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2023.7.16 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

ガラテヤ3:29:「もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。」​

【導入】

質問:「あなたはキリストのものか?」―だとするなら、聖書は「あなたは何である」と言っているか?―「アブラハムの子孫」であり「約束による相続人」であると言っている。​

 では、アブラハムの子孫、約束による相続人とは何か?―これが今日のメッセージのテーマだが、それについては、次のガラテヤ4:1~7に記されている。​

【本論】

ガラテヤ4:1~7:「ところが、相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。私たちもそれと同じで、まだ小さかった時には、この世の幼稚な教えの下に奴隷となっていました。しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。そして、あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父。』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。」​

 この箇所を意味として短くまとめると、「私たちはアダムの子孫として、神が造られたすべてのものを、私たちの相続財産として与えられていたが、アダムが罪を犯したため、そのすべてを、相続物も、また相続権も、そのすべてを失ってしまった。しかし、Ⅴ4:「しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。」とあるように、神は御子イエス・キリストを私たちの贖い主、救い主、最後のアダム(Ⅰコリント15:45)としてこの地に送って下さって、あの十字架と復活のみわざにより、アブラハムの子孫として神がアブラハムに約束して下さった相続財産、また、初めのアダムの子孫である私たちが失ったすべての相続財産を贖って下さった、回復して下さったということが語られている。それが、Ⅴ4~V7で言われていること。​

V4~V7:「しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。そして、あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父。』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。」​

 初め、神がアダムを造られた時、創世記1:27によるのならば、「神のかたち」に造られたとある。「神のかたち」とは、Ⅴ26:「われわれに似るように」とあるように、神ではないが、限りなく神に近い存在として造られたということである。神の性質、知恵、力、姿、持ち物、すべてにおいて、「神に似た者」、「神のかたちを持っている者」として造られた。だから聖書は、アダムはただ神の被造物というだけではなく、「神の子」であると言っている。​

ルカ3:38:「エノスの子、セツの子、アダムの子、このアダムは神の子である。」​

 イエス様から始まって、逆順にアダムまで遡った系図の最後、アダムについて言われている言葉である。​

※アダムは罪を犯すまでは神の子であった。そして、私たちもそうであった。そんな私たちを、イエス様はご自分の十字架と復活のみわざを持って贖って下さった。元の「神の子」にして下さった。それが、神がアブラハムの子孫として、また、イエス・キリストを信じる信仰によって私たちに約束された相続財産、私たちの救いなのである。

※だから、私たちが受けている「救い」というのは、ただ「罪の赦し」を受けているということだけでなく、初めに私たちの祖先であるアダムが神の子として持っていた財産、そしてその財産の相続権のすべてを、イエス様が十字架と復活の贖いのみわざ、救いのみわざによって、取り戻して下さった、回復して下さったということでもあるのです。この点は、救いに関して余り語られていない重要なポイントである。

※回復なしに救いはない!

 そのことが良く分かるのが、放蕩息子の話である。罪が初めにこの世に入って来た時のアダムの姿、そして、それによって失った神の子としての姿、そして、最後にはその姿の回復、神のかたちという相続財産の回復のことがよく分かる譬え話のでもある。イエス様はそのために語ったわけではないが、その放蕩息子の話によってそのことが良く分かる。

ルカ15:11b~24:「ある人に息子がふたりあった。弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。」

 弟は自分の取り分の財産を先に分けてもらって、そしてそれを全部使い切ってしまった。その時の状態は、罪を犯してすべてを失ったアダムの姿と重なる。アダムは罪を犯した後どうなった?

創世3:10:「彼は答えた。『私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。』」

 神は、彼らが罪を犯した後でも彼らと交わりを持とうとした。しかし、アダムは、自分が「裸」であることで、「恐れて隠れた。」とある。彼は罪を犯す前も犯す後も、変わることなく「裸」であったのだが、どうして恐れて隠れたのか?―それはまさに、「神のかたち」、神の子としての栄光、尊厳、誉れ、美しさ、平安、喜び、「神のかたちとしての神の姿」そのものを失った姿そのものである。

※あの放蕩息子もそうである。分けてもらった自分の財産をすべて使い果たしてしまって、何もなくなってしまった。惨めな、まるで裸になってしまったアダムのようである。でも、あの放蕩息子は悔い改めて父の下に帰った時、自分が持って出た財産それ以上の財産、栄光、宝飾が与えられて、父に対する子として、身分、立場、財産、持ち物、すべてが回復した。

※これが私たちの救いです。これが私たちの回復です。そして、その時回復したすべての財産、天にある良きもの、あの放蕩息子が父の下で受けたすべての相続財産を、私たちも相続財産として受けたのである。その権利を得たのである。何故なら、私たちも元々が神の子だからである。しかし、罪を犯したために、その財産のすべてを失ってしまっていたのである。

※しかし、その回復、贖いのためにイエス様が十字架に架かって下さり、死んで墓に葬られ、そして三日目によみがえって下さった。それによって、私たちの救い、失っていた神のかたちの回復、財産相続の回復が成就、完了したのである。

※病の癒しも回復も解放も、天にあるものの相続に、病や痛みや悲しみや苦しみはない。そこには、健康と平安と喜び、すべての祝福が満ち溢れているが、私たちはそれらのすべてを、神の子として取り戻した、回復した、相続したのである。

 それは、イエス様がすべてを捨てて、私たちと同じ姿になって、私たちの罪の贖いをしてくれたおかげである。

Ⅱコリント8:9:「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

 そして、この贖いは、神のかたちの回復は、ただ祝福、財産の回復だけではない。使命、働きの回復でもある。

 創世記では神はアダムに何と言われた。

創世1:27~28:「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」

 しかし、彼は罪を犯したためにこの使命、働きを失った。そして、アブラハムの子孫として生まれたイスラエル人たちも、その使命、働きを失った。本来、彼らはアダムのように、世界のすべての人の祝福となるはずの人たちだった。しかし、彼らはその使命を失ってしまったのである。

 それで、神は御子イエス・キリストを通して、私たちをアブラハムの子孫として選んで下さり、そして、その選ばれた者としての使命、働きを私たちに与えられたのである。この使命、働きの回復は、アダム、またアブラハムに対して与えられていた使命、働き(世界のすべてのもの、人々の祝福の基となるということ)でもあり、その使命を、私たちは今、福音宣教、弟子づくりの使命として与えられている。

マタイ28:18~20:「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』」

【結論】

 だから、私たちはこの神から委ねられている、命じられている、この福音宣教と弟子造りの働きを行なって行こう。しかし、その前に私たちはしっかりと覚えたい。

※私たちには、私たちの天にあるすべての相続財産で満たされている、与えられているということを!―神の子としての身分、立場と、そのすべての権威と力と栄光と富と誉と繁栄と祝福、健康に満ちているということを!

ガラテヤ3:29:「もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。」


―祈り―


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