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2023.11.26 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

ダニエル9:20~23:

【タイトル】

ダニエル書(16)「祈りは悟りを受ける鍵」

【導入】

 皆さんは祈る時、どんな思いで祈っているか?「神は必ず答えて下さる」という確信をもって祈っているか?それとも、「答えてくれるかどうか分からないが、答えてくれたらいいな」というような、単なる希望、願いのような思いで祈っているか?今日、私は皆さんに勧める。祈る時には、「答えてくれるかどうか分からないけど、答えてくれたらいいな」というような思いではなく、はっきりと、確信をもって「神は必ず答えてくださる」と信じて祈ろう。

 イエス様は弟子たちに、こう言った。

マルコ11:22~24:「イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」」

 また、マタイ16:19でも、イエス様は弟子たちにこう言われた。

マタイ16:19:「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」

 「天の御国のかぎ」とは、御国の扉が開かれて、祈りが答えられるための鍵のこと。鍵とは何だろうか?私たちは家に帰りドアを開ける時、この鍵開くかな?どうかな?と疑って開けることはないだろう。正しい鍵を使っているのならば悪からである。私たちは疑わずに開けている。

※祈りもそうである。祈りは、御国で成し遂げられたことを地上にもたらすための鍵。だからイエス様は、私たちに教えられた「主の祈り」の中で、「みこころが天で行なわれるように地でも行われますように」と祈れと、教えて下さったのである。

 だから私たちもそのように祈ろう。今日はそのように神様からの祈りの答えをもらったダニエルに目を留め、メッセージを語る。聖書個所は、ダニエル9:20~23である。

ダニエル9:20~23:「私がまだ語り、祈り、自分の罪と自分の民イスラエルの罪を告白し、私の神の聖なる山のために、私の神、【主】の前に伏して願いをささげていたとき、すなわち、私がまだ祈って語っているとき、私が初めに幻の中で見たあの人、ガブリエルが、夕方のささげ物をささげるころ、すばやく飛んで来て、私に近づき、私に告げて言った。『ダニエルよ。私は今、あなたに悟りを授けるために出て来た。あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。』」

【本論】

 ダニエルはこれから起こることに関する不思議な幻を見たが、それが何のことか分からずに驚きすくんでいた。そしてそれを知ろうと、前回学んだように、①神のみことばは必ず実現すると言う信仰、②神の恵みと憐れみ、③神は義なる方である、これら3つのことを土台にして祈った。そうすると、今読んだように、幻の中で御使いガブリエルが、「夕方のささげ物をささげるころ、すばやく飛んで来て、私に近付き、私に告げて言った。」(V21~V21a)と言う。どんなことを言ったのか?

V22~V23:「私に告げて言った。「ダニエルよ。私は今、あなたに悟りを授けるために出て来た。あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。」と言った。

 ここに、祈りはどのようにしてその鍵が働き、答えられるのか、その祈りのメカニズム、祈りのシステムを、ダニエルに答えられた御使いの言葉の中に見ることが出来る。

(1)祈り始めると、神が動き始める。

 祈りは、私たちと神とを結ぶ通信システムのようなもの。神は私たちが祈り始められると、すぐに動き始めるのである。私たちが受話器を取ってダイアルする時、スマホを取って番号を打つとき、パソコンを開いてメルアドを打ち込み始める時、神様はそれを見ておられて、動き始めるのです。

 ダニエルの祈りに対して、神様は何と言っているだろう?

