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2023.5.28 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

使徒2:38~39


【タイトル】

ペンテコステのお祝いー聖霊の贈り物ー


【導入】

 クリスマスはイエス様の御降誕を覚えて、「メリークリスマス!」と言ってお祝いする。それは、イエス様が私たちの救いのために私たちのところに来て下さったから。またイースターでは、「ハッピー・イースター」としてお祝いする。何故なら、私たちのよみがえりのために、先ず初めに初穂としてよみがえってくださったからです。(Ⅰコリント15:20)

 では、ペンテコステはどうだろう?ペンテコステはユダヤ人の五旬節、七週の祭りに該当し、今年は5月25日夕~26日夕に当たるが、私たちはペンテコステでは、「メリー・クリスマス」、「ハッピー・イースター」のように、ペンテコステを祝うだろうか?―余りしないものである。どうしてだろう?しかし、祝う言葉があろうとなかろうと、ペンテコステの日は私たちにとって、クリスマス、イースターと並んで重要な時である。何故なら、クリスマスではイエス様の御降臨を覚え、イースターではイエス様の復活を覚えるように、ペンテコステでは聖霊様の御降臨を覚える時だからです。

 今日は、このペンテコステの日を特別な日として覚える聖霊様の御降臨の意味を、みことばからご一緒に見て行きたい。

【本論】

 3つの意味で、私たちにとって、ペンテコステは重要な時である。

(1)聖霊様が私たちをキリストの証人にしてくださるから。

使徒1:8:「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 先ず、私たちは聖霊様によってキリストの証人となることを覚えよう。「キリストの証人となる」というよりも、私たちは「証人とならせられる」ということです。

 証人というのはどういう人か?―刑事裁判の席では、原告側からの証人にしても、被告側からの証人にしても、証人の証言が求められると、裁判官から「では、証人は証人席に着いてください。そして、事実だけを述べてください。もし、偽りを述べたら、偽証罪となります。」と言うようなことを言われて、席に着く。

※つまり、証人は見たまま、聞いたままを、それを事実として証言する者、しなければならない者だということです。キリストの証人に関してもそうです。

使徒1:21~22:「『すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。』そこで、彼らは、バルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた。」

 しかし、キリストの復活を信じたり、ましてや、その信仰に基づいて証言することほど難しいことはない。事実、初め弟子のトーマスは信じなかった。何故なら、そんなことは普通起こらないし、信じられないからである。だから、それを信じ、そのことを証言することなど、この世の人の目を気にしたら出来ないことである。でも、パウロはそんな中にあって、こう言っている。

ローマ1:16:「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」

 パウロは、このように福音、十字架と復活を宣べ伝えること、証言することは恥ではない。証言することを恥じることはないと言っている。何故なら、それは私たちのキリスト信仰の根源だからである。キリストの復活を信じること、それを宣べ伝えることを外しては、私たちの信仰は無意味、私たちの宣教、伝道は空しいものとなる。だから、パウロはもしキリストの復活が無いとするならば、それを証言する私たちは偽証する者、神に逆らう証言をする者となるのだと言っている。

Ⅰコリント15:13~15:「もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。」

 しかし、キリストは復活した。だから、私たちはそれを信じ、その証人となったのである。そして、聖霊様が私たちに力を与えて、それを、人がどう思おうと、大胆にそれを証言することが出来る者として下さったのである。もう一度、使徒1:8を見てみよう。

使徒1:8:「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 「何」を受けると言っているか?―「力」を受けると言っている。

※「力」は、原語ギリシャ語の「デュナミス」、「ダイナマイト」の原語である。その力はダイナマイトのような大きな破壊力である。何を破壊するのか?―肉の力、この世の力、「そんなことはありえない」とか「そんなことを証言したら大変なことになる」と言うような「この世の見方、考え方」を破壊する力である。そのために聖霊様が私たちに与えられた。そして、私たちを内側から変えて下さるのです。ハレルヤ!

(2)聖霊様は私たちにキリストを教えて、理解させて、学ばせて下さるから。

ヨハネ14:26:「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」

ヨハネ15:26:「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」

 聖霊様は私たちに、イエス様ご自身について、また、イエス様が語られたこと、教えられたこと、イエス様に関するすべてのことを教えて下さる、理解させ、学ばせて下さるのです。これは聖霊様の非常に重要な働きです。聖霊様の働きなしに、私たちはイエス様のことを正しく理解することは出来ない。事実弟子たちは、イエス様と3年半の公生涯を共にしていながら、彼らに御霊が注がれ、聖霊様のこの力を受けるまで、実際にイエス様のことを正しく理解することはなかった。しかし、御霊が注がれて、あのペテロを始めとして弟子たち120名は、大胆にイエス様のみわざ、イエス様ご自身について、旧約聖書のみことばを引用しながら、縦横無尽に証しをした。正に、キリストの証人となったのである。

※だから、もし「もっとキリストのことを証ししたい、キリストの証人となりたい」と願うなら、聖霊様を求めてください。そして、もっと聖書、神の言葉を知りたいと願うなら、聖霊様に求めて下さい。聖霊様は、私たちにキリストのことを教え、私たちを証人にしてくださる。

※何度も言うが、私たちの神信仰で重要なことは、「何をするか」ではなく、「何であるか」という神様との関係性です。だからパウロはⅠコリント12章で、聖霊の賜物のことを話した後に、最後のⅤ31で、「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。」と言ったのです。初めの「よりすぐれた賜物」の「賜物」とは、聖霊様の与えて下さる賜物(カリス)の複数形である「カリスマータ」のこと。知恵の言葉、知識の言葉、…、いやしの賜物、奇跡を行なう力、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力、…等である。しかし、聖書はそれらを熱心に求めなさいと言うが、同時に、それ以上に「まさる道」である「道」(単数形)を与えようというのです。その「道」とは、「愛」であり、聖霊様ご自身です。最後に;

(3)キリストと同じ姿に変えてくださるから。

Ⅱコリント3:18:「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

 これが私たちの神信仰のゴールであり、神様の私たちに関わる救いの完成というゴールです。キリストを学んで、知って、理解し、証しする側の証人ではなく、最後は、私たちに与えられた聖霊によって、私たちの内側から、キリスト御自身の似姿、同じ姿へと変えられて行くのです。これが、神様の私たちの救いの御計画だからです。

【結論】

使徒2:38~39:「そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

 この御計画は、賜物(ドーリア)として私たちに与えられた聖霊により、悔い改めて救われた者に、「あなたがた」、ユダヤ人だけでなく、「すべての遠くにいる人々」、異邦人である私たちにも与えられるものです。だから、ペンテコステを感謝し、祝いましょう!賜物として与えられる聖霊様を感謝しよう!

―祈り―


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