【聖書個所】
ヨシュア記22:30~34
【タイトル】
ヨシュア記(27)「主が私たちの神ー私たちをつなぐ神ー」
【前置】
今日は、20章での逃れの町の設置、21章でのレビ族が住む町の分割譲渡の記事、そして、その後のことが記されている22章からのメッセージである。22章全部を読むと時間が足りないので、途中で読みながら、その結論であるV30~V34からメッセージを取り次ぎたいと思う。
【聖書箇所】
ヨシュア22:30~34:
―祈り―
【本論】
V30:「祭司ピネハス、および会衆の上に立つ族長たち、すなわち彼とともにいたイスラエルの分団のかしらたちは、ルベン族、ガド族、およびマナセ族が語ったことばを聞いて、それに満足した。」とあるが、祭司ピネハスと、彼とともにいたイスラエルの分団のかしらたち、すなわち族長たちは、一体何に満足したのか?―それは、ルベン族、ガド族、およびマナセ族の語った言葉であったとあるが、彼らは何を言ったのか?このことは何を指しているのか?―少し時間を遡って、彼らのカナンの地入場の前のところに戻りたい。
ヨシュア1:10~18:「そこで、ヨシュアは民のつかさたちに命じて言った。11 「宿営の中を巡って、民に命じて、『糧食の準備をしなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡って、あなたがたの神、【主】があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、進んで行こうとしているのだから。』と言いなさい。」12 ヨシュアは、ルベン人、ガド人、およびマナセの半部族に、こう言った。13 「【主】のしもべモーセがあなたがたに命じて、『あなたがたの神、【主】は、あなたがたに安住の地を与え、あなたがたにこの地を与える。』と言ったことばを思い出しなさい。14 あなたがたの妻子と家畜とは、モーセがあなたがたに与えたヨルダン川のこちら側の地に、とどまらなければならない。しかし、あなたがたのうちの勇士は、みな編隊を組んで、あなたがたの同族よりも先に渡って、彼らを助けなければならない。15 【主】が、あなたがたと同様、あなたがたの同族にも安住の地を与え、彼らもまた、あなたがたの神、【主】が与えようとしておられる地を所有するようになったなら、あなたがたは、【主】のしもべモーセがあなたがたに与えたヨルダン川のこちら側、日の上る方にある、あなたがたの所有地に帰って、それを所有することができる。」16 彼らはヨシュアに答えて言った。「あなたが私たちに命じたことは、何でも行います。また、あなたが遣わす所、どこへでもまいります。17 私たちは、モーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。ただ、あなたの神、【主】が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。18 あなたの命令に逆らい、あなたが私たちに命じるどんなことばにも聞き従わない者があれば、その者は殺されなければなりません。ただ強く、雄々しくあってください。」
これは、イスラエルの民がヨルダン川を越えてカナンの地に入る前に、ヨシュアが民に語った言葉、特に、ルベン族、ガド族、またマナセの半部族に語った言葉である。ヨシュアは彼らに対し、ここまで来るまでの間に彼らとモーセとの間で交わしていた約束―彼らはモーセとの間で、ヨルダン川の東側の地、モアブの地を彼らの所有地として与えられることが約束されていたが、実際にその地が彼らのものとなるためには、彼らも残りの9部族と残りのマナセの半部族と一緒にヨルダン川を渡り、一緒に戦い、その地を征服し、そしてその地の分割が終了するまで待たなければならないという約束(申命記3:18~20)―思い起こさせ、確認させたのである。それがこの箇所のみことば。そして、そのようになって、ルベン族とガド族、マナセの半部族がヨルダン川の東、自分たちの所有地に戻る時が来た時、ヨシュアは彼らにこう告げた。