V23:「あなたが願いの祈りを始めたとき、…。」

 だから、祈り始めるということは神様が動き始めることを起こすような鍵、スウィッチのようなもの。車でいうならエンジンスターターのようなもの。キーを差し込んで回せば、エンジンがスタートする。神が答え始める。だから、祈りの答えをもらうためには、先ず私たちは祈り始めなければならない。

(2)祈りは言葉でささげるもの。神は、私たちが言葉を持って祈る時、神はその祈りに応えられる。

V20~V21:「私がまだ語り、祈り、自分の罪と自分の民イスラエルの罪を告白し、私の神の聖なる山のために、私の神、【主】の前に伏して願いをささげていたとき、9:21すなわち、私がまだ祈って語っているとき、…」

 とあるように、語ることも、告白することも、言葉をもってするもの。祈りは言葉をもって捧げられるものである。

ダニエル10:12:「彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。」

 とあるように、祈り、神様との通信は、言葉をもって行なうものである。朝起きて「おはよう。」、夜寝るときには、「お休みなさい。今日一日感謝します。」というように、また、人と人が会えば挨拶するように、私たちは神様と言葉をもってコミュニケーションをするのである。それが祈りです。

(3)(祈りが答えられるのは)私たちは神に愛されているから。

V23:「あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。」

 と御使いはダニエルに言った。ただ、ここで勘違いしてはいけないことは、「ダニエルは神様に特別に愛されているから、祈りが応えられたのだ」とか、「私たちの祈りが応えられるためには、私たちは神様に愛される者にならなければならないのだ」と言うことを言っているのではないということ。神の愛は無条件の愛だから、私たちがどんな者であっても神は私たちを愛しておられる。

 では、どうして答えられる祈りと答えられない祈りがあるのだろう?―そこには2つの理由がある。

①祈りが応えられないのは、神様が応えることの出来ない相応しくない祈りをしているから。

 どんなにエンジンキーを回してもエンジンがスタートしないのは、車の故障、例えば、エンジン始動の電気系統のどこかに断線があったりすればエンジンはかからない。またガソリンが空ならば、どんなにスウィッチを押してもエンジンはかからない。そのように、相応しい祈りでなければ神様は応えられないのである。聖書はそのことを次のように言っている。

ヤコブ4:3:「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」

 「悪い動機」とは罪のこと。罪は、神様との祈りの通信回線を妨げるもの。次のヤコブ4:4:「貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」と言っているように、神様と私たちとの関係が「貞操のない関係」、つまり、不信仰、不従順と言う、神を第一にしない関係であれば、神様は私たちの祈りに応えることが出来ない。それは神様に相応しくないからです。

 だから、祈りが聞かれるために私たちがしなければならないことは、神を第一にすること。つまり、貞操を守ること。神への信仰を第一にすることです。

 しかし、それでも祈りがなかなか叶わないことがある。そこに第2の理由がある。

②祈りの答えが本当に重要な時、神様は敢えて時間をかけて、その答えを悟らせてくださる。

 神様は、ダニエル9:23b:「あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。」と言われた。みことばを聞き分け、悟るためには、食べ物を消化するのと同じように時間がかかる。

箴言2:3~6:「もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、2:4銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、2:5そのとき、あなたは、【主】を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。2:6【主】が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。」

 銀のような宝の鉱脈を探り当て、そこに至るまでには時間がかかる。しかし、そこに到達すれば、それを得ることが出来る。

※悟りも同じ。神のみことばを、神御自身を知ること、みこころを知ることには時間がかかる。でも、それをするだけの価値が神を知ること、悟りにはある。だから、祈ろう!

【結論】

 祈りを通して、神は私たちに悟りを与えられる。ダニエルは幻を見、それを悟ろうとしたが、その解き明かしを聞いても悟れなかった。しかし、ダニエルの祈りにより、悟りを授けるために御使いガブリエルが神から遣わされた。私たちも、ダニエルの見た幻のような幻は見ないかもしれない。しかし、現実に起こるさまざまな出来事は目にしている。その中で、私たちは「これは何なのだろう?」、「神様は私たちにどうするようにと教えているのだろうか?」、「私たちはどうしなければならないのだろうか?」と主に祈り求める時、主はこのように悟りを授けて下さる。知恵と悟りを授けて下さる。また答えを与えて下さるのである。

※この神の知恵と知識、つまり悟りは、どんなに時間が掛かって受けるにしても、黄金よりも銀よりもはるかに価値あるものなのである。だから、祈ろう!

―祈り―


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