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2022.11.20 礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【序論】

 この13章はご存じのように、アブラハムが、この時はまだ「アブラム」と言われていたが、彼の父のテラ、甥のロト、そして妻であるサラ、サラもまたこの時はまだ「サライ」と呼ばれていたが、彼らが一緒になって、彼らの生まれ故郷のカルデヤのウルを出て、その後ハランに暫く住み着き、そこで父のテラは死ぬが、その後、彼らは一時エジプトで滞在した後にカナンの地、べテルとアイとの間の地(V3)にやって来た時のことが記されている。そして、今日の箇所はV1~V13にあるように、アブラハムとロトには家畜がそれぞれ所有物として沢山あったため、その地に一緒に住むことが出来ないということで、アブラハムの提案により、ロトはそこから死海沿岸の低地のソドムに移り、アブラハムはその所に留まることになった、その後のことが記されている箇所である。

 今日はこの所から、今日の記念すべき第1回目の法人取得に向けた総会を持つに当たり、神が私たちに語ろうとするみことばに耳を留めたいと思う。ここに、私たち対する神のメッセージがある。

【本論】

(1)(神は私たちに)「目を上げて、…見渡しなさい。」と言われた。

V14:「ロトがアブラムと別れて後、【主】はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。」

 この「さあ、目を上げて、…を見渡しなさい。」と言われている「目」とはどういう目か?―それは、「ロトがアブラムと別れて後」とあるように、ロトが見た目とは違う目である。ロトが見た目とは?

V10~V11:「ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。」

 この後、ロトとその家族にどんなことが起こったか、皆さんご存じですね。彼も「目を上げて、…見渡した。」しかし、彼が目で見て選んだ死海沿岸の低地のソドムは滅んでしまった。(創世記19章)彼は、肉の目によく見えるソドムを選んだからである。しかし、神がアブラハムに、上げるように言った目は、ロトが見た肉の目のようではなく、神の言葉によって上げる目、即ち「信仰の目」である。神はアブラハムに、信仰の目を上げて「見渡しなさい。」と言われたのである。

 そして何を見渡すように言われたのか?―それは、彼が立っている所から、彼を囲んでいる、肉の目に見える荒地ではなく、V15~V16:「わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。」という、子孫の祝福が約束された神の計画、神のヴィジョンである。

 そうです!信仰の目によってものを見るならば、肉の目、生まれながらの目では見ることが出来ないもの、神の計画、約束、ヴィジョンを見ることが出来るのです。

 先週16日、私と家内と上の娘とで筑波山登山を行ない、頂上からは関東平野を一望することが出来た。そのように、高い所に上らなければ見えないものがあるように、信仰の目によってでなければ見えないものがある。

※神は私たちの教会に、どんなヴィジョンを持っているだろう!どんな計画、約束を持っているだろう!―それは、この私たちの信仰の父であるアブラハムに与えられた子孫に関するヴィジョン、土地に関するヴィジョンである。また初めに言った、ダニエル2:35を通して見せてくださった幻、ヴィジョン、計画、約束である。

ダニエル2:35:「そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。」

※あなたは信仰の目で何を見ているか?―私たちはこのようになる!信仰の目を上げて、それを見渡そう!

(2)(神は私たちに)「立って、その地を歩き回りなさい。」と言われた。

V17:「立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」

 これは、(1)と同じように、肉の足ではなく、信仰の足によって「立って」、そして「歩き回りなさい。」ということ。

※では、どこに立つのか?―神のみことばの上に、神のヴィジョン、計画、約束の上に、「信仰の足」で立つのである。そして歩き回るのである。

※「歩き回る」とは何?―それは信仰の実践のこと。ヤコブは「信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(ヤコブ2:17)と言った。そのように、信仰には実践が必要。それによって、また信仰も生きて行くからです。

 信仰の実践の中にはいろいろあるだろうが、その行ないの中の一つに、「祈ること」があると言っていいだろう。それも、みことばに立った祈りです。

 17日、地域牧師会が開かれ、杉戸キリスト教会の野町先生が信仰をもって祈ることの大切さを話された。10年後には今の牧師数が半減すると言われる2030年問題や閉塞感のある中で、どうすれば良いだろうと祈っていると、ある時、マタイ9:35~38のみことば、「それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。そのとき、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。』」が与えられた。それで、「収穫のために働き手を送ってください。」と祈り始めたら、それが起こり、祈り手が起こされ、求道者も起こされてきた。

※私たちも、信仰をもって立って、歩き回ろう。祈ろう。働こう。

ヤコブ4:2:「あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。」

ヤコブ5:7:「こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。」

※農夫のように、収穫を見るまで、信仰を働かせて、忍耐をもって働こう。

(3)V18:「そして、そこに主のための祭壇を築いた。」とあるように、私たちは、そこに、主のための祭壇、信仰と礼拝の共同体、教会を築いて行くのです。

 「そこ」とは何処?―V18:「そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに【主】のための祭壇を築いた。」とあるように、そこは、「天幕」のある所。即ち、生活の場である。

※私たちは、信仰と礼拝、また教会生活というものを、私たちの生活から切り離してはいけない。切り離すから、二律的、クリスチャンである時の自分と、そうでないときの自分と言う風に、建前と本音、裏と表のあるクリスチャンになってしまう。そうすると、「もっとクリスチャンらしくなりたい、そうしなければ」、と「ねばならないクリスチャン」になって、頑張るクリスチャン、無理するクリスチャンになって行き詰まり、信仰から離れるようになってしまう。離れないまでも、サンデー・クリスチャンになってしまう。

※私たちは、信仰生活を観念的なものではなく、現実的なもの、日常的なものにしよう。生きたものにしよう。そのためには、私たちはアブラハムがしたように、天幕を祭壇のそばに置こう。祭壇を築いた「マムレの樫の木のそばに来て住んだ。」とあるように、祭壇のそばで生活しよう。神を体験して行こう!

※そのような法人、教会となって行こう!

【結論】

 私たちの群れはまだ小さい。しかし、神は私たちを全地に満ちる大きな山になさろうとしている。だから、このお方に期待し、祈り、願い、求め、信仰をもって歩んで行こう!―そのためには、神のみことば、ヴィジョン、計画、約束に従い、信仰の目を上げ、信仰の足を持って立ち、神に近づき、神と共に歩もう。やがて神は、私たちを神の霊によって立ち上がらせ、大きな山にして下さろう!

―祈り―


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