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2023.8.27 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

出エジプト3:1~12、Ⅱテモテ1:6~7

【タイトル】

あなたの人生を変える柴の中の炎

【導入】

 今年は例年になく世界の山火事のニュースを目にする。ハワイ・マウイ島での被災者の証言によると、遠くに見えていた火が瞬く間に近づいて来たとのこと。本当に火には大きな力がある。しかし、火は私たちに害をもたらすだけでなく、私たちにとって大きな益をもたらすものでもある。事実、今日では山火事は私たちにとって災いをもたらすものであるが、人類は初め山火事を通して火を発見し、それから文明が発展して来たと言われている位、火は私たち人類にとって切っても切り離せないもの。信仰者である私たちにとっても、同様に火は切っても切り離せないものである。今日は、この「火」、或いは「炎」と私たち信仰者との関係についてみことばから見て行きたい。

【序論】

 2つの主題聖句があるが、Ⅱテモテの方は結論で取り上げ、初めに、出エジプト3:1~12の所からメッセージを始めたい。

【本論】

 ある時モーセはしゅうとイテロの羊を追って神の山ホレブのところまでやって来た。モーセがこの時、イテロという人の羊の世話をするようになった経緯についてはもう知っていると思うので、省略する。

 彼は遠くの柴の中で燃える炎を見た。この彼が見た炎がこの後の彼の人生を大きく変えることになるわけだが、この時の彼には未だ何も分からなかった。ただその炎は柴の中で燃えているのに、柴は焼け尽きて行かないので、不思議に思って近づいて行くと、柴の中から声がしたと言う。

 今日はこの声、それは神の声だったが、その声がこの後彼を大きく変えることになって行くことを見て行きたい。そして結論として、Ⅱテモテ1:6~7でパウロが愛弟子テモテに語った言葉と重ねながら、神が私たちに語ろうとしているメッセージ、燃えているのに燃え尽きない柴の中の炎から聞こえる神からのメッセージをまとめたいと思う。

※神はここで3つのことをモーセに語っている。

(1)神はモーセに「神はご自身の民に使命を与える神であること」を語られた。

V8:「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。」

V10:「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」

 モーセはミデヤンの地に逃げて来る前にエジプトで同胞を救おうとした。それは彼がそれを彼の使命だと思ったからである。そのことが、迫害を受けている時のステパノの証言の中で語られている。

使徒7:23~25:「四十歳になったころ、モーセはその兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こしました。そして、同胞のひとりが虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を打ち倒して、乱暴されているその人の仕返しをしました。彼は、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、みなが理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした。」

 そのためモーセはエジプトから逃亡し、40年の間、ミデヤンの地でイテロの下で羊飼いをしていた。そんな彼に、神からの使命が与えられたのである。その使命は、初め彼が自分で感じ取った使命であったが、その時はそれが理解されず、そのために彼は失望し、意気消沈してミデヤンの地に逃げ込んだのであった。しかし、そこでの40年の羊を飼う経験を経て、彼は新たに神から使命を与えられた。イスラエル人たちをエジプトから救い出し、約束の地に導きいれるという使命である。彼はその使命を果たすため、愚かで、臆病で、すぐ心を翻す、先が見えない羊のようなイスラエル人たちを約束の地に導きいれるために、彼自身がミデヤンの荒地で、そのような羊を40年間飼うという訓練を受けたのである。神はミデヤンの荒野での訓練を通し、モーセをご自身の目的のための器に造り変えたのである。

(2)神はご自身の民の叫びを聞かれ、虐げをご覧になられ、痛み苦しみを知ってくださる神であること、つまり、「神は愛と憐れみに満ちた神であること」を語られた。

V7:「【主】は仰せられた。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。』」

V9:「見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。」

 イスラエルの民はエジプトでヨセフがパロに次いで国を治めている時には良かった。しかし、聖書(出エジ1:8~10)が言うように、そのヨセフが死に、またヨセフの時代の王やその他の人々が死んでヨセフを知らない王が起こると、パロはイスラエル人たちを圧迫し始めた。それはイスラエル人たちが多産で人口が増えて行くので、彼らを恐れて支配するようになったからである。イスラエル人たちもヨセフの時のようであれば良かったのだが、新しい王に支配されるようになってしまったのである。

Ⅱペテロ2:19b:「人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。」

 私たちはそういう点で、この世のパロである悪魔サタンに気をつけなければならない。私たちはイエス様の完全なる贖いによって100%神の子になったのにも関わらず、未だそうでないかのように、この世の神である悪魔サタンによって、イスラエル人に対するパロのように支配されてしまうことがある。悪魔はいつも私たちを偽りと誘惑と脅しによって騙し、私たちが100%神の子でないかのように思わせて、自分の支配下に置こうとするのである。

※しかし、私たちは既に贖われて、「アバ、父」と呼ぶ御子の霊が与えられている。だから、この世にあって私たちは何一つ恐れることはない。

ローマ8:15:「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。」

 そして、悪魔サタンに対しては神の子として、信仰を持って立ち向かおう。

ヤコブ4:7:「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」

 そんな中で、イスラエルの民は神に叫び求めたのである。神はその声を聞かれ、虐げをご覧になられた。神は決して、ご自身の民を忘れることはない。見捨てることはないのである。

申命記31:6:「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」

(3)神はモーセに、「神は神の民と共に居て下さる神であること」を語られた。

V12:「神は仰せられた。『わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。』」

 神はモーセに、ただ救いのための使命のためだけでなく、民を神に仕える、即ち、神を礼拝する民とすることのためにも、「わたしはあなたとともにいる。」と言われた。この神の臨在の約束は、モーセだけでなく、すべての神の民にとって無くてはならないもの。この約束があるから、「確かに神は私たちと共に居て下さる」という信仰によって、私たちはすべてのことをすることが出来るのである。神の臨在は私たちのすべての働きの根源である。

マタイ28:18~20:「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』」

【結論】

 今日の結論だが、パウロのテモテに語った言葉を重ねながら結論をまとめたい。

Ⅱテモテ1:6~7:「それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」

 テモテはこの時、パウロから任されたエペソ教会の牧会において、思い悩み、自信を失っていたようだ。ちょうどモーセがエジプトからイスラエルの同胞を救い出す時に、自分の思いが挫かれて、尻尾を巻いて逃げて来た時のように。だからパウロはそんな気弱くなっているテモテにこの手紙を書き送り、Ⅴ6:「それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物=それは彼の内に、使命を果たすために与えられた炎である、聖霊様の賜物です。それを、再び燃え立たせてください。」と言い、抄訳聖書:V7:「というのは、神は私たちに臆する<臆病の、気の弱い、すくんでしまう、恐れる>霊を与えられたのではなく、力と愛と落ち着きのある<均衡のとれた心<制御心<自制>の〔霊を私たちに与えられたからです〕」と言っている。

※そう!私たちもモーセやテモテのように、それぞれ弱さを持っている柴のような存在。しかし神はそのような弱い私たちの中で炎のように燃え、(1)福音宣教、礼拝、弟子造りという使命を与え、(2)神の変わることのない愛があることを確信させ、そして(3)共に居て下さるのである。

※皆さんにはどんな使命が与えられているだろうか?どんな使命であっても、神はあなたをその使命に相応しい者として荒野で訓練して下さる。もし今「私は荒野にいる」と思われたら、神にはあなたに、あなたしか果たすことの出来ない特別な使命を与えられたことを覚え、感謝し、期待しよう。そして、変わることのない神の愛を覚え、そして、共にいてくださる神と共に歩もう!

―祈り―


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