ヨシュア22:1~6:「そのとき、ヨシュアはルベン人、ガド人、およびマナセの半部族を呼び寄せて、2 彼らに言った。『あなたがたは、【主】のしもべモーセがあなたがたに命じたことを、ことごとく守り、また私があなたがたに命じたすべてのことについても、私の声に聞き従った。3 今日まで、この長い間、あなたがたの同胞を捨てず、あなたがたの神、【主】の戒め、命令を守ってきた。4 今すでに、あなたがたの神、【主】は、あなたがたの同胞に約束したように、彼らに安住を許された。今、【主】のしもべモーセがあなたがたに与えたヨルダン川の向こう側の所有地、あなたがたの天幕に引き返して行きなさい。5 ただ【主】のしもべモーセが、あなたがたに命じた命令と律法をよく守り行い、あなたがたの神、【主】を愛し、そのすべての道に歩み、その命令を守って、主にすがり、心を尽くし、精神を尽くして、主に仕えなさい。』6 ヨシュアは彼らを祝福して去らせたので、彼らは自分たちの天幕に行った。」
ところがこの後、ある事件が起きた。それはルベン族とガド族、マナセの半部族がヨルダン川を越えて自分たちの所有地に帰る時、彼らはヨルダン川の畔、残りの9部族とマナセの半部族の相続地があるカナンの地との境界近くに祭壇を築いた。そのことで、カナンの地にいたイスラエルの民は、モアブの地に戻った同胞が、自分たちとの約束を破り、約束を破っただけではなく、自分たちの神に対する反逆をしたと思い込んで、彼らを滅ぼしに行こうという出来事が起きたのである。
ヨシュア22:9~12:「それでルベン族、ガド族、マナセの半部族は、カナンの地にあるシロでイスラエル人と別れ、モーセを通して示された【主】の命令によって、彼らが得た自分の所有地、ギルアデの地へ行くために帰って行った。10 ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、カナンの地にあるヨルダン川のほとりの地に来たとき、そこ、ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた。それは、大きくて、遠くから見える祭壇であった。11 イスラエル人はこういううわさを聞いた。「ルベン族、ガド族、およびマナセの半部族が、カナンの地の国境、ヨルダン川のほとりの地、イスラエル人に属する側で、一つの祭壇を築いた。」12 イスラエル人がそれを聞いたとき、イスラエル人の全会衆は、シロに集まり、彼らといくさをするために上って行こうとした。」
これがもしそのまま為されれば、今のロシアとウクライナのような悲劇的な同族同士の戦争になっていただろう。しかし幸いなことに、この時いきなり戦争にはならず、カナンの地のイスラエル人たちは、9部族とマナセの半部族の中から族長を一人ずつ選び、祭司ピネハスと共にモアブの地に戻ったルベン族、ガド族、マナセの半部族の所に送り、どういう訳で祭壇を築いて、自分たちに、またイスラエルの神に対して反逆するようなことをしたのかと彼らに尋ねたのである。
このことは重要!―私たちは往々にして、訳の分からないことが起こると、或いは自分の思う通りでないことが起こると、爆発して手を上げたり、乱暴な言葉を吐いたりする。しかしこれは賢明ではない。かえって争いが深まり、争いをまき散らすことになる。だから、静かに「どうしてなのか?」と訊いた方がよい。
箴言29:11:「愚かな者は怒りをぶちまける。しかし知恵のある者はそれを内におさめる。」ということばがある通り。
この時彼らもそのようにしたのである。そうすると、モアブの地のルベン族、ガド族、マナセの半部族から次のような答えが返って来た。
ヨシュア22:21~29:「すると、ルベン族、ガド族、およびマナセの半部族は、イスラエルの分団のかしらたちに答えて言った。22 「神の神、【主】。神の神、【主】は、これをご存じです。イスラエルもこれを知るように。もしこれが【主】への反逆や、不信の罪をもってなされたのなら、きょう、あなたは私たちを救わないでください。23 私たちが祭壇を築いたことが、【主】に従うことをやめることであり、また、それはその上で全焼のいけにえや、穀物のささげ物をささげるためであり、あるいはまた、その上で和解のいけにえをささげるためであったのなら、【主】ご自身が私たちを責めてくださるように。24 しかし、事実、私たちがこのことをしたのは、次のことを恐れたからです。後になって、あなたがたの子らが私たちの子らに次のように言うかもしれないと思いました。『あなたがたと、イスラエルの神、【主】と何の関係があるのか。25 【主】はヨルダン川を、私たちとあなたがた、ルベン族、ガド族との間の境界とされた。