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2023.1.8. 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【導入】

 新しい年が明けた。今年の教会のテーマは、昨年のテーマを少し前に進めて、「キリストに根差し、さらに『高み』を目指して歩む」です。そのために、今日はそのことが実現するようにと、パウロが捧げている箇所を読んで、そして一緒に祈りを捧げたい。聖書個所は、エペソ1:15~19、3:14~19です。

【本論】

 先ずパウロは、1:15~19のところで、エペソの兄姉に対し、また私たちに対して、V17:「栄光の父なる神が、神を知るための知恵と啓示の御霊を私たちに与えて」、V18:「私たちの心の目がはっきりと見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、私たちの受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか」、V19:「神の全能の力の働きによって、私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるか」を、私たちが知ることが出来るようにと祈っている。特に最後のV19にあるように、私たちが、「私たちに働く神の力がどれだけ大きなものであるか」ということを知ること、それは、神のみこころだということです。それが今日の第一のポイントです。


(1)神の力の偉大さを知ること


 今年のテーマである、「キリストに根ざして、さらに一歩高みを目指して歩む」ためには、神の力の偉大さを知ること。神の力の偉大さを知ることは無くてはならないことです。それが先ず、この新年の第一番目の祈りです。私たちはこの神の力の偉大さ、その大きさを知っているだろうか?―誰も知らないだろう!だから、ダビデはその偉大さを次のように詩篇で歌っている。

詩篇145:3:「【主】は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。」と。

 そう!この世界で、神の偉大さ、その力の大きさを知っている者はだれもいない。それほど神の力は偉大なのである。パウロは、その力の偉大さ、また大きさが、私たちの信仰、神との関係の中でどのように働くのかについて、今日の箇所で次のように言っている。

エペソ1:20~23:「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」

 これは、私たちがキリストに根ざした後の変化、成長のこと。将来どういう姿になるかということについてである。神はその偉大な力で、私たちを死んだ者から生きた者に変えて下さり、それだけでなく、その力により、キリストの満ち満ちた姿にまで造り変えて下さるのです。私たちはこの力に生かされているのです。そして、キリストの満ち満ちた姿に造り変えられて行くのです。だから、私たちの目ざす「高み」は、キリストの満ち満ちた姿です。これが第一のポイント。

 次にキリストに根ざして、高みを目ざして行くという第2のポイントは、

(2)神の知恵の豊かさを知ること

エペソ1:17:「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」

 パウロは、神が私たちに神を知るための知恵と啓示の御霊を与えて下さるようにと祈っている。「神を知るための知恵と啓示の御霊」とは、聖霊様のこと。そして、私たちは聖霊様によって神御自身の知恵の豊かさを知るのです。何故なら、「神のみこころのことな、神の御霊のほかにはだれも知りません。」(Ⅰコリント2:11b)とあるからです。

Ⅰコリント2:6~11:「しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。』神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」

 神の知恵も、神の力と同じように、私たちにとって、その大きさや豊かさは、やはり計り知ることの出来ないものです。だからパウロはその大きさ、豊かさについて、次のように言ったのである。

Ⅰコリント2:7~8:「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。」

 パウロは神の知恵の豊かさを、イエス様の十字架と関連させて言っている。それは、確かにその通りに、イエス様が十字架にかけられた時の支配者たち、サタンをかしらとして、律法学者や祭司やパリサイ人たちは、その十字架が何を実現するかを知らずに、「イエス様が十字架に架けられてしまえば、自分たちのこの世における支配は安泰だ!」と考えていたが、ところがイエス様が十字架に架けられたことによって、サタンの目論見や支配者たちの思惑である、人々を罪の支配下に置き、自分たちの思うままに支配しようと考えていたことが、イエス様が私たちの代わりに十字架に架けられ、私たちの罪を背負って死んで下さったことにより、サタンは私たちを支配することが出来なくなってしまった。まさに「どんでん返し」が起こった。それはサタンも時の権力者たちも思いつきもしなかったということなのである。

※ここに神の知恵があった。そしてその神の知恵と言うのは、このように、私たちの知恵をはるかに越えたものなのである。

 何故、王の王であり救い主であるイエス様があのような馬小屋で産まれたのか?何故イエス様は、「ナザレから何の良いものが出るだろう」(ヨハネ1:46)と言われていたガリラヤに現われて、そのように思われたのか?初めからエルサレムで宣教開始すれば、良かったのではなかっただろうか?何故イエス様は十字架に架けられることによって、私たちの罪の赦しを成し遂げられたのか、他にもっと良い方法があったのではないか?

 また弟子たちを見てもそうである。何故あのような無学なガリラヤの漁師が弟子になったのか?取税人が弟子になったのか?「雷の子」と呼ばれた短気なヨハネとヤコブが弟子になったのか?―どれもこれも、人間の知恵から見たら、理解出来ないこと。しかし、それが神の知恵であり、神の力であると聖書は言うのである。

Ⅰコリント2:9:「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。』」

※私たちは今年、このような神の知恵の豊かさ、大きさを体験したい、もっと知りたいと思う。私たちの知恵や理解を遥かに越えた神の知恵や力による大いなる働きとその実を見たい。第3のポイントは、

(3)神の広い、長い、高い、深い愛を知ること

エペソ3:14~19:「こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」

 この神の愛についても、私たちは神の力や知恵と同様、そのすべてを知ることは出来ない。だからパウロは、それらを知ることが出来るようにと祈っているのである。

そして、V19b:「こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」と言っているのである。

【結論】

 これが、今年の私たちの祈りです。―キリストに根ざすこと。そして、神の知恵と力、そして神の愛をもっと体験し、もっと知ること。それによって神は、私たちをキリストに満ち満ちた様にまで、成長させてくださる、変えてくださる。何より、それが神のみこころ、御計画だからです。そのことを先ず祈り求めよう!

―祈り―


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