【聖書個所】
ダニエル7:2~27:
【タイトル】
ダニエル書(12)「ダニエルの見た幻と解き明かし①」
【前置】
いよいよダニエルの見た幻の解き明かしに入る。この解き明かしのメッセージで私たちが知らなければならないことは、「歴史は神の御手の中にある」ということ。言い換えるなら、「神が私たちの歴史を作り、治めておられる」ということ。「神はHistory Makerである」ということです。そこから重要なメッセージが結論として出て来る。これからその幻の部分と解き明かしの部分を読んで行くが、その内容を表にまとめているので、後ほど確認のために目を通してみて下さい。
【序論】
先ず、ダニエルが見た幻について読んで行く。
V2~V15:「ダニエルは言った。『私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。また突然、熊に似たほかの第二の獣が現れた。その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。するとそれに、『起き上がって、多くの肉を食らえ。』との声がかかった。この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現れた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現れた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。私は、あの角が語る大きなことばの声がするので、見ていると、そのとき、その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。私、ダニエルの心は、私のうちで悩み、頭に浮かんだ幻は、私を脅かした。』」
ダニエルは、今読んだように幻を見た。そしてその解き明かしの部分が、Ⅴ17~V27に記されている。ではⅤ16から読む。その解き明かしの内容はどうだっただろうか?
【本論】
V16~V18:「私は、かたわらに立つ者のひとりに近づき、このことのすべてについて、彼に願って確かめようとした。すると彼は、私に答え、そのことの解き明かしを知らせてくれた。『これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。』」
先ずこの箇所で、ダニエルたちの生きていた世界の歴史のあらましが語られており、それを通して、初めに語ったように、神は私たちの歴史を作り、導かれる神であることが明らかにされている。4頭の大きな獣は、実際に歴史に現われて存在した王を拝する4つの国を現わしていて、そしてその後に、永遠の国が現れるという、世界の歴史に関わる預言が語られているのである。
※この歴史観と言うのは、聖書の歴史観である。―アダムの誕生以来、いろいろな人、民族が現れ、やがて王を拝する国々が作られて行き、最終的にはそれらの国々は滅び、最後に永遠に滅びることのない神の国が現れる、造られるという歴史観である。永遠の神の国が現れる前の4つの王の国というのは、全人類に誕生したすべての国の象徴でもある。
では、先ずどんな国が現れたのだろうか?
第一の国:それはⅤ4で記されていたように、「獅子のようで、鷲の翼をつけていた獣の国」である。
Ⅴ4:「見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。」という獣の国、それはバビロンを示している。
バビロンの王ネブカデネザルの見た幻をダニエルが解き明かしのところを覚えているだろうか?―ダニエル4:20~26の箇所だが、その解き明かしにあったようなことが、そのままネブカデネザル王に、その後起こった。その箇所を見てみよう。
ダニエル4:29~34c:「十二か月の後、彼がバビロンの王の宮殿の屋上を歩いていたとき、王はこう言っていた。『この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。』このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。『ネブカデネザル王。あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして七つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。』このことばは、ただちにネブカデネザルの上に成就した。彼は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って来た。それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。」
これが、ダニエル7:4:「第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。」ということです。次に、
第2の国:それはⅤ5に記されている「熊に似た獣の国」です。これはⅤ16からの解き明かしにはないが、表にあるように、これはバビロンの後、この地に起こったメディヤ・ペルシャ帝国、後にメディヤもペルシャに併合されるので、ペルシャ帝国のことである。この熊は横ざまに寝ていて、その口の牙の間には「3本の肋骨」、これは、メディヤ・ペルシャ帝国によって滅ぼされたバビロン、エジプト、ルデヤを示している。
※ここで覚えておいて欲しいことは、表にもあるように、これらの解き明かしは、ダニエル2章に記されているネブカデネザル王が見た大きな像の幻と一致していることを覚えて欲しい。
第3の国:それはV6に記されている「豹のような獣」の国である。それは、ペルシャ帝国の次にこの地に起こったマケドニア帝国=ギリシャ帝国のことです。そして、Ⅴ6をさらに読むと、「その獣には4つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。」とあるのは、ギリシャ帝国を治めたアレキサンドロス大王が死ぬと、その後、この国は4つの国に分裂するが、そのことを示している。その国とは、エジプト、ペルシャ地域をも含んだシリヤ、マケドニア、そしてシリヤから後に分離するペルガモンを表わす。
第4の国:それはⅤ7で、「それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。」国として描かれ、その解き明かしが、Ⅴ19から詳しく解き明かされているが、それは直接的には、この後この地域を治めるローマ帝国を表わすが、この国に関しては、その後、Ⅴ8で、「私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。」とあるように、終わりの時代に、この地域に、ヨーロッパに、世界に現われる反キリストの登場の預言も語られているので、非常に重要な箇所。なので、この箇所は、次回の8章の後にまとめて語りたいと思う。
今日はこれまでにしておきたいが、ここまでで初めに語ったように、この箇所でも結論として非常に重要なメッセージが語られていたので、それを確認して、今日のメッセージを閉じたい。それは;
【結論】
V16~V18:「私は、かたわらに立つ者のひとりに近づき、このことのすべてについて、彼に願って確かめようとした。すると彼は、私に答え、そのことの解き明かしを知らせてくれた。『これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。』」
※この世界は、国々が入れ替わるように変わるが、しかし、最後には、永遠に変わることのない神の国が現れ、その国が永遠に私たちを治めるようになる、というメッセージである。
※だからそれまでは、私たちはこの幻を通して私たちに語り、御自身の御計画を示される神に目を留め、そして、そのお方を信じ続けて、従い続けて行くこと。それが、今日の箇所で、そして、この終わりの時代に生かされている者として、これらの幻によって教えられることである。
へブル10:32~39:「あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。人々の目の前で、そしりと苦しみとを受けた者もあれば、このようなめにあった人々の仲間になった者もありました。あなたがたは、捕らえられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。『もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。』私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」
―祈り―
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