あなたがたは【主】の中に分け前を持っていない。』こうして、あなたがたの子らが私たちの子らに、【主】を恐れることをやめさせるかもしれません。26 それで、私たちは言いました。『さあ、私たちは自分たちのために、祭壇を築こう。全焼のいけにえのためではなく、またほかのいけにえのためでもない。27 ただ私たちとあなたがたとの間、また私たちの後の世代との間の証拠とし、私たちが、全焼のいけにえとほかのいけにえと和解のいけにえをささげて、主の前で、【主】の奉仕をするためである。こうすれば、後になって、あなたがたの子らは私たちの子らに、「あなたがたは【主】の中に分け前を持っていない」とは言わないであろう。』28 また私たちは考えました。後になって、もし私たち、また私たちの子孫に、そのようなことが言われたとしても、そのとき、私たちはこう言うことができる。『私たちの先祖が造った【主】の祭壇の型を見よ。これは全焼のいけにえのためでもなく、またほかのいけにえのためでもなく、これは私たちとあなたがたとの間の証拠なのだ。』29 私たちが、主の幕屋の前にある私たちの神、【主】の祭壇のほかに、全焼のいけにえや、穀物のささげ物や、他のいけにえをささげる祭壇を築いて、きょう、【主】に反逆し、【主】に従うことをやめるなど、絶対にそんなことはありません。」
そして今日の最初のみことば、V30に繋がって、初めは彼らを成敗しに行こうと思った9部族とマナセの半部族の人たちは、「それに満足した。」と言ったのである。
彼ら、ルベン族とガド族、マナセの半部族の人たちが答えた答えには2つのポイントがある。一つは、自分たちはヨルダン川で隔てられていても、一つの同じ神を信じる者であるという信仰の告白。二つには、自分たちはヨルダン川で隔てられていても、同じ一つの民族、ひとつのからだ、兄弟姉妹であるという信仰告白。
V26~V27:「それで、私たちは言いました。『さあ、私たちは自分たちのために、祭壇を築こう。全焼のいけにえのためではなく、またほかのいけにえのためでもない。27 ただ私たちとあなたがたとの間、また私たちの後の世代との間の証拠とし、私たちが、全焼のいけにえとほかのいけにえと和解のいけにえをささげて、主の前で、【主】の奉仕をするためである。こうすれば、後になって、あなたがたの子らは私たちの子らに、「あなたがたは【主】の中に分け前を持っていない」とは言わないであろう。』」
その告白を聞いて、9部族とマナセの半部族は満足し、そして、「これを滅ぼそうとは、もはや言わなかった。」(V33)という。それで、ルベン族とガド族、マナセの半部族が築いた祭壇は、「まことにこれは、私たちの間で、主が神であるという証拠だ。」と呼ばれたとある。(V34)
【結論】
このことから、私たちの信仰というのは、勿論信仰と言うのは「神と私」という個人的関係が基本だが、それだけでなく、「神と私たち」という関係のものでもあるということが分かる。それは言い換えるなら、私たちは皆それぞれ違っていても、私たちはひとつの神を信じているから、この神にあって私たちは一つなのだ、ということでもある。
エペソ4:5~13:「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。7 しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。8 そこで、こう言われています。『高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。』9 ──この『上られた。』ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。10 この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです──11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」
このようにして、私たちは互いに違ってはいても、同じ一つの神を信じているひとつの体です。このお方を一緒に仰ぎ見て、信仰の告白をして行こう。「主の祈り」を祈ろう。「主の祈り」こそ、主が私たちの神であることを表す祈りである。
―祈り―
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