあるように、終末に関わる幻であることが分かる。と言ってもこれから迎える終末の時というだけでなく、ダニエルがこの幻を見たのが、Ⅴ1:「ベルシャツァル王の治世の第3年」とあるように、BC550年、BC6世紀中頃のこと、この地域がバビロンによって治められていた頃の幻でもあるということ。なので、ここでも7章で語られていた国々のことが出て来る。
【本論】
V20:「あなたが見た雄羊の持つあの二本の角は、メディヤとペルシヤの王である。」
雄羊がバビロンで、そのバビロンから出ている2本の角はメディヤとペルシャである。それについては、幻の方でさらも見てみよう。
V3~V4:「私が目を上げて見ると、なんと一頭の雄羊が川岸に立っていた。それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一つはほかの角よりも長かった。その長いほうは、あとに出て来たのであった。私はその雄羊が、西や、北や、南のほうへ突き進んでいるのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。それは思いのままにふるまって、高ぶっていた。」
バビロンの支配力と高慢さが良く描かれている。V4:「私はその雄羊が、西や、北や、南のほうへ突き進んでいるのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。それは思いのままにふるまって、高ぶっていた。」そして、そのバビロンから2本の角が出ていたが、1本が長くて、他の1本が短く、長い方が後から出て来た方だという。それは、長い方がペルシャで、短い方がメディヤのこと。メディヤのダリヨス王がバビロンのベルシャツァル王を殺すことによりバビロンは滅んだが、その後にメディヤはペルシャに併合される。それが角の長さに表れていた。
V21~V22:「毛深い雄やぎはギリシヤの王であって、その目と目の間にある大きな角は、その第一の王である。その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こることである。しかし、第一の王のような勢力はない。」
ダニエルが見た幻ではⅤ5~V8で描かれている。その箇所は初めに読んだので、ここでもう一度読むことは省略する。V21の「その目と目の間にある大きな角は、その第一の王である。」の王とは、マケドニア・ギリシャ帝国の祖であるアレキサンダー大王のこと。彼は遠征先のバビロンで、33歳の若さで病に倒れて命を落とす。その後、この国はアレキサンダー大王に仕えていた4人の将軍によって、4つの国に分割される。それが、プトレマイオス朝エジプト、メソポタミヤを含んだセレウコス朝シリヤ、アンティアゴス朝マケドニア、そして、アッタロス朝ペルガモンである。それがⅤ22の、大きな角であるアレキサンダー大王が死んだ後に生えて来た4本の角のこと。
そしてこの後に出て来るものは、8章ではローマ帝国ではなく、ある人物のことです。その人物とはシリヤ王朝でBC175年に王位に就き、BC163年まで君臨したアンティオコス・エピファネスのこと。
V23~V25:「彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行い、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。」
その幻が、V9~V12:「そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。」
この人物は、Ⅴ9:「南」=エジプト、「東」=アルメニア、「麗しい国」=イスラエルに勢力を伸ばし、特にイスラエルにおいては、律法を焼き、割礼を禁じ、ギリシャの神であるゼウスを礼拝させ、律法で禁じられている豚を祭壇で生贄として神殿にささげて神殿を汚すということをした人物である。そのため人々は、Ⅴ13~V14:「私は、ひとりの聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もうひとりの聖なる者が、その語っている者に言った。『常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。』すると彼は答えて言った。『二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す。』」と。
神殿を汚すことがBC171年頃から始まって、彼の死であるBC163年まで続いたので、それが、Ⅴ14:「二千三百の夕と朝(=6.3年)が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す。」と言われている8年余りの期間のことを指すと考えられる。
この歴史に実際に現われたアンティオコス・エピファネスのことがここでは預言されているが、その高慢振りとその仕業が、終末の大患難期の後半の3年半の間に現われる半キリストに例えられてもいるので、次回、この終末預言としてのこのダニエルの見た幻のことを語ろうと思う。
【結論】
今日の結論としては、7章と同様、この時代も、またこれから後の時代も、終末に向かってますますいろいろなことが起こって来る時代になる。それも信仰者にとって半キリストの出現にあるように、信仰を試される厳しい時代になって行く。しかし、私たちはどんなことが起ころうと、ただ神を信じて従って生きて行くことが求められることである。
ダニエルはこの幻を見た後、病気になったようだ。病気は「気を病む」とあるように、ノイローゼ=神経衰弱のようになったようだ。それはこの幻を見て驚きすくみ、またすべてのことを悟ることが出来ずにいたためだろう。しかし彼は持ち直して、どうしただろうか。
V27a~b:「私、ダニエルは、幾日かの間、病気になったままでいた。その後、起きて王の事務をとった。」
彼は心騒がせるいろいろなこと、不安なこと、理解できないさまざまなことが起き、一時は気を病んだが、その後は「起きて王の事務をとった。」とあるように、起きたことに惑わされることなく、淡々と自分に与えられた働きを、自分の置かれているところで、忠実に行なっていたのである。それは、神と自分との関係において、神を変わることのない自分の人生の土台、拠り所としているからである。
前回読んだへブル書をもう一度読もう。
へブル10:36~39:「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。『もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。』私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」
引用:「今日がこの世の終わりだとしたら、今日あなたは何をするか?」―あるリンゴ作りの人は、「今日も私はリンゴの木を植える。」と。
※私たちもそのようでありたい。
―祈り―
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