top of page

2023.4.2 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【前置】

 今日の聖書個所は、教会内のことも含め、家庭や一般社会の中での人間関係における聖書の教えです。少し堅苦しい言葉使いになるが、キリスト教倫理と呼ばれるものである。倫理というのは「倫」=「人の輪、人間関係、社会」という意味の言葉と、「理」=「ことわり、変わらない真理、教え、約束事」という意味の言葉が一つになったもので、「人間関係の中の変わらない真理、教え」という、時代や状況に応じて変わることのない基本的な真理、理(ことわり)のことです。​

【序論】

 ここでは、3つの人間関係のことが語られている。(1)妻と夫、夫と妻という夫婦の関係(V18~V19)、(2)子供と両親、Ⅴ21では「父」となっているが、これは、Ⅴ20の「両親」に置き換えることが出来るので、両親と子供、つまり親子の関係、(3)奴隷と主人、主人と奴隷、これは、厳密に「奴隷と主人、主人と奴隷」でなくても、社会の職場における「雇用者と被雇用者」或いは「上司と部下、部下と上司」という、上下の人間関係のこと。(V22~4:1)


 ここで、何が語られているだろうか?​

【本論】

 3つの人間関係において、共通して出て来る2つの中心軸がある。それは、①一方通行ではなく、相互関係における教えとして語られているということ。②どの関係においても、その真ん中に主イエス様が置かれているということである。「イエス様に在って、イエス様によって、イエス様に対して」ということである。​

(1)夫婦関係における教え

V18~V19:「妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。」​

 妻たちに対し、夫たちに対し、どちらに対しても語られている。つまり相互関係として語られている教えである。​

※「相互に対して語られている教え」という点では、この教えは画期的な教えである。当時のユダヤでは、今日の正統的なユダヤ人社会の中でも変わることはないが、夫や男性の権力は、妻や女性と比べて強く、絶対的なものであった。例えば、夫は妻を離縁することが出来るが、その逆は許されないということや、女性は男性よりも下に見られていて、特に宗教的な状況では女性は蔑視されている。例えば、エルサレムの神殿の「西壁」には、現在も女性は入ることが出来ない。そのような中で、この教えでは、どちらが上で、どちらが下ということではなく、それぞれが「主に在る者」、つまり「主に在って、主によって、主に対する者」として、「妻は夫に従い、夫は妻を愛しなさい」と命じられている。それは、その真ん中に主イエス様がおられるからです。そのことは、「エペソ書」の中の、やはり夫と妻に関する教えを見れば明快である。エペソ書では、夫と妻の関係をキリストと教会とに当てはめて語っている。​

エペソ5:22~33:「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。私たちはキリストのからだの部分だからです。「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。」

 ここで記されている通り、夫が妻を愛するのは、キリストがそうされたからであり、妻が夫を敬うのは、私たちがキリストによって救われ、キリストを私たちの救い主として信じて従うがゆえにです。ここで、PLJ(Prolife Japan、小さないのちを守る会)を起こされた辻岡健象師の夫人、敏子さんの手紙(ニュースレター92号、年2回発行、3月28日付録)を読む。

 夫と妻という関係だけでなく、牧師、そして「小さないのちを守る会」の代表として、中絶廃止、特別養子縁組の斡旋等、日本中を忙しく動き回る夫を支え、共に主に在って、主によって、主に対するように、夫に、そして人々に仕えたということです。

(2)親子関係における教え

V20~V21:「子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。」

 ここにも、Ⅴ20:「子どもたちよ。…。」と、Ⅴ21:「父たちよ。…。」と言う風に、相互関係としての教えと、Ⅴ20:「それは主に喜ばれることだからです。」とあるように、「主に在って、主によって、主に対するように」という、主を真中においた関係の教えとして記されている。

 子どもたちに対して、「両親に従いなさい。」は、十戒の中の第5戒でもあるので、難しいことだが、両親はこれを子どもたちに教えなければならない。そして、両親に対する教えも難しい。V21:「父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。」というのは、脚注にあるように、「いらだたせてはいけない。」つまり、「子供が怒らないようにと、言う通り何でもしてあげなさい。」とか「機嫌をとりなさい。」と言うことではなく、「いらだたせてはいけない」は、「平安や喜びなど、健全な感情を失わせてはいけない。」ということである。

※では、それはどのようにして行うのだろうか?―みことばによる教え、訓練によってです。

エペソ6:4:「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」

マタイ11:28~30:「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 「くびきを負う」とは、みことばに従って学ぶ実地訓練のようなものである。それによって子どもの魂、心が健全に成長して行くのである。

(3)上下の人間関係における教え

V22~4:1:「奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。 あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。不正を行う者は、自分が行った不正の報いを受けます。それには不公平な扱いはありません。主人たちよ。あなたがたは、自分たちの主も天におられることを知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。」

 相互の関係の教えとして、Ⅴ22:「奴隷たちよ。…。」、4:1:「主人たちよ。…。」と、相互に語られている。そしてその真ん中に、主イエスがおられる。V22:「主を恐れかしこみつつ」、Ⅴ23:「主に対するように」、Ⅴ24:「主から報いとして」という風に、「主に在って、主によって、主に対するように仕えなさい。正義と公平を示しなさい。正しく、えこひいきすることなく、誰に対しても公平でいなさい。」と言う。

 それは、主人であっても、上の立場の者であっても、「自分には、仕えるべき主がおられる。」と主を覚えるからである。

【結論】

 このように、私たちはクリスチャンとしてこの世に置かれ、そこで私たちはいろいろな関係の中で生きている。夫婦の関係として、親子の関係として、そして社会の中の上下関係の中で生かされている。しかし、私たちはどこで生きていようとも、私たちは、私たちのために贖いを成し遂げて下さった私たちの主がおられることを覚え、そしてお互いに愛し合い、仕え合うのである。教え、戒め、励まし、慰め、お互いに助け合うのである。

コロサイ3:16~17:「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」


―祈り―



最新記事

すべて表示

2024.11. 3 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 創世記14:18~23 ​ 【タイトル】 「完全な十分の一のささげもの」 ​ 【聖書個所】 創世記14:18~23 :「さて、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福して言った。『祝福を受けよ。アブ...

2024.10.27 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】 黙示録(18)「ラッパの裁き①ー聖徒たちの祈りと神の裁きー」 ​ 【聖書個所】 黙示録8:1~13 :「小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。また、もうひと...

2024.10.20 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 黙示録7:1~17 ​ 【タイトル】 黙示録(17)「患難期の信仰者の喜びは天の御国の喜び」 ​ 【聖書個所】 黙示録7:1~17 :「この後、私は見た。四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を堅く押さえ、地にも海にもどんな木にも、吹きつけないようにして...

Opmerkingen


bottom of page